エントランスの棟から廊下を抜け、真人と佳澄は学内図書館にやってきた。

講義中の時間帯だ。館内に人影はまばらで、その多くは次の講義までの空き時間を潰している学生のようだ。


佳澄は、さも通い慣れているふりをしてカウンターは素通りし、ここでもまずインフォメーションボードに近付いた。真人はそれに続く。


ボードの横に、検索端末が設置されていた。

佳澄は几帳面にも操作方法の説明書きをじっくり見ているが、真人はしれっと端末に近付いて触ってみることにした。

試みに、清水雅俊、と兄様の名前を入れて検索してみたが、画面には何も出てこない。


「ここ、端末に注意書きがありますよ」

と佳澄。

「開架書庫はオープン検索ですけど、閉架書庫の検索には学内のIDが必要…」


「ちっ。ほんとだ…。非公開の論文なんかは閉架にあるんだな」

「あ、オープンになっているのは博士論文だけですよ。学生の修士とか学位論文は閉架ですね」

「そうなのか。どうするかな…。兄様の何かがあるなら、むしろそっちのほうだよな」


「ちょっと、待っててください。わけないことですよ」

佳澄は端末を離れ、書架を通り、自習席のほうに歩いて行く。


初冬のお昼前。暖房もよく行き渡り、室内は程よい暖かさで。

広げたノートを枕にして眠っている学生がいた。


佳澄はその横をすっと通って戻ってきた。


真人に身を寄せると、カードをすっと差し出す。

「お、おおい。これ…学生証じゃないか」

「はい。あの子の。学生証がそのままIDカードになってるみたいですから」


「やれやれ。悪だなあ、君は」

「本多さんのためですから」

と、佳澄、火花が出そうなウインク。

「あいよ、ありがとう。まあここは素直に受け取っておくよ」


拝借したIDカードの番号を端末に入れると、閉架データの検索画面に入った。


「著者…ジャンル…。検索設定、何で探そうか」

「共著の場合なんかもあると思いますからね…」

「じゃあ、『宇宙』辺りをテーマで、清水とか安藤で、あいまい検索してみるよ。


検索結果の一覧が表示される。


「ん…。これ…」


安藤慶介の名前で、それらしき書籍名が一覧に出てきた。

出版社が東明大出版局となっているだけに、間違いないだろう。


『宇宙創成とインフレーション入門』


「いかにも学生に講義で読ませそうな本だな。インフレーションって、あれだろ? ビッグバン直後の、宇宙がぐわって急に大きくなったっていう…」

「本多さんも良く知ってますね」

「まあ、地底信仰だの宇宙論だのオカルトだの、少しはかじっているんだ。行き着く先が物理学となるとさっぱりだけどね」


「安藤教授は、やっぱり宇宙研究なんですね。兄様はその研究室にいたことがある、と」

「そういうことだよな。あの兄様が、宇宙ねえ…。まあ確かにあの挙動はまるで宇宙人みたいだったとも言えるが…」


「案外そうなのかもしれませんよ」

「え? 何が?」

「いえ…。宇宙人とか、UMAとか。宇宙人なんかじゃなくて、兄様のような…」

「あ! …つ、つまり人類から派生した亜種みたいなものだっていうのかい?」


「い、いえ。そこまで確信じゃないんですが…。ふと、急にいま思い付いたことなんですけどね。インスピレーションというか…。私は阿賀流に昔からいたから、阿賀流の変貌も見てきたから、宇宙人なんかじゃないって分かりますが。全く知らない外の人が、今の阿賀流をみたらどう思うんだろうって。エイリアンに侵略された村みたいに思っても不思議はないのかもしれません」


真人は手を止めて、佳澄が何気なく言ったその指摘をつかまえた。

「エイリアンか宇宙人か、あるいは物の怪のたぐいか…。なんとでも表現は出来るけど、その捉え方は興味深いな。オカルト界には、エイリアンは宇宙からではなく、すべて地球内部の空洞からやってきているって説があるんだ。阿賀流の青い目の連中を地底人の一種として考えると、妙に辻褄があってくるじゃないか」


「宇宙と阿賀流が、おかしなところでつながるんですね…」

「今の段階では、何も根拠や証拠はない、ただの空想か妄想めいたこじつけに過ぎないけどね」

「いえ。思考が刺激されている感じはしますよ。何かがもう少しでパッと花開きそうな」


佳澄はそう言いながら、真人に代わって端末を操作する。

さらにリストをたどると、一行、探していた名前があった。

「佳澄ちゃん、待った。あったぞ。清水雅俊だ。学位論文…卒論か」

「あ、これですね。詳細表示します」


「なになに…。『未知エネルギーの次元流出について』だと? なんのこっちゃ」

「なんだか急に、宇宙と離れたように見えますけど…」


表紙のスキャン画像と別に、論文の梗概が、一画面にまとめられていた。

真人と佳澄は梗概にざっと目を通してみた。


「えーと…なんだ…。つまり…どういうことか分かる?」

「これは…暗黒エネルギーのことですね」

「暗黒エネルギー? なんだそりゃ。まるでひと昔前のRPGじゃないか。厨二病だな」


「ところがこれが、大真面目な現代最新の宇宙論なんですよ。兄様のこの論文の主旨は、概念は大雑把ですが暗黒エネルギーのことを言っているようです。でも、そうなると気になりますね」

