ナミダノコエ

仲村 歩

第1話 intro

残暑厳しいというか、まだ夏真っ盛りの9月。

スポーツセンターにある赤茶色のトラックをスパイクが捉える音とセミの鳴き声が聞こえ。

本来なら学校は休みの土曜日に陸上部部員がインターバルトレーニングをして汗を大量生産している。

バインダーを小脇に抱え部員が目の前を通る度に手を叩くと部員が加速した。


水分補給とクールダウンを兼ねて休憩を取りタイム測定を行う。

100・200・400メートルの短距離。

800・1500メートルの中距離。

5000メートルの長距離。

その他にもハードルや障害物に競歩やリレーがトラック競技にあり。

走幅跳・走高跳・三段跳に砲丸投・円盤投にハンマー投・やり投のフィールド競技や八種競技が陸上にはある。

どちらかと言うとトラック競技の方が花形と言えば花形かもしれない。

秋にある新人戦に向けて初戦となる後輩の1年生が必死に調整をして2年と3年は調子を上げてきている。

その新人戦の為にトラックを借りているのだから真剣そのものだ。

「ラスト一本!」

顧問の立川先生の檄が飛ぶ。

マネージャーである俺はバインダーにタイムを記録していく。

「シュン。どんな感じだ?」

「良いんじゃないですか。それなりにタイムも縮まってますし」

夏休み中の自主練で皆頑張ってきたのだろう良い感じに日焼けした顔から汗が滴り落ち膝に手を当て肩で息をして呼吸を整えている。

「それじゃ、今日はここまでだ」

「有難うございました!」

「シュン、着替えに行こうぜ」

「カナやん、かなりタイム縮まってきたじゃんか」

ドヤ顔で親友であるカナやんこと金谷寿和(かなやとしかず)がサムズアップしているところを見るとかなり自信があったのだろう。

夏休みに何をしてきたかのか差が出るところだ。


シャワールームで汗を流し着替えをして集合場所の総合体育館に向かう。

一応、部長が点呼して解散場所の附属高校に戻ることになる。

疲労した顔の中にも力を出し切ってスッキリしている部員もいればタイムが思うように縮まらなかったのか浮かない顔をしている部員もいて様々だ。

「それじゃ移動するからトイレに行く奴は今のうちに行ってこいよ」

「はい!」

「シュン、行こうぜ」

「ああ」

カナやんに声をかけられ体育館にあるトイレに向かう。

体育館内は空調が効いていて涼しくそして綺麗だ。

トイレに入ると先客と部員で満室状態になっていて時間厳守なので仕方なく多目的トイレに向かう。

一応、先客がいないかドアの前で確認するとブルーの表示でオールクリアーのようだ。

低い位置にあるドアのレバーを横に引いてドアを開けると広めのトイレの中に何故だか車椅子があった。

そして、どこかで見たことがあるジャージ姿でモゾモゾと動いている栗毛色の髪をポニーテールにした女の人と目が合ってしまう。

「……な、何で」

「か、鍵ぐらい閉めろよ!」

恥ずかしいのと何故か分らないが怒りが込み上げてきて、思わず声を荒げてドアを勢いよく閉めた。

タダでさえ目つきが悪く部長や顧問から気を付ける様に言われているのに今は鬼の様な形相をしているのだろう。

そんなところにトイレを済ませたカナやんがやってきた。

「シュン、そんな怖い顔をしてどうしたんだ?」

「何でもないよ。集合時間に遅れるから行こうぜ」

「ああ、そうだな」

寸前に遇ったことを振り切るかのように歩き出すと腕を掴まれ、振り返り視線を落とすと車椅子に乗っている彼女だった。

「ちょっと待ちなさい。何か言う事があるでしょ」

「鍵が掛かって無いのを確認して開けたんだ。俺に落ち度はないだろう」

「それが年上に対する態度なの?」

「年上も年下も関係ないだろう。俺は間違った事をしていないと言っているだけだ」

いきなり見ず知らずの女の人と口論を始めたので隣に居たカナやんが訳も分からずオロオロしていると顧問の先生が騒ぎを聞きつけて走り寄ってきた。

「シュン。お前何をしたんだ」

「俺は何も間違った事はしていない。ただ、鍵が開いていたトイレを開けたらこの人が先に居て」

「まぁ、間違ってはいないが自分が男だと思ったら取り敢えず謝れ。いいな、葛城駿也(かつらぎしゅんや) 」

顧問の立川先生に言われ一呼吸おいてから頭を下げた。

「私にもいけない所があった訳だし。頭を下げてもらえたのでもう良いです」

「そう仰って頂ければ幸いです。それじゃ撤収するぞ」

立川先生に尻を叩かれ皆がいる集合場所に戻る。

帰りの道すがら先輩やカナやん達に散々からかわれたが俺は何も見ていないので適当にあしらっておいた。



週が明けて月曜日に学園都市にある京立大学附属高校に向かう。

