第十八章 ささやかな青春

第十八章「ささやかな青春」1

一日だけ身体を休めてから、真人と佳澄は羽田空港に向かった。

休みとはいえ真人は気分も高まっていて、いざパソコンに向かってみると休息も惜しんで書き続けることが出来、東明大での出来事まで一気に物語を進めることが出来た。


その晴れ晴れとした気分は翌日も続いていた。

北九州へ。美奈子がいた街へ行くのだ。


東京近辺からの場合、北九州には飛行機が最も合理的なようだ。新幹線で出るには時間がかかり過ぎて、車やバスで移動すれば一日がかりでさらに論外。必然的に飛行機、となるわけだ。


ウィークリーマンションの部屋は不在になるが、そのまま契約は続けていた。行動力の勝負だと分かっているからには、大荷物で九州に行くつもりはなく、ほとんどの荷物はそのままにしてある。金庫には拳銃さえ転がっているのだ。さすがに拳銃を持って飛行機に乗るほど真人は間抜けではない。


北九州空港には、羽田空港から直行便があるらしい。

大手の航空会社の便と思って予約してみると、どうやら地元の航空会社との共同運航便ということらしかった。


実際に羽田空港へ顔を出してみると、搭乗カウンターの先には、まるでカラスのような真っ黒な機体が待ち受けていた。航空機の機体というと、白や鮮やかな色という先入観があるだけに、漆黒の機体は印象的だった。


「スターフライアーね。初めて聞いた航空会社だ。LCCってヤツかな?」

「そんなにチケット安くなかったですよ」

「安くなかったの?」

「はい。でも、北九州にはこの会社の共同運航便がいちばん本数が多くて便利だったんです」

「ふうん…。しかし、機体が真っ黒ってなあ…」

ぶつくさ言いながらも真人は機体に吸い込まれた。佳澄が続く。


「おおっ!?」

真人は驚きの声を上げた。


機体そのものは普通のエアバスのようだが、座席のシートが普通ではない。

飛行機のエコノミークラスなど、ギシギシした粗末な板のような椅子がギュウギュウに詰め込まれているという印象しか真人は持っていなかったのだが、この機内は違っていた。


黒い革張りのシートが左右三列ずつ奥まで続いている。二人の席は窓際の二席で、隣は空いていた。

座ってみると、男の真人でも狭さを感じることがない。普通のエコノミークラスよりもシート間隔が広めになっているようだ。

前席の背面には液晶画面が付いていて、機内広告が流れている。


「見ろ見ろ、珍しい。各席に液晶が付いてるぞ。随分リッチじゃないか」

真人は隣席の佳澄に笑いかけた。なんだかウキウキとしてくる。

「子どもですか、まったく…」

佳澄は呆れ顔だ。


やがて搭乗が完了してから、荷物の収納状況を確認している客室乗務員達の様子にどうも違和感があって、その正体を思案していた真人だったが、すぐに思い当たった。

「ほー。そうか。みんなスラックスなんだ」

客室乗務員というとスカートにタイツだろう、と勝手に真人は思い込んでいたが、この会社の客室乗務員は、みなパンツスーツ姿だ。黒塗りの機体といい、革張りのシートといい、実に個性的な航空会社だ。


スタイルの良い脚とヒップがスッスッと行き交う様子に、真人は鼻の下を伸ばした。

二十代の頃まではまず女性の胸に目がいっていたのだが、どうも三十代になってから、ヒップに先に目がいってしまうようだ。

そんな真人の下心を知ってか知らずか、佳澄は静かに窓の外を見ているようだった。


ほぼ定刻に、機体は動き始めた。

離陸に向けて滑走路を走り出すと、目の前の液晶画面が切り替わる。いわゆる安全上の注意云々という退屈なビデオが流れるのだろう。

と思っていた真人は、流れ出した映像に我が目を疑った。


画面には突然「スターフライアー忍者」なるアニメーションが映し出された。何人もの黒装束の忍者が踊り、駆け回りながら安全上の注意を大真面目に説明しているではないか。


ビデオが終わると、自然に、真人と佳澄は感想を述べあった。

「なんだったんだ、これ…」

「面白いですね」

「面白いけどさあ…」

「私は好きですよ」

「いや、俺も好きだけど。なんというか、すごいセンスだな…。嫌いではないが、インパクトが物凄かったよ」


「もう一回見てみたくなっちゃいました」

「じゃあ、帰りもスターフライアーにしろってことだろう。うまいなあ。微妙にファンになりそうだ」

「あ、でも、パンフに書いてありますよ。来年から忍者終わるそうです。ジャズホールに変わるそうですよ」

「そうなの? それは残念だなあ。このセンスは大事にしてほしいもんだ」


やがて機は離陸した。

幸い天気は安定していて、たいした揺れもなく静かな飛行だった。

東京上空から、見る間に神奈川県の上を通過する。

ほとんど芥子粒のような密集した建物の間を、ときどき川や高速道路の曲線が横切り、ぽつんと厚木基地の広大な敷地が目に入った。

そのより南側には相模湾から太平洋が静かに広がっている。


「飛行機に乗るたびに思うけど。人がゴミのようだと言いたくなる誰かさんの気持ちも分かる。地球って広いよなあ」

「その中で、人間なんて地面に張り付いて生きているだけですからね。神様の視線で見たら、本当に、人が蟻を見るのと同じように見えるんでしょう」

「そうだよなあ…こんなに広いのに、どうしてこんな狭いところに巣を作って生きてるんだろう。人間って生き物は、すごいようで、すごくない」


あっという間に眼下の景色に緑や茶色、ゴルフ場だろう、だ円形の粒々が増え始めた。

富士山の横を通り過ぎる頃には、窓の外を見ることにも飽きてきて、真人はウトウトし始めた。

隣の佳澄は眼を閉じて音楽でも聞いているようだ。


シートベルトサインが消えてから一時間足らずで、高度を下げ始めるアナウンスが流れた。

阿賀流に移動したときにも感じたこの不思議な逆転現象。

東京から北九州は千キロ近い距離があるはずだが、わずか二時間もあれば移動できてしまうのだ。

空港までの移動と、空港での手続きのほうがよっぽど時間ががかかるとは。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る