第50話 やさぐれた女神に説教は許されない。
ヤンデレナナによって精神をズタボロにされた俺は、『女神の翼』を広げ、フラフラと空中を飛びながら宿に戻った。
先程の忌まわしき出来事は、誰にもバレてはならない。
風呂場に向かって身体を洗い、何事もない様に部屋へ戻る。ディーナとコヒナタはもう起きていて、既に出掛ける準備を整えていた。
まだ時間は昼前、午後に冒険者ギルドと城に向かうのだ。
精神的には二人に包まれて眠りたいのに、それが出来ない事に俺の苛立ちは増していた。
「おはよう。二人共よく眠れた?」
「うぬ! 起きたら主様がおらんので、探しにいこうかと話しておったのよ。何かあったのかぇ?」
「おはようございます! 何か酷く疲れてらっしゃるように見えますが大丈夫ですか?」
二人は俺に近付いて来て、熱を測るように額を触ったりくっついたりしてくる。思わず涙腺が緩んだけど我慢した。
ーー忌まわしい記憶は封印せねばならないのだ。
「な、何でもないよ? 新しいスキルを試していたんだ。二人はまだ気持ちよさそうに寝ていたからさ」
「訓練なら妾も連れて行っておくれ? 今回の様に、『聖絶』を封印された状態でも戦えるように鍛えねばと思っておったのよ」
「私もです。皆さんの鍛冶が出来れば満足でしたが、仲間がやられているのを見ながら何も出来ないのは嫌だと思い知りました!」
「うん。一人で行ってごめんね? 気持ちはわかったから、今日は午後迄に要件を終わらせて明日からみんなで訓練しよう!」
「うぬ!」
「はい!」
俺は話が終わって装備を整えると、アズラと合流して冒険者ギルドに向かった。
途中腹が減っていたので屋台に寄ったのだが、何故かディーナが「食王様」と呼ばれていて、無料でいいから食べて頂きたいという店主が殺到した。
どうやら以前に的確なアドバイスを受けた屋台は客足が倍増したらしい。
「おいしいのう主様よぉ〜!」
「う、うん。俺まで貰っちゃってごめんね?」
「いいのじゃ。貢ぎ物は皆で分け合うのものじゃ!」
串を食べながら冒険者ギルドに辿り着くと、中に入った瞬間ギルドが騒めき出した。
「おぉ! 『紅姫』の皆さんが来たぞ!! やべぇ、今日も女神様輝いてんな!」
「はぁっ、はぁっ。ディーナ様の胸に埋もれたいぃ……」
「コヒナタちゃん。俺がいつでも影から守ってあげるからね!」
「アズラ様抱いてぇ!」
酒場に酒を飲みに来た者やクエストを受けに来た冒険者達から、男女問わずに熱愛を帯びた声援を浴びせられる。
皆でとりあえず手を振ると、鼻血を出して倒れる者までいた。
そこへ、大楯にCランク程度の装備を身に付けた大柄な男が話しかけてくる。
俺はきっとタンク職だろうと予想した。
「おい、お前らが『紅姫』とやらか? 聞けばまだDランクなんだろう? 俺様はBランク冒険者のカジーム様だ! 条件次第じゃお前らのパーティーに入ってやるよ! どうだ? 嬉しいだろう?」
俺は鼻息を荒くしながら顔を近づけて来る粗雑な男に対して、嫌悪感を抱く分けでも無く、忌避感を感じる事も無く、冷淡に一言返事をした。
「いえ、間に合ってますから結構です」
返答を聞いた
「おいおい。これだから素人のパーティーは困んなぁ。Bランクだぞ? お前らが何年かかっても成れねぇような存在なんだよ俺様は! お前が俺様の女になりゃあ助けてやるって言ってんだよ! そんな簡単な事くらい直ぐに理解しろや馬鹿が!」
カジームは突如俺の肩を抱き、そのまま胸あての隙間から胸を揉んだ。突然の
(これだ。この優越感こそ俺様に相応しい)