学園都市にある学校の中でもマンモス校でその理由が京立大学と同じ敷地に有り校舎は別だが共有する特別教室や施設が沢山ある。

その為に附属高校に入れば大学生が使う施設を利用した授業などがあり、そんな事が理由で俺はこの高校を選択した。

競争率も高く難関だったけどなんとか潜り込めたというのが本当のところで休んだり授業をサボたりすればあっという間に置いていかれてしまう。

「おはよう。シュン」

「おっはー。カナやん」

後ろから声をかけられ視線を後ろにやると真っ黒に日焼けした金谷が見知ったクラスメイトと歩いてきた。

「相変わらず眠そうだな」

「ん、まぁな」

「また、勉強してたんだろ。この真面目くんが」

「真面目なんじゃないよ。勉強しないとついて行けないんだから仕方がないだろ」

ガリ勉や真面目くんなんて言われるけれどいつも成績は中の下で、部活も頑張っているカナやん達はすごいと思う。

「シュンもマネージャーなんか辞めて、俺たちと走ろうぜ」

「冗談だろ。これ以上は無理だよ。成績が下がれば他の高校に行くことになるんだぞ」

「また、冗談ばかり言って」

それは冗談でもなく親とした本当の約束で約束というより契約に近いかもしれない。

成績が下がれば即他校の公立に編入させる。

京立附属は私立故に入学金も授業料も高く、成績が下がれば直ぐに支払いを止めるということを条件にこの高校を受験させてもらった。

もちろん公立も受験したがどちらかと言うと公立がすべり止めで俺の中では京立一本でいたことに間違いない。

それでも京立附属に入学したのはハイレベルな授業を受けるためと言う理由とはまた違うところにある。


「シュンはさ、スポーツ万能なんだから推薦っていう手もあったんじゃないのか?」

「ただ体を動かすのが好きと言う域を出てないんだよ。俺のは」

「シュンが言うと他の奴が聞いたら嫌味にしか聞こえないぞ」

「そうだぞ。走らない男だもんな」

クラスメイトがはやし立てる様に駆け出していき、その先に視線を向けるとこちらを見ている大学生の姿が目に入り足が止まる。

附属高校には制服があり男子はブルーグレーのブレザーに同じ色のズボンで女子はスカートになる。

夏服の今はブレザーではなくワイシャツにバーガンディーのネクタイをして、女子はブラウスにバーガンディーのリボンになっていて私服なら大学生に間違いない。

そしてその大学生は車椅子に乗っていてこちらを向いているような気がした。

「また会ったわね。葛城駿也くん」

「その『あった』は俺からすれば遭遇の方の遭ったですよ」

「へぇ、運命だなんて思わないんだ」

「俺はそんなにロマンチストじゃないんで。それでは失礼します、先輩」

週末に練習に行ったスポーツセンターのトイレで遭遇してしまった彼女に再開してしまい、一気に体温が下がる。

何処かで見たことがあるジャージだと思っていたが彼女からすれば俺のジャージ姿も何処かで見たことがある気がしていたのかもしれないが推測の域を出ない。

栗毛色の髪の毛をおろし私服だったので車椅子が無ければ俺は彼女だと気付かなかっただろう。

気分が滅入っている所へ体育会系の元気を絵に描いたようなショートカットで私服姿の大学生が現れた。

「おはよー、真琴」

「おはよう、未希」

「あれ、朝から何か良い事があったのかな?」

「そんなんじゃないって」

一礼をして通り過ぎていく俺たちの姿を後から現れた大学生が目で追っている。

「もしかして、年下狙い?」

「だから、そんなんじゃないって」

「ああ、もしかして彼がトイレで遭遇した子なの? 運命? ロマンスしちゃう?」

「バーカ、偶々構内で会ったから声をかけてみただけよ。講義に遅れるから行きましょう」

後から来た彼女が車椅子を押しながら歩き出すとカナやんから週末の事を聞いていたのだろう。

同級生が俺の事をからかいだした。

「シュン、見たんだって」

「見てねえよ」

「丸見えだったんだろ」

確実に彼女にも聞こえたと思った瞬間に無意識に体が動いていた。

目の前の同級生の瞳が泳ぎ、顔が強張っている。

自分自身では冷静なつもりでも鬼の様な形相をしていたのかもしれない。

「見てねえって言っただろう」

「シュン、止めろ!」

俺の肩を掴んだカナやんが止めなかったら確実にクラスメイトを殴り飛ばしていただろう。

そんな事になれば謹慎か停学で両親に知られれば一発で公立行きだ。


教室に行くとカナやんに背中を小突かれた。

「シュンがあんなに感情を表に出すのって珍しいな」

「俺だって怒るときは怒る」

「それは先輩に聞こえたかもしれないからか。という事は少なからずシュンはあの先輩に興味があると」

