銀の靴はまだ馴染まない
@nanahuji
第1話
どうしようもなく、息が苦しかった。
長いお下げが風に流れる。心臓の音がうるさい。ひどい吐き気がする。目まいだってかなり、きつい。
けれど何より──銀の靴を履いた両足が、血すら流して痛みを叫ぶ。
レンガの道を駆けるにはあまりにも足になじまないそれを、何度脱ぎ捨てようと思っただろう。これがなければ家に帰れない、と分かっていてもなお湧き上がる衝動に、歯を食いしばれど痛みは引かず。
ドロシーという名の少女は一人、涙と血の跡を残しながらただ、夜のレンガ道を駆け抜けていった。
◆
「……ねえ、ちょっといいかな」
おずおずと上げられた声に、しかし返事をする者はいない。
「今漂ってる霧は……えっと、『
「……そりゃあ無理があるぜ坊主……」
「『沈黙の霧』です。ついでに言うとそれ、面白くありません」
「う、うう……」
辺り一面の霧の中、まだ若い声が響いては消える。ただそれ以外は何一つ、その場所に「音」が響くことはない。
加えて温度も匂いも何も、生きるために必要な情報がそこにはない。ただ本当にどこまでもどこまでも、真っ白な霧の中だった。
「やっぱり厳しいなあ……でも、うーん……」
生きている限りいつまでも、当たり前に得られるはずの感覚の遮断。それがどれだけの疲労とストレスを生むか、最近になってようやく知った身としては──ジョークで場を和ませるくらいなら、と思ったのは間違いだっただろうか。
青い髪をぱさぱさと振って、「坊主」ことエクスは自らを
だがその場所にはもう一人、エクスが大切に思う仲間がいる。どうやらダウン寸前らしく、エクスのジョークに反応すらしなかったもう一人を気遣うべく、エクスはくるりと踵を返し。
「タオとシェインも疲れてるみたいだし……レイナ、休憩しなくて大丈夫?」
この「物語」の主役であり裏方でもある、美しき少女へと微笑みかけた。
◆
沈黙の霧と呼ばれるそれが、エクスたちを包んでからどれほどの時が過ぎただろうか。
もしもこの世全てを海と例えるなら、「
頼りない流木が漂っていれば波にもまれてしまうように、一人で歩けばいずれ霧と同化してしまうというこの場所。うっかりして仲間を置き去りにした、なんてことが起きてはいけないのだと、エクスは仲間たちに休憩を提案した。
「はあ……つ、疲れた……」
そしてエクスの言う通り、その場に腰を下ろした少女──レイナは大きく息を吐き出す。四人で輪をつくるように座り、それぞれが休憩を取りながらも、互いの存在を確認することは
「なあお嬢、次の想区は『オズの魔法使い』の想区だったよな?」
「ええ……そのはず、なんだけど」
「なかなかたどり着けないね、おかしいなあ……」
「……姉御の方向音痴レベルは凄まじいですからねえ」
「なっ、さ、さすがに想区の方向は間違えないわよ……!」
シェインにじっと見つめられ、慌てたように立ち上がるレイナ。方向の感覚が効かないこの霧の中で、それでも何かを探ろうとしてか彼方を見つめる。
「無理すんなってお嬢、いざというときはオレがおんぶしてやるから」
「大丈夫よ、その心配はないわ」
「でもレイナ、本当に無理は……」
「大丈夫。
──『見えた』わよ」
刹那、風が吹いた。
エクスたちを覆っていた霧を後方へ吹き飛ばし、世界の狭間を溶かすように森を、黄色いレンガ道を、青い空を形作る。そうして彼らの瞳へと、何よりも先に映ったものは──
「……ッ!? ヴィランじゃねえか!」
「しかも誰か……女の子が追いかけられてる!」
エクスたちの方へまっすぐに駆けてくる、一人の少女とそれを追う異形。つるりとした黒いボディと鋭いツメが特徴的なそれは、彼らが「ブギーヴィラン」と呼ぶものだった。
「しかも……追いかけられているのは『ドロシー』よ!」
「はぁ!? まさかの『主役』のお出ましかよ!」
すぐさま臨戦態勢を取りながら、エクスたちはそれぞれの「空白の書」を取り出す。本来ならばそれは「ストーリーテラー」──それぞれの世界の創造神に与えられるはずだった「運命の書」だった。
けれど彼らの書は白紙。それが神の気まぐれか怠惰か、分かりはせずとも事実は不動。
故に彼らの書は「空白」。しかしそこには無限の可能性が宿ることを、彼らもまた熟知している!
「僕の名前はエクス。力を貸して──ジャック」
ヒーローの魂を秘めた「導きの栞」を本に挟み、互いの魂をコネクトする。そうして彼らはヒーローの力を得て、戦うための姿へと変わるのだ。
淡い光。巨木に登る少年の姿へ、エクスの姿が変化していく。
「……怖くないって言ったら、嘘になるよ」
個性と存在感と「役割」と力と──エクスの望むもの全てを、この魂は持っている。もしも何かを間違えたなら、「エクス」という存在がこの少年によって上書きされてしまうかもしれない。分かっている、分かっている。
「それでも僕はね、レイナたちに恩を返したい」
地を蹴る頃には雑念など全て、シャットアウトされてしまうだろう。だからこそ今だけは、と剣を構え──エクスは無事に変化を終えた仲間たちに目をやる。
ああ、この瞬間だけは僕も──物語に必要とされているのかな?
銀の靴はまだ馴染まない @nanahuji
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