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佳澄の勢いに押し切られ、デッキを降りて駅前のアーケードへ向かう。
デッキを降りてすぐのところに人だかりがあった。
「なんだ、この混雑は?」
「パン屋さんですね。ああ、これが噂のクロヤですか!」
佳澄はどうやらこれも事前に調べていたらしい。
「パン屋っていうけど、普通の混み具合じゃないぞ、これ」
アーケードの通り沿いにカウンターがあり、そこでパンを受け渡す方式のようだが、カウンター前に五、六人が常に列を作っている。
「ここのパン屋さん、美味しくて安いそうですよ。また後で、軽食に食べてみましょうよ」
「あ、ああ。確かに、人気ありそうだし、いいけどさあ…」
佳澄の中では、楽しみたい場所が最初から決まっていたのではないかという気もしてきた。まったく…。
アーケードを少し歩いたところにある「透けさんうどん」なる店の前までたどり着くと、佳澄が真人を手招きした。
二人が入ると、出汁のほのかな香りが鼻をついて食欲をそそった。
店内は広く、立ち食い蕎麦系とは異なり、テーブルもたっぷりだ。
「なるほどね。これならゆっくり話せそうだ」
「でしょ? さあ本多さん、何にしますか?」
佳澄がウキウキとメニューを広げる。
「あのなあ…。もう、ツッコむのも飽きたけどさ」
真人は、苦笑するしかなかった。東明大以来、佳澄の明るさは真人にとってもちょっとした心の安らぎであることは確かだ。
「俺、ここは何も知らないぞ。なんか、おススメとかあるの?」
「色々あるみたいですけど…」
真人は、うどん屋にそぐわないメニューを見付けて目を丸くした。
「なんで、おでんがあるんだ?」
「ぼた餅もありますね」
「さすがにそっちにいく勇気はないな。ジモティーならいくんだろうが…」
「おススメは、ゴボ天うどんらしいです」
「ゴボ天?」
「ゴボウの天ぷらが乗っているそうです」
「ふーん。かき揚げみたいなもんかな。じゃあ、それにしよう」
「あ。ちゃんと私のおススメを選んでくれるんですね」
「当たり前だ。君はキッチンゴローのときやってくれたな、ったく」
真人が思い出してニヤニヤすると、佳澄はくすくす笑った。
佳澄もゴボ天うどんを頼み、二人分のうどんがほどなくやってきた。
「うおっ。思ってたイメージと違った。いい意味で裏切られたぞ」
「ですね…。これは…予想外です」
きんぴらごぼう風のかき揚げでも乗っているのかと思いきや、ほぼそのまま十センチほどのごぼうが、五本ほど、どでん、とうどんの上に乗っかっているではないか。
「どれ…」
柔らかい麺は薄い出汁の味がよく絡んでいる。そしてゴボ天をつゆにさっと絡めるとこれがまた美味い。
「くそう、北九州の奴らは毎日こんな美味いうどんを食ってるのか」
「讃岐うどんみたいな硬い麺と違うんですね。柔らかいけどビチャビチャした感じでもない。…これはあなどれません」
「さて、それはともかくさ」
うどんを啜りながら、真人は佳澄に問いかけた。
「はい。本題ですね」
「そう。仙開のコールセンターがあの建物にあるってのは分かった。で、どうやってアプローチしていくかだ。思ったよりでかい街だから、こうして街中を歩いてていきなり白琴会やらなんやらに顔バレってのはさすがになさそうだけど…」
「東明大のときとは違いますから、直接、コールセンターに当たってみるというのはリスクがありますよね」
「そうなんだよな。でもなあ。行ってみないと何も進まない。今は白琴会にしろ仙開にしろ、上層部は混乱しているだろうし。チャンスと言えばチャンスなんだと思う。コールセンターは兄様の部門だったんだから、なおさら混乱してるんじゃないだろうか」
「まあ、そうですね…」
「仙開は、社長の理沙子はともかく、黒澤さんもかなり権力を持っているんだから、兄様なき今、俺達のことがこっちに伝わっているとは考えにくいよな。そもそも、俺達がまさか北九州にいるとは、当の黒澤さんだって知らないわけだし。まさか俺達の指名手配写真でも出回っているはずもないだろう」
「でもコールセンターなんて、どういう要件で訊ねてみればいいんでしょうね。阿賀流の仙開さんなら工場見学をしてましたが、工場ではないですし…」
