7
黒澤は二人を仙境開発の中に招き入れた。
廊下を少し進んだところで、袋小路に行き当たった。
見学をしたときの記憶を辿ってみたが、ロの字の内側、真人が知らない場所のようだった。
「ここの研究室を使う。ロックは生体認証で、俺と研究員の一部しか入れない。社長でさえここには入れないんだぜ。灯台下暗しでな、少しの時間なら、白琴会に見付からないためにベストな場所だろう」
黒澤に続いて真人と佳澄が研究室に入ると、部屋はロックされた。
めいめいが手近な椅子に腰かけた。
佳澄と真人は、黒澤がどこからか出してきたタオルで全身をぬぐった。
「大冒険だったようだな。様子を見れば分かる。あの着歴から、渡辺君を動かしたところまでは良かったが…。いま起きていることを、改めて手短に話してもらえないか」
真人が、防空壕からここまでの出来事を聞かせる間、黒澤はいちいち頷いていた。
話が終わると、黒澤は左の手の平に右拳をパチンと当て、立ち上がった。
「そこまで白琴会は攻めてきたか。本多君、いいか。今までと違って、君が逃げ出した後にも白琴会が強硬な行動をとってきたということは、おそらくもう一人、つまり伊藤君は確保されている」
「…そう、それだ。おばさんも言っていたが、やはり黒澤さんもそう思うのか?」
「強硬手段に出てきているということは、そういうことだ。シャンバラの儀式がうまくいけば、彼らは一段階先のフェーズに進む。儀式は必ず二人一組で、今回は君と伊藤君がターゲットだ。君達の前は、水谷美奈子と理沙子の双子がターゲットだった。二十年ほど前のことだ」
「俺達が巻き込まれたというのが、それか。しかし黒澤さん、あなたも良く知ってるもんですね」
「まあな。敵を知るのは戦いの基本だ」
黒澤は冗談めかして言い、続けた。
「もともと、白琴会は別のことをやっていた。青い目の超人は見ただろう? 昔話でいうところの鬼だよ、あれは。あれを生むことが昔の白琴会と夕鶴のやり方だったといってもいい。だがな、俺はアカリ虫を使ったビジネスにこそ白琴会の資源を有効活用したかった。だからな、『儀式』とやらで、もっと違った形の超人を生むことに社長や清水がのめり込んでくれるなら、俺はその裏でビジネス面の実績を着実に上げていく、そう考えた」
黒澤は淡々と語る。
「俺はその頃の夕鶴、つまり今の仙境開発に乗り込み、アカリ虫はビジネスとして展開することを提案した。宗教的な組織力は経済活動にこそ使うべきなんだ」
「つまり…宗教組織の団結力や忠誠心を経済活動に還元しようと考えたのか?」
「その通り。白琴会は…いや、老師はといったほうがいいのかもしれない。人間を超える超人を産もうとしている。そうすることで悲願を達成できると考えているんだな。時代遅れの妄想なんだが。俺はそんなことはどうでもいいし、青い目の奴らが人間なのか怪物なのか、どうやって生まれているのか、そんなこともどうでもいい。ただ俺は阿賀流の経済のことだけ考えていたんだよ。あんな化け物ではなく、サプリのほうが富を生む。俺はくだらない宗教や神様なんて信じちゃいない」
真人は不快感を隠そうともせず鼻息を鳴らした。
「そういう考え方は勝手だけどな。俺は、そんな政治的な駆け引きに興味はないんだ。そんなくだらないことで俺や姉ちゃんの人生は振り回されてきたのか? それに、真緒も…」
「すまんな。君達は巻き込まれた形になる。意図していなかったとはいえ。水谷の双子を使うシャンバラの儀式は失敗した。どうも、清水君が糸を引いていたんじゃないかと疑っているがね。清水、それから社長は、今度の儀式を成功させたがっている。そうすれば俺は確実に失脚し、白琴会と仙開の実権が俺に奪われることはなくなるからな。儀式に執着しているんだよ清水は。だからこそ、宿の襲撃に始まって、君の確保に必死だったんだ奴らは」
「それでか、ここまで強硬手段に出ているからには、もう真緒が確保されていると?」
「渡辺君も巻き込むほどとなると、もはや彼らは日本という国家も恐れていないことになる。そこまで暴力的になるには理由があるはずだと俺は考える」
「ううむ…」
真人はうなずいた。黒澤の言うことには筋が通っている。
