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安藤教授に改めて礼を言って、二人は研究室を出た。
「進展があったような、なかったようなだったな」
「色々分かったじゃないですか。少なくとも大学の間は、兄様は研究の人だったことは間違いないと思いますよ」
「しかも、大学に入る前から、現代科学を超える知識をすでに持っていたらしい。それの検証という側面が強かったんだな、大学は…」
「その源泉も、白琴会なんですね」
「らしいな。くそっ。どうしても老師というヤツに一回会いたくなってきた。それに、なんだい古文書ってのは?」
「なんでしょうね…。私も初めて耳にしました」
「シャンバラのオーパーツでもあるっていうのか? いよいよオカルトめいてきたな…」
ホールまで戻ってきたところで、真人は佳澄に訊ねた。
「さて。これからどうする? 東明大でまだ探ることがあるかな?」
「それなりの戦果はあったと思います。引き際も肝心かと」
「それに俺は、脳みそが疲れた」
佳澄が腕時計を見た。もうすぐ昼時だ。
「じゃあ、軽くご飯にしませんか? ランチで糖分補給しながら、少し考えを整理しましょうよ」
「賛成」
「学食で食べます?」
「いやあ…。せっかく君と外に出てるんだし…。東京のちゃんとしたランチに連れてくよ。そのぐらいはジェントルマンらしいこともさせてくれ」
「あ、ありがとうございます」
東明大を出て、駿河台方面に真人は歩いた。真人の大学は御茶ノ水ではなかったが、サークル絡みでときどき歩いたことはある町だ。
歩いていると、見覚えのある看板を見かけた。
「あ。ここ、どうかな? キッチンゴロー。洋食の店なんだ。値段も手ごろだし」
「私はどこでもいいですよ」
「じゃあ、決まり」
真人はキッチンゴローのガラスドアを押して入った。
カウンター数席に、テーブルも四つほど。こじんまりとした店内に、食欲をそそる油の香りがする。
正午にはまだなっておらず、席はまばらに空いていた。
佳澄と向かい合って席に座る。
「ハンバーグ、ミックスフライ…。洋食屋さんって感じですねえ。オムレツはないんですね?」
「うん。東京にいた頃、ちょくちょく来てた店なんだ。肉とフライが中心かな」
「オムレツがあったら、本多さんに萌え萌えキュンしてあげたのに」
「そういうのは、もうひと駅先のアキバでやりなさい」
「えっ。そうなんですか? アキバ、隣なんですか?」
「そうだよ。このへん、駅間近いから、歩いても十五分ぐらい」
「へえー。あとで行きませんか? 一回、アキバって、行ってみたかったんです」
「あ、あのねえ。俺達はこれでも潜伏の身だよ? そんな、観光気分で…」
「言ってみただけですよー」
佳澄は頬を膨らました。
「それで? 本多さんは、何がおススメですか?」
「そうだなあ。なんでも美味いけど、帆立ミルクコロッケが絶品なんだ。ミルクコロッケとスタミナ焼きの盛り合わせなんかいいんじゃないかな」
「分かりました。じゃあ、ハンバーグと唐揚げの盛り合わせで!」
「おい、俺に訊いた意味ッ!」
結局、真人がミルクコロッケとスタミナ焼きの盛り合わせを頼んだ。
真人は、正面に佳澄の顔があってもごく普通に食欲がある自分にも、周囲からの佳澄への眼をまるで気にしていない自分にも、内心で驚いていた。しかし同時に納得もしていた。
東京に戻ってきてから、佳澄は疑いようもなく真人の心の支えであるし、秘書然としたキレのある行動は頼れるパートナーとして申し分がない。
それに、この雰囲気。
佳澄から漂う雰囲気は、いよいよ真緒と同じような安心感を感じさせるようになってきていた。
それだけに、真人の心中は複雑だった。これで綺麗な、あるいは可愛らしい容姿だったら、佳澄はどれだけ魅力的な女性だったのだろうか。
もちろん佳澄は顔のインパクトを除けば魅力的であるし、努めて無心でいるようにしているが、顔を見なければ、佳澄のうなじ、腰回り、ヒップ、それに、もちろんささやかだが確かにある胸の膨らみ。
