真人は、再び案内所に入った。


中にいるのは、真緒だけだ。ミス渋柿の佳澄は見当たらない。

真緒に訊ねるためにも、精神衛生的にも。色々な意味でそのほうが良い。


真緒が顔を上げ、真人に気付いた。

ぱっと笑顔が浮かぶ。


真人は釣られてつい微笑した。

真緒をみると表情が無意識に和らぐようだ。

第一印象から惹かれるものがあっただけに、彼女の笑顔は嬉しい。


と、そこではたと真緒の疑惑を思い出し、唇を引き締めた。

相手は観光案内所の受付嬢。

客相手の作り笑顔はお手の物。百戦錬磨。

すでに戦いは始まっているのかもしれない。


「おはようございます」

真緒が微笑む。


「おはようございます」

のほほんと応えてから、切り出した。

「また、色々聞きたくて」


「はい。どんなことですか? またお会いできてよかったです」

「そうだね。ほんと、会えてよかった。あの、ミス渋柿の彼女は?」

「え? 佳澄ちゃんなら今は買い出しですよ。会いたかったんですか?」


真緒の表情がやや曇る。

これは演技なのか、演技ではないのか。

いずれにしても彼女の表情変化は真人の心をくすぐる。

我ながら女性には単純だ。


だから簡単に手を出しては自分の首を締めることを繰り返してきたわけだが、いまさら自分のそんな性分が変わるわけでもない。


「いや。今日は君と話がしたかったから」

「私と…ですか?」

「イエス」


真緒の表情が微妙に変化した。

怪訝な顔に見えるが、もう少し違うプラスの感情も見えたようだ。


「新しい宿を探しに来たんだ」

「え…? 昨日ご案内したお宿は…?」


問い返す真緒の表情は変わらない。

よほどのタヌキか、本当に何も知らないのか…。


「ワケあって、別のところに変えることにしたんだ」

「何か、お気に召さないことがありましたか?」


真緒は申し訳無さそうな顔と声に変化した。

慌ててどこからかファイルを引っ張り出し、早速パラパラめくり始める。


どうも、演技には思えなくなってきたが、まだ気を許すには早い。

昨日、本当に薬を盛られているのだとしたら、あの宿の誰かが絡んでいるはずだが、そんな気配は微塵もなかった。

真人の観察眼なんてものは信じてはいけないのだ。


「まあ、ね。俺は無事だったんだけど、昨日の晩、賊に入られたらしくて」

「族? 族というと漢字で夜露死苦とか書いちゃうアレですか!?」

「いやいやいや。いつの時代だ」

「阿賀流では現役ですよ」

「あ、そう」


苦笑した真人は、本題に切り込んでいくことにした。


「つまり宿で盗みに入られたってこと。盗みというか、強盗というか」

「それは…大変でしたね」

真緒は眉をハの字にして言う。

「ご紹介した私としても、申し訳なく思います」


「それで、宿替えをしたいと思って来たんですよ」

「そうでしたか! では…」

「ああ、ちょっと待って。その前にいくつか聞いておきたいことがあって」

「はい?」


「白琴会って、分かります?」

真人は直球をぶつけた。反応を見たかった。


「白琴会ですか? もちろんです。阿賀流で知らない人はいませんよ。白琴会がどうしました?」

そう言う真緒の笑顔には屈託がない。これはなかなか手強い。


「どうも賊は白琴会らしくてね。誰かが手引きしたんじゃないかって疑いがね」

真緒は渋い顔をする。

「え、それって…」


「ああ、いやいや、お巡りさんがそう言ってたってこと」

真人はそう、少し虚実を混ぜてみた。

「だから、なんかここに迷惑がかからないといいなあと思ってね。昨日、あれだけ色々してもらったから、変に疑われたりしちゃあ申し訳ない」


「それは…お気遣いありがとうございます。でも、いいんですよ。私は、仕事ですから」

「仕事、ねえ…」

「…?」


「仕事以外の目的も何かあるんでないの?」

