佳澄が、寛子の名前の横に兄様を足して、兄妹として線をつなげた。


兄様(清水雅俊)


「どうでしょう? 兄様は亡くなったと思いますか?」

「そう思いたいけどな。あの深い地底湖で、水温だってきっと一桁だろ? いくらああいう生き物になっていたと言っても…」

「そうですね…。でも、確信は持てません」

佳澄は暗くつぶやき、兄様の名前の前にクエスチョンマークを付けた。


「兄様…清水雅俊、か。美奈子姉ちゃんの少し年下。同じ大学の理系学部に通っていた。大学は…東京だよな。東京、東京か…」

「何を考えていますか、本多さん?」

悪戯っぽい目で佳澄が真人を見る。

「俺達が今いるのは?」

「東京です」


「行ってみるかい?」

「賛成です。大学でしたら、人の出入りが多い時間帯なら紛れやすいでしょうし。リスクは低いと思います」

「じゃあ、行動の候補だ」


「本多さん、少し楽しそうになってきましたね」

「え、そうかい? 何をすればいいか迷っていた昨日までを考えればね。やっぱり人間ってさ、目標とか、自分が明日何をすればいいんだろうとか、そういうことが見えないと気が弱くなるらしい」

それを聞いた佳澄が微笑した。


「ほら、君だって。楽しそうな顔になってきた」

「私は…本多さんが行動のアイディアを出してくれるのがうれしいんです」

「はあ…」


「昨日までの本多さんのことは、本当に心配したんですよ」

「あ、ああ。あれは、すまなかった。自分でもおかしい気分だったよ。君がいなかったら俺は思い詰めてどうにかなってたかもしれない」

「い、いえ。私こそ。東京では本多さんが頼りですから。本多さんには元気でいてほしいです」

「ああ…。本当に、ありがとう」

「いえ…そ、それで。兄様ですが」

「あ、ああ。兄様」


「阿賀流に戻ってからは、白琴会と仙開の二足のわらじで。老師に心酔していたようです」

「その辺りのことは、以前に聞いたな。最初は白琴会をむしろ壊そうというか敵対心があったのに、だんだんのめり込んでいった、と」

「はい…」

「阿賀流に戻ってから、何があったんだろうな。あんな、人間ではない化け物みたいになってしまうほどの」


「そうだ、それも大事なことですね。あの人達…。いつの頃からか、出家した人達の様子がおかしくなったんです。いったいあれはなんなのか」

「人間が何をしたらああなってしまうのか。日の光を嫌う…まるで怪奇映画の世界だ」

「シャンバラを作ろうという白琴会の考えから帰結するものなのでしょうか」

「そりゃ地底のユートピアなら、ああいう生き物でも困らないだろうけどな。新人類でも産もうというのか」


「兄様の資料には、あの祭壇の地図と同じメモリーに、他にも入ってるデータがあります。それをじっくり調べていけば、もう少し何か分かるんじゃないでしょうか」


真人はうなずいた。少しずつ、ほんの少しずつだがそれでも確実に、自分たちがするべきことが整理され、道筋が見えてきている。

「分かった。メモリーの中身を検証することも課題だな」

「はい」


真人は首を回した。ノートに出来上がってきた人物相関図と睨めっこをしていて、少し首周りから肩が強張った感じがしている。


「あと、ここに書いておくとすれば。次は…兄様と対になる、黒澤さんかな」

真人がつぶやくと、佳澄がノートに名前を記した。

白琴会の面々を書いた辺りからは反対側。真人の近くに線を伸ばし、協力関係を示すようにした。


黒澤秀樹


「黒澤さんは、今のところ俺達の頼みの綱だ」

「そうですね。白琴会から東京に逃げてこられたのは、黒澤さんの力添えあってでした」


「黒澤さんは、仙境開発の通販部門事業部長で。白琴会とはあまり仲がよろしくない。敵対していると言ったほうが正しいんだろう」


「黒澤さんは、兄様と同じぐらいのお歳ですよね」

「たぶんね。いくつだろう。五十代かな」


「考えてみたことがありませんでしたけど、お子さんとか、いらっしゃるんでしょうか」

「いや、そういえばそれ以前に、結婚してるのかな」

「そういう雰囲気はまったくしませんでしたけど…」


「だよな。まあ普通に考えれば所帯持ちだと思うけど…そんな感じがしないよなあ。黒澤さんも不思議な人だ…。決して100%俺達の味方というわけではない。とはいえ、まあ当面は俺達は黒澤さんと協力し合う必要がある。助けられたしな」


「黒澤さんにとっては、今回の出来事は吉でしたね」

「そうだ。そのためにあれこれと俺達に警告したり助言したり。結果として兄様が消えれば、社長の理沙子が残っているとはいえ黒澤さんにとっては願ったりかなったりだ」


「仙境開発を白琴会と関わりがない会社にしたいんでしたね」

佳澄が、黒澤の名前の場所から、老師の水谷史郎まで点線を伸ばした。


「元々は、仙開さんの会長、つまり当時の夕鶴の社長である老師が招へいした人です。それから仙開の業績はうなぎ登りですけど、白琴会と関係が深い古参の人からすると面白くなかったのかもしれませんね」