自称Bランクの男は下品な表情を浮かべ、顔見下す様な視線を周囲の冒険者達へ向けていた。何が面白いんだか。
こんな横暴を『紅姫』の仲間達が許す訳も無い。
「おいてめぇ! 誰の許可を得てうちの姫の胸を揉んでんだ? 魔王様か? 神様か? 殺すぞゴルァァァ!」
「下衆が。お主の過ちは死ですら生温いわ! 焼き尽くしてくれる!」
「女神様に何してるんですか? 頭部粉砕しますよ? その盾、中々いい素材使ってますね? 頂きます!」
正直俺は男に胸を揉まれた所で、何の感情も湧かず気にしてはいなかった。だって心は男ですし。多少気持ち悪いくらいか。
だが、三人の仲間達は未だ嘗て見た事ない程に額に青筋を奔らせ、激昂しているのだ。若干一名欲望に身を任せた幼女もいるが。
「はっ! 俺の女にしてやるって言ってんだから、光栄に思えや! これからは俺が守ってやるから……あれっ?」
高笑いしながら胸を揉んでいたカジームの右腕が、ぼとりと床に落ちる。アズラの大剣による一閃。
「へっ⁉︎ ぎゃぁああああああああああああああ! 俺の腕があああああああああああああっ!!」
血を噴き出しながら、ギルド内を馬鹿が転がった。
続いて左手に装着された大楯をコヒナタが大鎚を叩きつけて腕ごと粉砕する。そして、盾の脆さに溜息を吐いた。この子中々容赦が無いな。
「なんだ……駄作ね」
最後にディーナが
「だ、だすげでええええええぇぇ!!」
燃え盛る炎に皮膚を焼かれながら、懸命に手を伸ばして周囲の冒険者達に助けを求めている。
「ちょっとみんなやり過ぎ! やり過ぎだってば! 雑魚なんだから死んじゃうでしょうがぁ!」
俺が宥めると、三人は当然の報いだと言わんばかりに満足した様で、漸く平静を取り戻していた。
「腐ってもお前Bランクなんでしょう? これ位じゃ死なないよね? 誰か治療魔術唱えられる人いるかな? こいつから金貰って治療してあげて? 俺はする気も起きないから宜しく!」
「こんな屑どうでもいいし……」
俺が冷淡な視線を向けつつ吐き捨てる様に言い放つと、周囲の治癒術師が嫌々駆け寄り、回復魔術を唱え始めた。
元々このギルドでも嫌われていたのだろう。この周囲の態度から感じとれる。
そして、いつのまにか今起こった出来事を、受付嬢のメリーダに呼ばれたギルドマスターのマーリックが呆れ顔で眺めていた。
「ギルド内は騒ぎ厳禁なのですがね?」
「……それはメリーダさんが見ていた報告を受けて、事情をわかった上での皮肉かい? 俺は今日機嫌があまり良くないんだ。先程の件で仲間も苛立ってる。回りくどい言い方はオススメしないよ?」
俺が睨みながら軽い脅しをかけると、アズラは大剣を床に突き刺し、ギルドを潰すような圧倒的なオーラを巻き上げた。
ディーナは人化したままに、竜王の威嚇を周囲へ浴びせる。
「ま、待ってください! わかりました。言葉が過ぎました! 謝罪致します!」
「はわわわぁ! ギルドが壊れちゃうぅ〜〜!」
マーリックは慌てて謝罪した。周りの冒険者達も
「半分くらいは冗談だよ? じゃあ個室で早く要件を聞かせてくれる?」
安堵したメリーダに個室へと案内され、豪華な来客用のソファーに座るとマーリックが説明を始めた。
「実はAランク冒険者のパーティー『狼の誇り』の五人が、南にある『ハマドの洞窟』の魔獣討伐クエストから一週間以上経ってもシュバンに戻らず、少しでも情報が欲しいのです。洞窟への距離と、彼等の実力を考慮しても帰りが遅過ぎる」
「それをDランク冒険者の俺達に調べろと? 随分無茶を言うね」
「ご謙遜を。アズラ様の力は勿論、皆様の実力もある程度見定めているつもりです」
「ふ〜ん? そのクエストの報酬は?」
