「彼女」がいる

りょ~

第1話 ぱんつください

「転校生を紹介します」

 教室に入ってきた先生が唐突にそう言った。

 夏休み直前のこの時期、妙なタイミングで転校してくるもんだなと、そう思ったクラスメートもいたかもしれない。私は父親の転勤が多く、時期を選ばず転校した経験が何度かあったので特に気にはならなかったけど。

 先生に促されて姿を見せた転校生は、とても綺麗な女の子だった。肩より少し長いまっすぐでつやつやの黒髪と、ちょっと心配になるくらい真っ白な肌。目元は切り揃えた前髪に隠れがちだけど、鼻や口のカタチはたいへん整っている。

「えーっと…じゃあ、そこ。座って」

 もともと口数の多い先生ではないけれど、いつにも増して言葉少なだな。そんな態度だから生徒から人気が無いんだよ。彼が進路相談したくない先生ランキング第1位に輝いている理由がよくわかる。

 転校生がふらふらとおぼつかない足取りで歩き出す。おいおい大丈夫かこの子。

 妙な緊張感の中、無事に席へとたどり着くと、教室中に安堵の気配が漂う。転校生はゆっくりと椅子を引いて、席に着いた。

 ん?

 違和感に気付く。転校生が座ったのは、横に6列、縦にも6列並んだ席の、右から3列目、前から3番目。要は教室のど真ん中だった。

 なんでそんなところに空席が?誰か居なくなったの?いやいや、昨日まで普通に登校してきて、今日突然クラスメートがいなくなってたらさすがに気付く。まだ朝のホームルームだけど、一人の遅刻もなくクラス全員が揃っている。

 というか、教室のど真ん中にぽっかりと空席ができていることに、私は今の今まで気がつかなかったのか。私の席は廊下側の一番後ろ、教室内が見渡せる位置にあるのだけど。隣の席の美希を見ると、彼女もおや?という顔をしていた。

 事務的な報告を終え、先生はさっさと教室を出て行った。ホームルームの時間はまだ残っているけど、これはいつも通り。余計なことを話さないうちの担任の、唯一の長所だ。

 今日最初の授業が始まる前に、クラス委員長のさくらが動いた。窓際最前列の席から机の間を縫うようにして中央の席へとやってくる。

「わたし委員長の戸川さくら。お名前はなんて言うの?」

 お名前。さくららしい上品な響きに、また違和感を感じる。そういえば先生、転校生の名前すら紹介しなかったな。いくらなんでも喋らなすぎではないだろうか。その点、さくらは気が利いている。私も転校当初、世話焼きな彼女にとても助けられたものだ。

 自己紹介すらさせてもらえなかった不憫な転校生に、教室中の視線が集まる。見た目が綺麗なので、男子も興味津々である。

「…………」

 転校生は黙ったまま俯いている。聞こえなかった…わけはないだろう。教室内はさくらが席を立った時から静まり返っていた。みんなお節介なさくらが転校生とコンタクトを取るのを期待していたのだ。

「その制服、セーラー服だね。前の学校の?可愛いね」

 制服?

 本当だ、転校生は学校指定のブレザーではなく、古風なセーラー服を着ていた。……いやいや、着ていた、て。また気づかなかったのか私は。昨日夜更かしをしたから寝ぼけているのだろうか。

「…………」

 転校生は答えない。

 嫌な静寂が流れる。さくらは無視されたくらいでは気にしないしへこたれないだろうけど、彼女は男女問わず人気者なので、周りの視線がとにかく痛い。クラスの中心であるさくらの親切を無碍にすると、転校生の今後の学校生活に支障が出るであろうことは容易に想像できる。

 笑顔を崩さないさくらが、もう一度声をかける。

「今日の1限目、体育なの。更衣室の場所知らないでしょ?案内するよ」

 無視されたことなど無かったかのように続けるさくら。天使である。

 対する転校生はというと、相変わらずの無反応……いや、わずかに口元が動いていた。

「ん?なぁに?」

 何かをしゃべっているらしい転校生の口元に、さくらが耳を寄せる。

 この時点ですでに、面倒くさそうなやつが来たなぁ、という感じの空気で教室内が満たされていた。真っ白な肌とおぼつかない足取りは病的なものを感じさせ、話しかけてもまともにコミュニケーションが取れないとなると、クラスメートたちの転校生に対する第一印象が、マイナスに振り切ってしまったのも致し方ないことだろう。

「…………え?」

 さくらが、信じられないものを見た、という顔をしていた。

 転校生から顔を放し、困惑した表情で机から一歩遠ざかる。なんだなんだと視線が集まると、転校生がゆっくりと顔を上げた。

 小ぶりで形のいい鼻。薄い唇。前髪の隙間から、黒目がちな瞳がぎょろっと覗く。

 後ずさったさくらを目で追いながら、転校生がゆっくりと立ち上がる。

 真っ直ぐ立つこともままならないのか、ふらふらと揺れ続ける転校生を、さくらが指差して言う。

「ねえ……それ……」

 血だった。転校生のスカートは股の部分が真っ赤に染まり、脚の間からびちゃびちゃとおびただしい量の血液が流れている。

 女子の間で悲鳴が上がる。

 恐怖のためか身動きできないさくらに近づいて、転校生が口を開いた。


「ぱんつください」


 教室は騒然となった。

 突然転校生がさくらに掴みかかり、床に押し倒す。

「ぱんつくださいぱんつください」

 意味不明な言葉を繰り返す転校生。さくらのぱんつを奪おうとしているに違いなかった。

 さくらは泣き叫び抵抗するが、転校生は全く意に介さない。男子が数人がかりで引き離そうとするも、びくともしないようだった。

 さくらの泣き声と男子の怒声、女子の悲鳴が混ざり合う教室内で、転校生の呪文のような言葉だけが、異様にはっきりと聞こえていた。


 やがて、喧騒がぴたりと止んだ。

 さくらのすすり泣く声だけが響く中、転校生がゆっくりと立ち上がる。綺麗だった黒髪はボサボサに乱れ、セーラー服は埃だらけになっていた。振り向いた転校生の口には、おそらくさくらのものであろうぱんつが、何故か猿轡のように咥えられていた。

 ふらふらと、おぼつかない足取りで歩き出す転校生。教室の後ろ側の出口へ向かう彼女は、必然私の席の横を通っていく。むせかえるような鉄の臭いに、意識が飛びそうだった。

 脚の間から血液を垂れ流し、ぱんつを咥えた口からは涎を垂らし、焦点の定まらない視線を中空に彷徨わせ、体を引きずるようにゆっくりと。

 やがて出口にたどり着くと、転校生は立ち止まり、首だけを回して私を見た。


「たすけてください、けいさつをよんでください」


 そう聞こえた気がした。

 転校生はもう、どこにもいなかった。



 その後、先生やら警察やらがやってきて大騒ぎになったけど、転校生が教室に戻ってくることはなかった。

 担任の先生は「転校生なんて知らない」の一点張りで、教室のまん中の空席もいつの間にか無くなっていた。

 でも、彼女の血痕はどれだけ掃除しても消えることはなかった。

 彼女が通った跡、残した血液は、学校の外まで延々と続いていたという。

 それがどこに行き着くのか、私は知らない。

 その先に、彼女はいるのだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る