2
「本人で間違いないんだな?」
真人はまずそこから切り出した。
しおりは静かにうなずいた。そして作り物めいた微笑。
「久しぶり、真人」
「気安く呼ぶなよ。ただの本多さんと空山さんに戻ったんだ」
真人はしおりを見ずに答えた。
「……」
しおりはわずかに肩をすくめてグラスに口をつける。それからしばらく、しおりは何も喋らなかった。
真人もその沈黙を破らずに、お互いが離れていた時間のことを想い、この再会の意味を考えた。
ジントニックがあっという間に空き、真人は次を注文した。
口が空いたその間で、しおりに訊ねた。
「何の用だ?」
「あの場では話せないことを話したくて。仙開の人がいては無理だし、出来ればあの助手さんにも聞かれたくないことでね」
「佳澄は、助手なんかじゃない」
「…じゃあ、何?」
訊ねられた真人は、やや返答に窮した。佳澄と真人の関係性は、どうにも説明しづらい。
「パートナーだよ。目的を同じにする」
「パートナー。目的って?」
「なんでもいいだろ」
「よくない」
「じゃあ、勝手に想像してくれよ」
面倒臭くなって真人は言い捨てた。真人のことを追及される場合ではない。しおりに追及したいことのほうが多いのだ。
「それよりお前だろ。なんでお前がここにいるんだ?」
咎める口調で真人は訊ねた。
しおりはそれに腹を立てる様子もなく、微笑した。
「仙開で働いているんだから、当然でしょう」
「当然、って…。どうして北九州へ。経緯は?」
「ある人の紹介でね」
「北九州に縁があるなんて聞いたことがなかったぞ。親族でもいたのかい? 俺と結婚したときだって、俺側の親族がいなくて釣り合わないから式はやらないって。それも、言い訳だったのか?」
真人が矢継ぎ早に質問を投げても、しおりの静かな笑みは変わらない。
「『北九州』には縁はないよ。意味は分かる?」
「じゃあ…。仙開に縁があったというのか? ある人っていうのは仙開の関係者か?」
しおりはその質問には答えなかった。
「私のことなんて、そんなに気にしてる場合じゃないと思うけど。何かを知りたくて北九州に来てるんでしょ? まさか観光なんて言い出したら承知しないんだから。こんなところまで来るなんて、相変わらず無鉄砲というか。後先を顧みないんだね」
「余計なお世話だ。そんなことより、俺が知りたいことが、お前の存在と無関係とは思えない。なぜお前がここにいるのか、が問題だ」
息まく真人だが、しおりは変わらず受け流す。
「じゃああなたはなぜここにいるの?」
「俺は…。だから、ライターとしてのインタビューだ。あれから俺も少しは成長して、いっぱしの物書きで食えるぐらいにはなってきたんだよ。あの頃とは違う」
真人が少しだけ誇らしく告げると、しおりの顔は複雑に変化した。
敬意なり驚きなりの表情は表に出ず、代わりに憐れむような瞳の色が見えた。その意味はほどなく嫌というほど分かるようになるのだが。
「…なんだよ?」
「建前と本音か。昼間のインタビューはダミーで、本当に知りたいことはあのたくさんの質問の中に紛れ込ませてあったことでしょう? 水谷さんのことね」
「そうだよ。親代わりの人の消息を訊ねて何がおかしい」
「おかしくなんてないし、その執念は率直に評価する。でも、あなたがここに来たということは、ただ水谷さんのことを知ることが目的というだけではないでしょう? 水谷さんのことは…むしろ手段なんじゃないの? 本当に知りたいことにたどり着くための」
「もしそうだとしたら、なんなんだ?」
しおりはため息をついた。
「やっぱり、水谷さんの勘はすごいな。あなたの性格もほんと、何年か一緒にいただけの私なんかよりずっと良く分かってる。ちぇっ…」
「…?」
「あなたがここに来るとすれば、それは水谷さんを探すだけのような単純な理由じゃないって、水谷さんにはお見通しだった」
「…っ?」
「ここまであなたがたどり着いてきて、しかも正々堂々じゃなくて策を仕掛けて来るなんて、それほどの理由はいったい何なのか」
「それをお前に言う必要があるのか?」
「必要はないし、ギブアンドテイクを言い出すつもりもないよ。ただ私はね、あなたに渡すものがあって呼んだの」
「…渡すもの?」
「水谷さんの…遺書とでも言えばいいのか」
「遺書!?」
真人は思わず立ち上がりかけ、バーカウンターであることをすぐに思い出して座り直した。
「自殺だっていうのか? バカな、姉ちゃんは自殺するようなタマじゃないぞ、絶対に」
「言い換えてほしいなら、覚悟の手紙」
「覚悟の手紙…? どういうことだ? 事故なのか、自殺なのか。本当のところ、何があったんだ? お前はそれを知っているのか?」
しおりは肩をすくめた。
「一つ一つ、答えるのかな?」
「答えてもらうぞ」
また、しおりがため息をついた。
「私がここに来たときには、水谷さんは教育チームのLDだった。私は水谷さん直属のSVとして配属されたの。水谷さん直属になったのは、あなたの存在があるから。あなたを知っている私だから、東京から北九州へ。水谷さんの元へ移された」
「は? ちょっと、なんか今の言い方おかしくないか。それじゃあまるで、お前が俺と別れたのも、姉ちゃんのところに行くため、とでも言いたいのかよ」
しおりは口角だけひきつらせて笑ったようだった。
「だとしたら? ここまでたどり着いてきたんだから、いいかげん、与えられた情報だけに頼らずに、直感で考えてみてよ」
「直感って、何を―」
「つまり。私があなたとの関係があった頃から、私は一つの背景の元に行動していたということ。どういうことだか、アルコール漬けの脳みそになる前に考えて」
「背景…? 俺と関係があった、って…結婚しているときも、ってことか?」
「イエス」
真人は、その意味に気付いて青ざめた。
「まさか…。仙境開発…」
「そう。私は…ずっと、仙開に関係がある人間なんだよ。阿賀流にこそいたことはないけど。ずっと」
「ずっと、って、いったいいつから…」
「ずっとは、ずっとだよ」
「つ、つまり。お、俺と結婚していた間も?」
「いいえ。その前から。私は水谷さんが東京を離れた後の、本多真人という人の監視役として選ばれて、その次は水谷さんの監視役だった」
真人は恐ろしい可能性に声を震わせながら、確かめるためにかすれた声で問いかけた。
「じゃ、じゃあ…。お、俺と結婚したのは…?」
「監視のため」
「え? え、え…?」
「私は、仙開の人間として、自分に与えられた役目であなたに出会い、あなたと結婚出来るように必要な限り女性らしく振る舞って、見守り、やがてあなたから離れた。ただ、それだけ」
「……」
真人は声を出せずにもう一度、表情でしおりに問いかけた。
しおりと最初に出会ったのはいつ、どこでだったか。
幾つめかの仕事で同僚だったのだ。ちょっとした仕事のトラブルからへこんでいたしおりを酒の席で慰めているうちに、どちらからともなくなんとなくホテルに向かい、そのまま関係が生まれた。
あの気だるい朝の感覚、腕に乗るしおりの頭の心地よい重み。それらがすべてしおりの計算づくで生み出されたものだったというのか。
しおりは答えずに静かな眼で真人を見返してくるだけだ。
「そんな…慰めるような目で見るな。ちょっと…。理解、不能だ…」
真人はそれだけかろうじて絞り出すと、グラスを空けた。
急に酔いが回ってきた。それにこの気分の悪さは決して酔いのためだけではない。
すぐに次を注文した。
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