クジラの唄―52―

よしたつ

原初の記憶―19534―

 ふと気づいた時には、僕は不死身になっていた。

 冗談じゃない?

 冗談じゃない。

 ああ、そうだ。きっとこれは質の悪い冗談に違いない。

 僕が渡ろうとした青信号は、確か点滅すらしていなかったはずだ。しっかりと、きっかりと青信号を、わざわざ左右の確認までして、手を上げながら渡ったというのに。影を潜めていた災厄は、僕の上から降ってきた。そう、前後でも左右でもなく、その一つ上の次元。三次元ベクトルにおける「上」という方向から、その災厄は降ってきた。

 おそらくは、歩道橋からの飛び降り自殺。飛び降りて自殺を図るにはいささか高さが足りないのではないかと思うが、おおよその所、くだらない自己顕示欲からくるフェイクの自殺演出で、うっかり足を滑らせでもしたのだろう。はた迷惑な輩もいるものだ。そのおかげで、真上から降ってきたどこの馬の骨とも知らない奴と僕の頭がごっつんこして、ご覧の通り無事にあの世へ。

 行った、と僕も思った。自分でもそう、思っていたのだ。

 普通に目を覚ますまでは。

 ご覧の通りもクソもない。現に僕はこうしてピンピンしていて、死んだという事実などどこにも見当たらない。道路の真ん中で普通に目を覚ました僕は、傍らで首を変な方向にまげて横たわる人間「だったもの」に恐れおののき、なんだったらカッコ悪い悲鳴をちょっと漏らして、そして、空を眺めた。

 視線が青色の海を漂い、フワフワとした白い光が僕の眼球に残像を残し、思考は回遊して、巡り巡って僕の心は現実に引き戻された。

「冗談じゃない!」

 僕の口から、阿鼻叫喚が塊になって飛び出した。劈く悲鳴は僕の周りに広がって、現実と認識は人々に感染し、伝染した。胞子の様に舞い散った恐怖は、そこら中で花開く。

 そして誰かが息を飲み。

 悲鳴が、爆発した。

 覚えているのはここまでだ。悲鳴の大きさと現実の不可解さで頭がショートし、僕は気を失ってしまったのだ。次に目を覚ました時、僕の目の前には真っ白な天井が広がって、

「……ないなぁ」

 僕は天井を眺めつつ、小さく呟いた。こういうシチュエーションなら、普通は無機質な白い天井が広がっているべきだろう。けれどもしかし、僕の視界に映る天井は、およそ日常生活では有り得ないような色で染め上げられていた。

 赤。

 明々しい赤。

 あからさまな赤。

 嘘みたいに真っ赤な赤だった。

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