「本多君。俺みたいな金の亡者は不愉快だろう。だがね、少なくとも白琴会のように意味不明なオカルトめいたことは俺は考えていない。敵の敵は味方とも言うだろう? 俺に騙されて、もう少し同じ船に乗ってもらえないか」
真人は黒澤を睨み黙った。
佳澄が問いかけるように真人を見る。
「分かった」
真人はうなずいた。
「まだあなたには何かウラがありそうだし、そもそも俺がこんなことになった原因の一端もあるんだろうけど。でも、それでも、白琴会や兄様みたいな連中よりは百倍マシだし、ここまで俺達を助けてくれているのも事実だ。今は、あなたの言うことに従うよ」
「では、俺が考えていることはこうだ。いいかい、君達はしばらく阿賀流から離れるんだ。君と清水の佳澄君の二人で。今は白琴会が殺気立っていて危険すぎる。かつての水谷君もそうだったが、阿賀流から離れるほうが白琴会には見つかりにくいし、都市に紛れてしまうのが最も良い」
「水谷君…それは、美奈子姉ちゃんのことだな」
「そうだ」
「そうか…。やっぱり黒澤さん、あなたは姉ちゃんのことを知ってたんだな? 見学のときは知らないと言ってたけど」
「ああ。悪いとは思ったが、君の判断を迷わせそうなことは黙っていた。何しろ、彼女は言うまでもなく白琴会側の人間だ。当時の理沙子と同じ地位に当たるのだから、かなりの上位だな。あの後、人事データも調べてみたところだと、水谷美奈子は、東京から阿賀流に一度戻ってきていたよ。ちょうど君が言っていた十年ほど前のことだ」
「!!」
それは真人には初耳だった。
「つまり、俺をおいて行方不明になってから、一回、阿賀流に来ていたって?」
「そうだ。本人はもちろんとっくに夕鶴を抜けたつもりだったのだろうが、こちら側ではデータベースにはそのまま残していたんだな、東京に行っている間も。扱いとしては再雇用になっていた。水谷君は阿賀流に戻ってからすぐに、コールセンター部門…つまり清水君の直属になり、北九州のコールセンターに異動していた」
「北九州? 東京から阿賀流に戻って、すぐに? じゃあ、北九州に行けば…」
ここ数日で最も良いニュースのように思えて、真人の心が少し弾んだ。
だが黒澤は首を横に振った。
「君の考えていることは分かっている。行ってみたいというんだろう。だが…言いにくいことだが…。彼女は亡くなったよ。数年前、北九州で事故にあったと記録にあった」
ガツンと頭を殴られた。
「死ん…だ? 姉ちゃんが…?」
「事故の内容まではうちのデータでは分からない。もし詳しく知りたいなら地元の警察やマスコミだろう。だが、とにかくまずは東京辺りに潜伏するほうがいい。コールセンター部門は清水君の部門だ。敵の巣窟だからな。迂闊に手を出せばすぐに見付かる…」
ほとんど上の空で黒澤の言葉を聞きながら、真人は世界が揺れているように感じた。
十年、ずっと遭いたかった。
探していた美奈子が、北九州にいたことが分かったかと思うと、事故死していた、だなんて。
は、はは、ははは。
事故死だなんて、信じられるものか。
あのときハチミツトーストをかじっていた美奈子は、テレビで商社マンの事故死を見て怯えていた。
白琴会のやり口が分かってきた今になって考えれば、あれだって事故死かどうか。
「…本多さん」
佳澄が、呆然と立っている真人の腕を軽く叩いた。
「しっかり。本多さん。今するべきことだけをまずは考えて。美奈子さんは過去の出来事。真緒は今の出来事」
理屈では分かっても、感情ではそう割り切れるものではない。真人が困惑したまま苛立ち気味に見返すと、佳澄もじっと真人を見ていた。
ミス渋柿の強面だからとか、そういう次元ではない強い目力で、真人ははっと正気に戻された。
「ああ…。すまない。ありがとう。…少し自分のことだけ考えてた。真緒もだし、君だって大変なんだ。今は、俺だけのことで行動するときじゃないな。ちょっと、落ち着いて考える」
「お願い。本多さん」
真人は唇を引き締めた。
「黒澤さん、言いたいことは分かった。とにかく一度、阿賀流を離れたほうがいいんだな」
「そう、それがいい。まずは潜伏しながら、態勢を整え直そう」
黒澤がテーブルに車のキーを置いた。
「俺の車だ。俺は社用車を使うから、貸そう。あのポンコツじゃあ阿賀流から出る頃には爆発する」
「あ、ありがとうございます」