「そんなんじゃないよ。ただ……もうこの話はおしまいにすんぞ」

担任の小林が来てホームルームが始まり、これでもう終わりだと思っていたのに。

聞き漏らさない様に集中して授業を受けるとあっという間に昼休みになり何処からともなくカナやんの周りにクラスメイトが集まり始め何かを報告している。

それを几帳面なカナやんが常に持ち歩いているノートに書き記しているのを見て何か嫌な予感がしたが気に留めずに弁当を広げて食べ始める。

「へぇ、そうなんだ」

「何がそうなんだだよ。この変態ヲタク」

「それは僕にとって有り難い称号だよ」

変態ヲタクが有り難い称号だなんて言っている時点で敬遠されがちだがカナやんはそうじゃない。

何故かと言うと多方面にネットワークを張り巡らせていてかなりの情報通で、その情報もかなりの精度らしい。

その為に片思い中の男女にとっては有り難い存在以外の何物でもないと言う噂だ。

そして情報を売ったりするのではなく貸しにして困った時に力になる事で成立していて、そこからまた情報網が広がっていく。

学生相互扶助協会・通称 御伽銀行かはたまた古典部にでてくる自称データベースか。

「京立大学1年2歳年上か。椎奈真琴(しいなまこと)さん。高校の頃の事故で後遺症から車椅子生活になり現在に至る」

「何が言いたいんだ。カナやん」

「別に、独り言だよ。建築・環境学部か」

どこからの情報か分からないが気になるのはこちらの情報と交換ということはないよな……

それでも自分には関係ない情報なので完全にスルーするが周りは俺のことをスルーしてくれそうにない。


午後からの体育は男女で別れ隣のクラスと合同で行われ男子はサッカーだった。

グラウンドにてクラス対抗のサッカーが始まり。

スポーツは卒なく熟すのを皆が知っているので交代要員の筈もなく走る事をしないのでポジションは必然的にゴールキーパーになる。

ゴール前に陣取ってボールの動きを目で追い伸びをする。

我がクラスの方が優勢なのかディフェンダーもセンターライン近くまで上がっているので殆どキーパーまでボールが来ることはなさそうだ。

前線でゴールを決めたカナやんが嬉しそうに腕を上げてこちらを見ているので片手を上げて返事をする。

相手チームからのキックオフで試合が再開されるのにフォワードのカナやんがキーパーの俺のところまで駆けてきた。

「戻れよ、試合が再開するぞ」

「あれだよ、あれ」

「はぁ?」

カナやんが指さす方を見てしゃがみ込みそうになった。

土手の様に一段高くなったところに大学の校舎がありその前に車椅子の女の子と体育会系の女の子がこちらを見て手を振っている。

そしてクラスメイトの数人がクスクスと笑っているのが見てわかり一気にテンションが下がっていく。

まぁ、テンションが下がると言ってもスポーツをしていてテンションが上がるなんてことが無いので最初から低いのだが。

それを差し引いても落ち込むと言うか、そんな俺の気も知れずにカナやんが間髪入れず茶々を入れる。

「良いところ見せろよ」

「それは残念だ。うちのクラスが優勢なのに俺のところまでボールが来ないから無いからな。それに万が一にでも手を抜けば権堂先生の補修を受けることになるしな」

「権堂の補修はさすがに嫌だな」

我がクラスの実力を身を以て知っているカナやんが渋々自分のポジションに戻っていく。

因みに体育教師の権堂の補修は我が校では先輩から教えられ恐れられているのは事実だ。

しかし、実力が上でもミスしないなんて有り得ない事で自陣まで攻め込まれ何とかボールをキープするとクラスメイトのテンションが確実に違う。

明らかにギャラリーを意識しているようだ、単純というか純粋といえばいいのか。

俺のテンションは地に落ちてイライラが募り力任せにボールを蹴りだした。


「しかし、ゴールキーパーがゴールを決めるとは思わなかったよ」

「 偶然だよ、偶然。力任せに蹴らなければと後悔してるところだよ」

「良い所を見せられた……ごめん。言い過ぎた」

「気にすんな。クラブに行くぞ」

あの後、キーパーの俺のところまでボールが数回来たがどのボールも力任せに蹴りだすとそのうちの一本が運悪く相手のゴールに吸い込まれてしまった。

結果的にその一本が決勝点になって勝つことにはなったが俺的には後味が悪いことこの上ない。

全ての授業と掃除が終わりクラブに行ってもギャラリーが居て……

マネージャー姿を見ていて楽しいのだろうか?

大いに疑問だが深く考えるのはよそう、このままフェードアウトしてもらいたいものだ。

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