「え。…どういう意味ですか?」

真緒嬢、目をぱちくり。


真人はだんだん自信がなくなってきた。真緒が演技ではなく困惑しているように思えて仕方がない。

理屈ではなく直感の世界だ。


「俺が阿賀流の出身だってこと、最初から知ってたよね」

するとパッと真緒が笑顔になった。つられて真人の顔もほころぶ。


「最初からじゃないですよ。名前です。本多さんのお名前、見たから」

「名前だけで、阿賀流出身と分かるはずがないだろ。俺のことを先に知ってたってことだ」


「ええ、もちろんそうですよ」

そこまでニコニコしていた真緒だったが、急に曇り空になった。

「え…あの、だって、本多さん、本多真人さんですよね?」

「そうだよ。やっぱり、知ってたんじゃないか。いったいどこで…?」


真緒が固まった。

待つこと数秒。


「あの…。やっぱり、私のこと…覚えてないんですか?」


今度は真人が固まる番だった。

嫌な予感がしてきた。


いやいやいや。

ここ十年は活発な女性関係もあったかもしれないが、ロクに覚えていないそんな幼少期から女性を泣かせるような人間だったのか、自分は?


「私と、佳澄ちゃんと、三人でよく遊んでいたのに。私は昨日のことみたいに、よく覚えている」


真人は必死に思い出そうとした。

小学生なのか幼稚園なのか、いつの頃まで阿賀流にいたのかも分からないが、どうやらどこかで彼女とミス渋柿とお知り合いだったらしい。

それも、それなりにいわくがありそうな。


二十年後に開ける約束の思い出のペンダントの類が出てきてもおかしくない雰囲気さえしてきたではないか。


「えっと…」

真人は返答に窮した。


「そうですか…。ずっと昔のことですから。私や佳澄ちゃんにとっては時間が止まっていても、都会の人はそうではないんですよね」

「…」

なんとも答えられずに真人は黙るだけだった。


「いえ、いいんです。この話はこのぐらいで。佳澄ちゃんに怒られちゃう」

真緒のほうから引き下がったが、申し訳ないような、スッキリしないような、なんとも言えない気分だ。


気まずい空気に、慌てて真人は言葉をつなぐ。

「そ、その、俺のことを知ってたかどうかは、この際おいといてもいいよ。俺も覚えてなくて申し訳ない。それより、昨日、俺が泊まる宿のことを誰かに話してない?」


「どうしてそんなこと私が? 個人情報ですから、誰にも教えられませんよ」

真緒は曇り空から不機嫌を感じさせる顔に変化している。


「どうにも信じられなくてね。誰かが、俺のことを知らせたんじゃないかって。そうとしか思えなくて」


「私じゃありません。私が本多さんを知ってたから、変だと思ったんですか?」

真緒はそこで一息つき、表情をまた変えた。怒りの表情は消え、微妙な笑みに。

「そうですよね。悲しいというよりバカバカしいですね」


「はぁ…」

真人は間抜けな相槌を返した。真緒は何を言っているんだろう。


後ろで戸の開く音がした。


「あ、佳澄ちゃん。おかえり」

真緒が挨拶する。


ミス渋柿の佳澄が、真人の後ろに立っていた。

「あら、昨日の」


「佳澄ちゃん、少し待ってね」

真緒は、表情を引き締めて真人のほうに向き直った。

「本多さん?」


微妙なイントネーションは、「おしまい」と言うことらしい。


佳澄が加わると少々分が悪い。

それに、すでに会話の腰が砕けてしまった。

今はここが引き際なのかもしれない。


次の宿は決まっていないが、いまはそれを切り出せるような雰囲気でもない。


「一応、話は分かった。また、来るかもしれない。宿は自分で探すよ」

早口でそう言い、逃げるように案内所を出た。

真緒と佳澄の視線が、外に出る真人の背中に刺さった。

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