「……純金貨八枚で如何でしょう?」
俺は明らかな嘘を吐き続けるギルドマスターに苛立っていた。
「ねぇ。このタイミングで俺らに依頼を持って来たのは何でかなぁ?」
「それは、奴隷商人の件もあり、殺人罪等で煩く言われているであろう『紅姫』の皆様を、ギルドマスターである私から指名依頼を出す事で、信頼出来る人物だと認識されるようサポートしたい心使いですよ! お困りでしょうからね?」
「ふーん。やっぱりか」
「はて? やっぱりとは何でしょう?」
マーリックはとぼけた顔をするのが得意なつもりなんだろうけど、俺の眼に嘘は通じない。
「俺らを利用しようと企んだな? マクシムの件で城から呼ばれる程困っているであろう俺達に、自分が助け舟を出す事で遠慮なく厄介な依頼を安い報酬で受けさせる。尚且つ恩を感じさせて、今後扱い易い様にするつもりなんだろう?」
俺がリミットスキル『女神の微笑み』を発動すると、予想通りマーリックが感じたのは好意を向ける相手にかかるチャームではなく、悪意がある相手にかかる威圧だった。徐々にガクガクと身体を痙攣させ、青褪め始める。
レベルが上がった事で、発せる威圧は国の王からの死刑宣告を遥かに上回る程の
「い、いえ、決して、その様な意図は、ご、ござ、いません!」
歯を震わせすぎて、ちゃんと喋れていない姿を見てそろそろかと威圧を緩めた。
「依頼は受けてやるよ。純金貨二十枚だ。あと、今回のマクシムの件は魔王様と話がついてるんだよ。余計な考えは巡らすな。次に同じ事をしたらどうなるか、死にたくなければよく考えろよ?」
この程度の脅しは必要だろう。今後の付き合いを考えれば優しいくらいだよな。
__________
マーリックの目前で愉快に嗤うのは絶世の美女だというのに、抑え続けても身体の震えが止まらない。
まるで氷山の頂上に、突然丸裸で投げ出されたかの如き冷酷さと恐怖を一身に浴びている。
ーー自分が過ちを犯したのだと理解するのに、露程の時間もかからなかった。
「は、はい! 申し訳御座いませんでした! 依頼の件、如何か宜しくお願い申し上げます!」
椅子から離れ、土下座しだすマーリックを見て仲間達は苦笑いし、レイアは軽く頷く。
メリーダは威圧の残滓に巻き込まれて、既に気絶していた。
「じゃあ、次は城にいこうか!」
四人はギルドを出て魔王城へと向かう。
先日と同じ様に近衛兵に謁見の間に連れていかれ、開かれた扉の先に映ったのは、二本の角を生やし、黒髪をツインテールに赤いリボンで束ね、黒いゴシックドレス着た美少女だった。
歳はレイアと同じく、十六、七歳程。瞳は赤く、何処か一般人とは違う凛とした雰囲気を纏っていた。
「よく来たな。我が妻レイアよ」
ーー??
「……魔王様?」
女神が現状を理解出来ずに首を傾げていると、そっとアズラが耳打ちする。
「あれが『身体変化』を解いた魔王様だぞ。滅多に変わらんが、動揺すると偶に素が出るから面倒臭い」
「マクシムの件はご苦労だったな。我からもこの前の賭けの事も含めて、報酬を出そうではないか!」
報酬と聞いて、女神の金眼が更に輝いた。
(純金貨五百枚とかくれんじゃね? 借金生活さようなら! 日常よ、おかえりなさい!)
レイアはここでは無い何処かに、憧憬を抱きながら手を振る。
「ありがとう御座います魔王様! して、報酬とやらは
「報酬は……我だ!」
魔王の自信満々な宣言を聞いた途端、女神は悲しみに暮れつつ無言で首を横に振り続けていた。
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