「阿賀流でも、コールセンターは見せてくれなかった。うまい口実を考えたいな」
「本多さん、阿賀流に来たときはフリーライターって名乗りましたよね?」
「そうだよ。実際、いまの俺は職業としてはフリーライターになる」
「何か、雑誌やフリーペーパーの取材という設定はどうでしょうか」
「ふむ…。でも、アカリパウダーとかに話を持ってっちゃうと、本社に行けって言われるのがオチだろうから、コールセンターにターゲットを絞ることがキモだな」
「支持率90%を生むお客様対応のヒミツ、とか、それっぽくないですか?」
「それは、実際に知りたいことでもあるし、いいかもね」
「じゃあ、雑誌も、地元の架空コミュニティ誌にしましょう。実在の雑誌だと突っ込まれたらボロが出そうですから、これから作る雑誌ということに。阿賀流でその手のミニコミ誌、少しやってましたから、雰囲気はなんとなく分かります。それなら、本社じゃなくて地元に取材をするので何ら違和感ありませんし」
「でも、よくあるじゃないか、取材はすべて本社を通してください、とか。北九州から阿賀流の本社に連絡されたら、まるっきりでまかせだとすぐバレるよな。会社名とかメールアドレスぐらい、本物にしておかないと…」
「メアドはそれっぽいものがすぐ準備出来るからいいとして、会社名と電話番号どうしましょうかね。取材の間まで凌げればいいわけですから、それだけのために受付代行の会社を探すのもなんですしね…」
「会社だけ実在にするなら、考えがあるぞ。俺の知ってる出版社があるんだ」
「勝手に名前使っていいんですか?」
「もともと、阿賀流に取材に行くときも、そこにパトロンになってもらってたんだ。成功報酬だからまだ現ナマはもらってないけど。ちょっと、取材の一環で会社の名前だけ使わせてくださいとかなんとかいえば、ごまかせると思う。ネタによっちゃあホントに使うんだし、嘘は付いてない」
「なるほど…」
「後で、北澤に連絡しておくよ」
「北澤?」
「俺のエージェントだよ。そういえば東京に戻ってから一回電話したっきりだしな。まあ、ノリはいいしそれなりに使えるヤツだから、そんな感じの話の通し方をしておけば、もし問い合わせがあっても適当にいなしてくれると思う。あ、あと、これだけの街なら、キンコーズみたいなところもあるだろ。そこでちゃちゃっと偽名の名刺でも作ってしまえば…。少なくとも取材の間ぐらいはバレはしないさ」
佳澄は少し考える様子で黙り込んだ。
「えっと。まだ何か、気になる? たぶん、俺より君のほうが何かをチェックする頭は鋭いと思うから、遠慮なく」
「いえ…」
否定と裏腹に、佳澄の口は重くなったようだった。
真人は眉を寄せた。
「どうした? 佳澄ちゃん。なんかボーっとしてないか?」
「なんだか、考え過ぎてしまって知恵熱でも出てるみたいで。本多さんの考えで大丈夫だと思います。それでいきましょう」
「東京からの飛行機疲れもあるだろうさ。俺だってなんとなく疲れてきてる」
「いえ、いいんです。もうちょっと頑張りましょ? 取材のストーリーと、パターンを色々考えておかないといけませんね。今回は、本番で一回仕掛けて終わりです。一発勝負で、最大限に効果を上げられるように」
「なあ、佳澄ちゃん。他に美奈子さんの、その…事故のことで。どうせ君のことだから、何か事前に調べたことでもあるんだろ?」
「質問じゃなくて確認でくるところが、本多さんらしいというか。冴えてきましたね、本多さん」
「まあね。で、どうなの?」
「そうですね…。美奈子さんの名前では以前から何も見付かりませんでしたので、昨日の夜、角度を変えて仙開の北九州コールセンターのことをネットで探ってみました」
「うん、それで」
「ニュースになるような事件ではなかったようです。ほとんど何も見付かりませんでした」
「あら、そう…。まあ、そんなものか」
「ただ…」
佳澄の眼が光った。
「ただ?」
「転職掲示板の過去ログで、ちょっと面白いものがありましたよ。ちょうど、美奈子さんが亡くなった頃なんですが。やっぱり何かあったみたいです」
「何か」
「はい。もちろん、ネットのウワサの範囲を出ないんですが。センターの幹部の人で、事故で亡くなった人がいるそうです」
「それが、美奈子姉ちゃんだと?」