「特に宗教が絡んでいれば、内部の家族的つながりのようなものは強いだろう。そこに社長と兄様のグループからすれば外部の血が、突然入ってきたわけだから」

「でも実績がモノを言っているわけですね。黒澤さんが仙境開発を大きくした立役者で、村の経済を支えるような大きな会社にしたっていうことは、阿賀流の大人ならほとんど誰でも知ってる話です」


真人はふと考えこんだ。

「あれだな、あの祭壇のアイディアは黒澤さんが出したとか、兄様が言ってたよな。仙開の事業と何の関係があるんだろうか。黒澤さんが、仙開のために経営的アイディアや技術を用意して、それを白琴会が横取りか何かで利用する。そういう構図は考えられる。でも、ちょっと妙だな。あの祭壇は…なんつったっけ、精神を統合するだか転送するだか」


「精神が溶け合う装置。量子もつれを利用して人のデータを統合すると言っていました」

「そんな妙ちくりんなものが、仙開の事業になんの関係がある? 仙開とは無関係のアイディアだったのか?」

「あるいは、黒澤さんの意図と違う形で、白琴会が使ったんでしょうか」


「分からんな…。それも疑問点だ。そう、あとなんだっけ、ラ・フランスがなんとかって言ってた」

「ラプラスです」

「ああ、それそれ。ラプラスって…ラプラスの悪魔のラプラス?」

「そうですね」

「それ、名前だけは聞いたことがあるけど。なんのことだい?」


「ラプラスは、ナポレオンに仕えた数学者ですよ。偶然や確率論を否定して、すべての物事のデータを正確に知ることが出来れば、未来に起きることはすべて予測できる、って、そういう考え方をした人です。たとえばサイコロを振ったときにどの面が出るか。普通は確率で六分の一が偶然出ると考えますけど、サイコロの大きさ、重さ、転がす床の材質、硬さ、転がし方、力の強さ、そういうあらゆるデータさえ分かっていれば、どの目が出るかはあらかじめ確定できるって、そういう考え方です」


「理屈の上では、スパコンでも使ってシミュレーションすれば出来そうな気もするな」

「でも、それをどこまでも突き詰めて正確に割り出そうと考えていくと、宇宙の始まりまであらゆるデータを知っている必要があります。そうすると、そんなことが出来る存在は、過去現在未来のあらゆる事象を瞬時に正確に把握している絶対的な知性だ、といえます。その仮想存在を、ラプラスの悪魔、というんです」


「ふうむ。それって、神はサイコロを振らないとかなんとかって名言と関係ある話?」

「それ自体はアインシュタインの言葉ですね。似たような話ではありますが。ラプラスの悪魔も神様みたいな知性体のことですけど、でもラプラスの悪魔は、すべてが分かっているとしても、それを変えることは出来ません。ラプラスの悪魔自身は、自分が死ぬ未来のことを知っていても何もできない。過去から未来まで、すべてのことは決まっているからです」


「…なんだか難しいな。良く分からなくなってきたぞ。じゃあ、そのラプラスの悪魔が全部のことを知っていて、歴史か何かを変えようとするとしても、それ自体もあらかじめ決められているってことになるのか。そうすると、ラプラスの悪魔の存在そのものも決定事項になるわけだから、未来をそう決めたのはラプラスの悪魔以外の誰かだよな。誰なんだ?」

「それが、神様なんですよ、きっと」


「うーん…。哲学だね。しかし、おばさんもそうだったけど。佳澄ちゃん、君はよくそういうことを知ってるもんだな。学校でそんなこと習ったか?」

「ふふ、習っていませんよ。必要に迫られて勉強したんです」

「ふうん…必要、ねえ…。しかしそのラプラスが、どう白琴会に関係するっていうんだ。それに、なぜ黒澤さんがそんな知識を持っていて、白琴会に持ち込んだんだろうな」


「兄様の、統合とか復号という言い方と合わせると、量子テレポーテーションのことじゃないかとは思うのですが。どんなに遠くの情報でも瞬時に伝わる、その考え方は、ちょっとラプラス的だと思うんです。でも、そうです、不思議ですね。それをなぜ黒澤さんが…。黒澤さんは物理学でも専攻していたんでしょうか…」

「それは兄様のほうじゃなかったのか? おかしいな。で、量子テレポーテーションって、なに?」


「それは…私もたいした理解ではないですが…。量子力学というミクロな物理学の世界では、理論的には一瞬でテレポーテーションのようなことが可能だと言われてるんです」

「テレポーテーションって、あのテレポーテーション?」

「はい。これは、お母さんのほうが調べていましたから、ちょっと私も、お母さんのメモリーをもっとよく調べてみます」

「ふむ…。頼むよ。意味不明になってきた」

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