「何が気になるの? どうして兄様が厨二病になったか?」

「い、いえ。学位論文ということは、兄様が大学卒業の頃。三十年は昔のものですよね」

「えーと、兄様が五十代として、卒業が二十二歳としたら、そんなもんだな。三十年前っちゅうと…八十年代半ばか?」


「でも、暗黒エネルギーの概念は、ぼんやり言われ始めたのが九十年代なんです」

「なに? えーと、兄様が、学会で暗黒エネルギーのことが言われるよりずっと前に、同じ仮説を発表してたってこと? 大学の学位論文で?」

「そうなりますね」


「いやいやいや。学界のことは分からんけど、それはすごいことなんじゃないの?」

「ですよね…。これは、安藤教授にますます会ってみたくなりました」

「だな。んでさ、だいたい、どういうことが書いてあるのか…?」


「いま私達が見ている宇宙が、宇宙のすべてではない。いまだ人類が観測できないものが90%以上もある。これらはエネルギーか物質のどちらかで、五次元以上の世界に実体がある。我々が観測しているものは、それが四次元空間に染み出しているほんの一部の射影ではないか。つまりこういう仮説を主張しているようですね」


「ま、まとめをありがとう。まあ、俺にはやっぱり良く分からないが、たいしたもんだ。よくパッと見ただけで分かるな」

「阿賀流であの装置の疑惑から、きっとこういうことだろう、っていうのを、お母さんと調べていましたからね」

言いながら、佳澄は難しい顔をしている。


「で、えーと、もうちょっと佳澄ちゃん流に、俺の頭でも分かるように大雑把に噛み砕いてくれないか?」

「え? 本多さんの頭を噛み砕くんですか?」

「そうそう。って、出来るか!」

「冗談です」

「あのねえ…こういうときに」

「こういうときだから、ですよ」

佳澄は笑った。

「本多さんの鼻息が荒くなって、目がテレスドンの目になってきてますから。あんまり、根を詰めすぎないほうがいいですよ。リラックス、リラックス」

「むう…。なんかサカリのついた獣みたいな言われようだなあ」


佳澄はうって変わって真面目な表情になった。じっと真人を見つめてくる。

「いいですか。いま私達が知っているこの世界は、世界そのもののほんの一割にも満たなくて。目には見えないし感じることも出来ない何かが、まだ世界の九割を占めているんです。兄様の仮説では、その残りの九割は、いま私達がいる四次元宇宙よりも高い次元にあるんですが、私達が認識出来る時空は四次元までなので、その正体が分からない、ということになります」

「ふーん。やっぱりちんぷんかんぷんだ」


「世界というものの九割以上は、人間がまだ認識したことさえない。でも確かに存在するんですよ」

「それってさ、異次元世界が、この世界の他に九倍広がってるってこと?」

「いえ。この場合の多次元というのは、SF的な意味での異次元の概念ではないですね。確かに今この瞬間もその残り九割はここにあります。でも人間にはそれは認識出来ていない、ということです」

「ふうむ…」


「たとえば無色無臭な気体…空気のようなものは、知識として『ある』と知っているからあると分かっていますし、観測できるからあると分かっていますが、観測手段がなくて知識もなかったら、私達の身の回りに空気なんてものがあるとは気付かないと思いませんか? 世の中を形作っているものは固形物と液体しか存在しない、と考えませんか?」

「ああ、なるほど。目に見えなくて臭いもしなければ、そもそも『ある』ことに気付かないわけだ。って、ええっ? じゃあなにかい、あと九割も、なんだか分からないものがこの空間を満たしているってこと?」

「そうなんです。私達が観測できているこの世界は、世界の一割だけなんです。あと九割はどうなっているのかまったく分かっていない…。私達の身体も、あと九倍、今も何かの物質やエネルギーが通り抜けているけど気付いていない…」


理解困難な思考に、唸るしかない真人だった。

佳澄はそんな真人を察してか、続けた。

「安藤教授という先生なら、もう少し入門的なところからうまく説明してくれるでしょう。でも、気になりますねこの考え方は…」


「何が?」

「いま私達がいる世界や次元とは別の次元からもたらされるエネルギー。目には見えない、感じることも出来ないが確かにここに存在している…。思い出しませんか? あの装置のことを」


「…あ。そういうことか。あの装置。自分の認識できない可能性の世界が無数に広がっているっていうイメージには、通じるようにも思えるな。統合に失敗した真緒の存在が、この世界ではないがどこかにいってしまったというのは…そういうことだという仮説も有り得る」


「あの装置と、この論文と…。ただの偶然だと思いますか?」

「いやあ。仮にも白琴会の命を受けて東明大にわざわざ来ていたんだ。偶然は何一つないんじゃないかな。すべてつながっているんだと俺は思うね」

真人は佳澄とうなずき合った。

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