「もちろん個人名は出ていなかったんですが、役職でLD、となっていました。リーダーという意味らしいですね」
「本当に、亡くなった人はいるんだな。しかし少なくとも人が一人亡くなっているのに、その親族に連絡一つ来ないんだ。まあ、俺も姉ちゃんの失踪届出してなかったし、俺自身ふらふらしてたから、追跡出来なかったのかもしれないが…。死亡届だって出てないんだろうな」
「何か、秘密がありそうですね」
「それも、確信に近付きそうなものだな」
「危険があるでしょうか」
「分からないな。でも、あの拳銃も持ってきてないし、もし敵がいたとしても、何もすることは出来ないよ」
「覚悟を決めるしかないんですね」
佳澄がいやに真剣な顔をするので、真人は優しく言った。
「大丈夫さ。もし白琴会が何かをするにしたって、昼ひなかに仕掛けてくるようなことはないわけだろ。これから北九州で決定的なことが分かったら、東京に戻ってからのことは少し考えたほうがいいのかもしれないけどね。ここから阿賀流に何かが伝わるかもしれないんだし」
「すべては、明日からの行動次第、ですか」
「だと思う。どうしたの、佳澄ちゃん。やけに心配そうだ」
「いえ…。だんだん、危険が迫っているような気がしてしまって。色々、考えておかないと落ち着かなくなってきました。ただの強迫観念だと思いますが」
真人は微笑した。
東京、北九州と移動しているが、白琴会のお膝元の阿賀流にいたときに比べれば、真人は身に迫る危険のようなものは感じずに済んでいる。例のスマホブルブルもしばらく感じていない。
「大丈夫さ。考え過ぎても始まらない。うどんもそろそろ食い終わることだし。食い終わったら、そのへんのビジネスホテルにチェックインして、行動開始しようじゃないか」
「はい…。そうしましょう」
透けさんうどんを出た真人達は、宿を探した。
小倉駅前のアーケードは銀天街といい、歴史のある商店街らしい。
その近くにあるビジネスホテルに部屋を取ってから、真人は名刺作りに出かけた。幸い、平和通りという大通りで、セルフ名刺作りが出来る店が見付かった。
店の前で北澤に電話を架けた。
「…というわけで。ちょっと取材に名前を借りたくて。フリーライターって肩書だけなのと、バックに出版社があるっていうのだと信用度が違うもんで」
「うちの会社の人間と思われるのはまずいですね。あくまでうちの依頼で原稿を書いてるって体なら、まあ」
「それは、大丈夫です。適当に、新しい雑誌作るかもみたいなことはでっち上げるかもしれないんで、もし問い合わせがあったら上手く説明してもらえませんか?」
「まあ、ごまかすぐらいなら…。あんまりいい加減なこと言いふらさないでくださいよー? 僕がとばっちり食うのはイヤですから」
「はーい」
「念のため、取材先の名前、教えてください。備えがないと、いきなり電話が来てもビックリします」
「仙境開発って会社ですよ。ほら、白琴洞の阿賀流にある…」
「ああ。時間がかかるってこの間言ってましたけど、まだ頑張ってるんですね」
「ええ、まあ」
「ということは、今も阿賀流にいるんですか?」
「いや、実は、北九州にいるんですよ。こっちの取材も必要になっちゃって」
「ありゃ、九州ですか! 相変わらず、なんというか行動の人ですねえ。ちゃんと、安い飛行機使ってくださいよ」
「そりゃもう…えっへっへ」
北澤との電話を終えると早速、店内に入る。
会社名と連絡先だけ北澤の出版社から借り、いいかげんな偽名を入れた名刺が出来上がった。
偽名を、腹黒銭男にしようかという悪戯心が一瞬だけ浮かんで、苦笑すると消えた。
いっぽう佳澄はその間に並行して、公衆電話からコールセンターに電話を入れることになっていた。そういう仕事は佳澄のほうがいかにも向いていそうだ。
出来立ての名刺をポケットに突っ込んで真人がホテルに戻ると、佳澄はOKサインを出してきた。
適当にでっち上げた取材だったが、案外すんなりと翌日の十三時にアポがとれていた。
地域誌や求人誌からの取材はときどきあるようで、プリペイド携帯の番号を伝えただけで、それ以外は細かく連絡先を聞かれることもなかったという。
いよいよ、美奈子がいたというコールセンターに乗り込むのだ。
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