便箋の一枚目を真人は開いた。


「本多真人様


何から書くべきか迷っています。

この手紙は、私が最も信頼している人に、最も適切なタイミングで渡すようお願いしましたが、キミがどういう状況でこれを読んでいるのかは分からないから。


私の生い立ちから触れます。

私は1959年、つまり昭和34年、阿賀流村に生まれました。理沙子という双子の姉と共に。


私たち姉妹の父が水谷史郎、つまり白琴会の老師であることは幼い頃からよく知っていました。しかし、母の顔を私達は知りませんでした。歪みがどこから始まっているのかと考えると、このときすでに始まっていたのだと思います。


母の友里子は大ばば様と呼ばれ、白琴会の寝所にいるのだといつも聞かされてきましたが、母に会うことは今日に至るまで許されたことがありません。

それが当たり前のことではなくいびつなことであると薄々気付き始めたのは、いつ頃でしょうか。小さい頃には疑問に感じることがありませんでした。

私達姉妹は幼少から白琴会とともにありました。人格、考え方、行動規範、そういったものの中心に幼い頃から染みついたものは、生涯にわたってそう簡単に消え去ることはありません。


白琴会は今日では宗教組織ですが、それだけにとどまるものではなく、もっと阿賀流に深く染みついているものです。組織というよりも文化、と言ったほうが近いのかもしれません。


本来、白琴会の目指していたものは、ごく端的に言えば現世救済です。信奉しているものは、地底深く桃源郷とでもいうべき約束の土地。

白琴会が伝える神話では、かつて神は地底の楽園アガルタに住んでいたと言います。それがあるとき地上に出て、人間達と交わり、今の世界を作った。中でも特に神の血を強く残す者達が阿賀流にいる、と言われています。


そんな思想が世の中においてはむしろ異端であり、疑うことなくそれを信じることはむしろ危険であると気付いたのは、皮肉にも私が東京に送り出されたことによると思います。


父である老師は、白琴会の次代を担う若者として、特に賢かった私達姉妹を、東明大に送り出しました。

いま考えればこれも異常なことですが、白琴会は当時すでに、先端科学といってよい知識を持っていました。

その復習と整理、そして周囲の人間達のレベルを観察することを目的に、私達は東京に派遣されたのです。


老師が、そういった科学知識を自分の頭ではなく、どこか他のところから引き出していることは知っていました。幼い頃、父に訊ねたことがあります。父は冗談めかして「アガルタ文明が自分の手にある」と言っていました。

今では、それは冗談でもなんでもなかったのではないかと私は思っています。私自身、そしてキミもその一端にすでに触れてしまっているのですから。


大学では私は言語コミュニケーションを学ぶことになりました。後で仙境開発にこの知識が展開されます。

理沙子は量子力学を学びました。理沙子の研究は、白琴会が生んだ装置に展開されます。私やキミの運命を変えた装置に。


私と理沙子が二十歳になった頃に、清水雅俊つまりキミにとっての兄様も東京、東明大にやってきました。

雅俊は宇宙物理学を学びました。


今、振り返ってみたときに。一体いつから雅俊は私のことを意識していて、私はいつから雅俊のことを意識し出したのか考えても、よく分かりません。

阿賀流にいたときには、弟のような存在だったのに、東京に出てきた雅俊の面倒を見ているうちに、私達はいつしか恋をし合っていました。


雅俊にとって老師は絶対的な存在であり、その娘と関係するということは、阿賀流にいては考えられないことだったでしょう。

私が感じていた、思想の面での変化もそうでしたが、東京という街で、雅俊にも、そういった禁忌への緩みが生じたのだと思います。


私と理沙子は一卵性で、その頃は性格も似ていましたから、すべては運命なのかと考えるしかありませんが、私と理沙子のどちらが雅俊と愛し合ったとしても、不思議はなかったように思います。


ただ雅俊としては、自分と同じ理系の先輩に当たる理沙子よりも、畑が違う私のほうがむしろ話が合ったようで、そんなところから、私のほうが雅俊と恋仲になったのです。


私と理沙子は卒業し、阿賀流に戻ることになりました。1980年頃のことです。

年下の雅俊はあと二年間、東京に残ります。


別れる最後の夜には、若さでしょうね。激しく愛し合いました。

母親の勘としか言いようがない確信があります。そのとき、私と雅俊の間に生命が育まれたのです。


一度だけ、私の息子を本当の名前で呼ばせてください。


水谷真人。


真人は、父親の雅俊から音を取りました。


キミは、私と雅俊の間に生まれた息子です」

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