これだけ行動をともにしてくると、いやでも女性を感じずにはいられない。その顔さえも、慣れてくればあばたもえくぼとも思えて来なくもない。
だが、真人がそんなことを考えること自体、上からモノを考えているのであって、佳澄に対して失礼なことだ。
まず見た目から。そんな捉え方をどうしてもしてしまう、昔から変わらない自分がどうにも疎ましかった。
料理が来るまでの間に、真人はコップの水を軽く飲んだ。
「どうしました、本多さん。難しい顔ですね」
「い、いや…。え、えっと、さっきの安藤教授との話なんだけど!」
佳澄は、真人が本心と違うことに話を持っていこうとしていることに気付いたのか気付かなかったのか、何も言わなかったが目で続きを促した。
「白琴会は、何か狙いをもって、兄様と、美奈子さんと理沙子の三人を、東明大に送り込んだ。当時も今も、国内の私大ではトップクラスだからな。でも、単に勉強をさせたというより、正しさを確かめさせる復習のような扱いだったのかもしれない。兄様の場合で考えれば、兄様は東明大に来た時点ですでに当時の学界を凌駕していたわけだから」
「兄様がそうだったということは、美奈子さんや理沙子さんも、同じような成果を得て阿賀流に戻ったんでしょうね」
「そういうことだよな。しかし、それが白琴会の教義とどうつながるのか。あるいは仙境開発と」
「どうやら例の装置は、兄様や理沙子さんの研究と関係してそうですよね」
「美奈子姉ちゃんの、コミュニケーション研究はどうなんだろう。無関係に思えるけど、何か俺達がまだ知らないだけで、意味があるんだろうな、きっと」
「青い目の人達も、そうですよね。この三人が東明大で学んだこととは、直接は関わりがないようです。でも、確かに青い目の人達は存在する。普通の人間をああしてしまう技術か何かが、阿賀流には眠っている」
「うん…。それに、東京を出るときには兄様は白琴会に反発心を持っていた。どこでなぜ転向したのかが、まだ分からない。それどころか、兄様は転向した後にミイラ取りがミイラになってまた変節して、白琴会の幹部にまで上り詰めてしまった。肉体的にも、青い目の怪人に代わってしまって」
真人は、最後は獣のようになって地底湖に落ちていった兄様のことを思い出し、身震いした。
いったい何が、兄様の人生をそこまで狂わせたのだろうか。
阿賀流に戻ったとき、兄様は何を体験したのだろうか。美奈子は、それを知っていたのだろうか。
「やっぱり次は、美奈子姉ちゃんだな。真緒の行方につながる手掛かりとなるか分からないが…」
「ですね。行きましょう、北九州へ。美奈子さんの足跡を追って。きっと、調べようはありますよ」
「ふふ…。君が言うと、上手くいきそうな気がしてくるよ」
「お待たせしましたー」
料理が出揃った。
真人と佳澄の議論は一時中断になる。
「いただきまーす」
早速、ミルクコロッケにフォークを突き刺して口に放り込む。
「おわっちっち!」
すっかり忘れていたが、キッチンゴローの帆立ミルクコロッケは中が超絶にアツアツで美味いのだ。
思わず真人は口を開けてヒーヒーと息を吐いた。
そんな真人の様子を見て、ハンバーグを行儀よくナイフで切っていた佳澄が、ナイフを持った手で口を軽く押さえて可笑しそうに笑った。
つられて真人も、可笑しいやら熱いやらで、笑うしかなくなってしまった。
真人は思った。
決して美人でもなく可愛くもなく、むしろ醜悪な佳澄とのこの組み合わせが、周りからどう見られていたのだとしても。
束の間。ほんの束の間。
阿賀流から逃げている間の、本当にわずかな時間かもしれないが。
三十歳を過ぎていようがなんだろうが。
これは、確かに真人と佳澄の青春だった。
真人が美奈子失踪の混乱のうちに失い、佳澄が真緒を支え続けた阿賀流の日々で失っていたもの。
この後の、北九州での短い時間ともども。
決して、忘れることはない。
一生という言葉でもありきたりすぎて。
永遠に、忘れることは出来ない。
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