「保険は俺の分だけだから、事故るなよ」
真人は肩をすくめて苦笑した。
「それから、こんなものも要るだろうと思って持ってきたよ。案の定、君達は着の身着のままだからな。この通帳とキャッシュカード、渡しておく。俺のポケットマネーだから好きに使っていい。暗証番号は携帯の下四桁にしてある」
「うおっ…。そ、それは…。しかし、そんな、お金はさすがに自分のが…」
「まあ、大した額ではないから、うまく使い分けるといい。自分のカネこそいつ必要になるか分からないものだよ。こういうときの厚意は受け取っておくものだ」
「はあ…。では、ありがたく…」
黒澤が次に差し出したのは、ノートパソコン用のキャリーバックだ。
「それから、この中のPCも。パソコンが白琴会に盗られたと渡辺君に聞いたよ」
「そ、そうなんです。これは…助かります」
「あとは…事務所の冷蔵庫から持ってきた…。従業員の誰かの残りだからたいしたもんじゃないが、コンビニのおにぎりとサンドイッチがある。その様子だと、ロクに食事もとれてないだろう?」
「え、ええ。すみません、何から何まで」
「ありがとうございます、黒澤さん…」
真人と佳澄が頭を下げると、黒澤は手を振ってその礼を払い飛ばした。
「いいんだ。これは俺の利己的な行動に過ぎない。俺の戦略には、君達が白琴会から自由でいることが必要だ。運命共同体のようなものだと思ってくれよ。陰ながら見守ってきたのが、表に出てきただけだ」
真人はふと悟った。
「そうか…。分かった。ミスターX。あの電話、あなたですね、黒澤さん」
「ミスターX? 電話? ああ、初日のあれか。助かったろ?」
「くそっ、ずっと勘違いしていた。あれはてっきり兄様かと。でも今日のではっきりしたよ。兄様は向こう側だな」
「そうだ。俺は清水さん…彼女と組んでいた。彼女は兄妹ゆえに清水君には複雑な感情だったようだな。白琴会へのスパイ役をかってでて、俺に裏から情報をリークしていた。俺は表だって動けないことも多くてね。特に白琴会の中は、俺にも良く分からないことばかりだ。俺は仙開にしか権力を持ってないものでな。彼女には助けられた」
佳澄が口を挟む。
「じゃあ、白琴会の教義とかそういうことを知りたいなら、黒澤さんよりお母さんのほうが?」
「そうだな。だから、今は君が俺達の中では一番詳しいかもしれない。俺は宗教や信仰に興味はない。清水さんも渡辺君もビジネスパートナーであるし、白琴会も必要だから利用するだけだ。そういう意味で言えばミス渋柿も、本多君も。皆、そうだ。俺にとっては言葉を悪く言えば道具だよ」
真人はうなずいた。
「そういう考え方は、全面的に賛同出来るわけじゃないけど。理解は出来るし、今のところ信用するさ」
「それでいい。ギブアンドテイクだ。君達を逃がしたら、俺は俺でやることがある。はっきりと白琴会に宣戦布告をしたことになるからな。これから仙境開発の乗っ取りに動くし、法やら何やらのグレーゾーンに踏み出す。清水君と社長には、いよいよ退場願おうということだ。忙しくなるぞ」
黒澤はニヤッと笑った。
「夜が明けるまでここで待機するといい。夜が明ければ連中の動きも鈍くなる。夜明けとともに車を出して、高速を使えば夕暮れまでには東京に出られるだろう」
「ひとまず、ビジネスホテルか何か、素性が割れにくいところに行きますよ」
「ああ。逐次、連絡を取り合おう」
真人は黒澤に頷き、次いで横目で佳澄を見た。
「おばさん達のことは?」
「いいの、本多さん。お母さんも言ってたでしょ? 本多さんと私を逃がすために、お母さんたちはああしたんです」
「だけど…」
「すまなかったね、清水君。渡辺君と君のお母さんのことは全力を尽くす。彼女達は火事に巻き込まれたのだから、本署の警察を動かせる。渡辺君のこともあるしな。そうそう白琴会の勝手にはさせないつもりだ」
「ありがとうございます。…ね、本多さん」
娘の佳澄にそう言われてしまうと、真人としてはそれ以上何も言うことが出来なかった。
かくして、ささやかな戦略会議は終了した。
黒澤は、夜が明け次第、阿賀流を離れるように言い残し、自分は部屋を出ていった。
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