銀の靴はまだ馴染まない

@nanahuji

第1話

 どうしようもなく、息が苦しかった。


 長いお下げが風に流れる。心臓の音がうるさい。ひどい吐き気がする。目まいだってかなり、きつい。

 けれど何より──銀の靴を履いた両足が、血すら流して痛みを叫ぶ。


 レンガの道を駆けるにはあまりにも足になじまないそれを、何度脱ぎ捨てようと思っただろう。これがなければ家に帰れない、と分かっていてもなお湧き上がる衝動に、歯を食いしばれど痛みは引かず。


 ドロシーという名の少女は一人、涙と血の跡を残しながらただ、夜のレンガ道を駆け抜けていった。





「……ねえ、ちょっといいかな」


 おずおずと上げられた声に、しかし返事をする者はいない。


「今漂ってる霧は……えっと、『神託しんたくの霧』……だっけ?」

「……そりゃあ無理があるぜ坊主……」

「『沈黙の霧』です。ついでに言うとそれ、面白くありません」

「う、うう……」


 辺り一面の霧の中、まだ若い声が響いては消える。ただそれ以外は何一つ、その場所に「音」が響くことはない。

 加えて温度も匂いも何も、生きるために必要な情報がそこにはない。ただ本当にどこまでもどこまでも、真っ白な霧の中だった。


「やっぱり厳しいなあ……でも、うーん……」


 生きている限りいつまでも、当たり前に得られるはずの感覚の遮断。それがどれだけの疲労とストレスを生むか、最近になってようやく知った身としては──ジョークで場を和ませるくらいなら、と思ったのは間違いだっただろうか。


 青い髪をぱさぱさと振って、「坊主」ことエクスは自らを叱咤しったする。いくら気遣いが空回ってしまったとはいえ、エクスにとって先の二人はかけがえのない仲間なのだ。


 だがその場所にはもう一人、エクスが大切に思う仲間がいる。どうやらダウン寸前らしく、エクスのジョークに反応すらしなかったもう一人を気遣うべく、エクスはくるりと踵を返し。


「タオとシェインも疲れてるみたいだし……レイナ、休憩しなくて大丈夫?」


 この「物語」の主役であり裏方でもある、美しき少女へと微笑みかけた。





 沈黙の霧と呼ばれるそれが、エクスたちを包んでからどれほどの時が過ぎただろうか。


 もしもこの世全てを海と例えるなら、「想区そうく」と呼ばれる小島せかいを渡り歩くエクスたちは船乗りだろう。そして沈黙の霧とは、想区と想区の間を埋める絶対かつ不可侵の壁だ。


 頼りない流木が漂っていれば波にもまれてしまうように、一人で歩けばいずれ霧と同化してしまうというこの場所。うっかりして仲間を置き去りにした、なんてことが起きてはいけないのだと、エクスは仲間たちに休憩を提案した。


「はあ……つ、疲れた……」


 そしてエクスの言う通り、その場に腰を下ろした少女──レイナは大きく息を吐き出す。四人で輪をつくるように座り、それぞれが休憩を取りながらも、互いの存在を確認することはおこたらない。


「なあお嬢、次の想区は『オズの魔法使い』の想区だったよな?」

「ええ……そのはず、なんだけど」

「なかなかたどり着けないね、おかしいなあ……」

「……姉御の方向音痴レベルは凄まじいですからねえ」

「なっ、さ、さすがに想区の方向は間違えないわよ……!」


 シェインにじっと見つめられ、慌てたように立ち上がるレイナ。方向の感覚が効かないこの霧の中で、それでも何かを探ろうとしてか彼方を見つめる。


「無理すんなってお嬢、いざというときはオレがおんぶしてやるから」

「大丈夫よ、その心配はないわ」

「でもレイナ、本当に無理は……」

「大丈夫。

 ──『見えた』わよ」


 刹那、風が吹いた。


 エクスたちを覆っていた霧を後方へ吹き飛ばし、世界の狭間を溶かすように森を、黄色いレンガ道を、青い空を形作る。そうして彼らの瞳へと、何よりも先に映ったものは──


「……ッ!? ヴィランじゃねえか!」

「しかも誰か……女の子が追いかけられてる!」


 エクスたちの方へまっすぐに駆けてくる、一人の少女とそれを追う異形。つるりとした黒いボディと鋭いツメが特徴的なそれは、彼らが「ブギーヴィラン」と呼ぶものだった。


「しかも……追いかけられているのは『ドロシー』よ!」

「はぁ!? まさかの『主役』のお出ましかよ!」


 すぐさま臨戦態勢を取りながら、エクスたちはそれぞれの「空白の書」を取り出す。本来ならばそれは「ストーリーテラー」──それぞれの世界の創造神に与えられるはずだった「運命の書」だった。


 けれど彼らの書は白紙。それが神の気まぐれか怠惰か、分かりはせずとも事実は不動。

 故に彼らの書は「空白」。しかしそこには無限の可能性が宿ることを、彼らもまた熟知している!


「僕の名前はエクス。力を貸して──ジャック」


ヒーローの魂を秘めた「導きの栞」を本に挟み、互いの魂をコネクトする。そうして彼らはヒーローの力を得て、戦うための姿へと変わるのだ。


 淡い光。巨木に登る少年の姿へ、エクスの姿が変化していく。


「……怖くないって言ったら、嘘になるよ」


 個性と存在感と「役割」と力と──エクスの望むもの全てを、この魂は持っている。もしも何かを間違えたなら、「エクス」という存在がこの少年によって上書きされてしまうかもしれない。分かっている、分かっている。


「それでも僕はね、レイナたちに恩を返したい」


 地を蹴る頃には雑念など全て、シャットアウトされてしまうだろう。だからこそ今だけは、と剣を構え──エクスは無事に変化を終えた仲間たちに目をやる。


 ああ、この瞬間だけは僕も──物語に必要とされているのかな?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

銀の靴はまだ馴染まない @nanahuji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