Cielo 天使の心と天女のハート

仲村 歩

第1話 フォトグラフ学科

「汐音しおね、おはよう」

「おはよう。栞」

スローペースで学校に向かっているとやっと温かくなってきた海風と共に親友の若菜 栞(わかなしおり)の元気な声が聞こえてきた。

「今日から高校生だね」

「やっとここまで来たかって感じかな」

「もう、お婆ちゃんみたいな事を言わないでよ、汐音は」

「そうだね」

顔を見合わせて笑い合えるのは幼い頃から私の事を知っても変わらず側に居てくれる掛け替えの無い友達だからだろう。

校門を潜ると校庭で桜の花が優しい春風に揺られている。

体育館前に人集りが出来ているので栞と共に向かう。

クラス分けが掲示されていてお互いに名前を見つけハイタッチをして指定された教室に向かった。


息切れが治まらないまま教室のドアを開けると既に集まっていたこれからクラスメイトになる人達の視線が集まり反射的に顔が強張ってしまう。

「汐音、あそこが空いているから座ろう」

「う、うん」

窓際の空いている席に座り外を見ると七瀬ヶ浜の海が陽の光を浴びて輝いていた。

今日から藤倉高校の生徒としての生活が始まる。

周りの名前も知らないクラスメイトは緊張しながらもその瞳には期待に膨らむ輝きに似たものがあるけれど私は……

「汐音はまたネガティブ思考になっているんでしょう。不安なのは分かるけどさ」

「人生は一度きりだもんね」

「それを汐音に言われると何も言えなくなるけれど。大丈夫だよ」

「ありがとう、栞」


チャイムが鳴り教室のドアが開き静寂が訪れ颯爽と長い髪を一つに纏めた黒尽くめの侍が現れ。

まるで蛇に睨まれた蛙のようにクラスメイトの顔が一斉に引き攣った。

「ええ、これから入学式が始まるから廊下に静かに並べ。騒いだ奴は粛清するからなそのつもりでいろ」

何処からとも無く息を呑む音が聞こえ、クラスメイトが物音も立てずに廊下に並んだ。

体育館に移動すると他のクラスには緊張とともに笑顔があるのに私達のクラスメイトからあの輝きが消えていた。

開会の辞から始まり国歌斉唱。

そして入学許可の後に新入生総代の宣誓が行われ校長の式辞に始まり長い挨拶が繰り返される。

三年生による生徒代表の歓迎の挨拶の後に祝電が披露され校歌が披露され。

閉会の辞で入学式が幕を閉じる。

教室に戻っても皆は強張ったままで……


「これから一年担任になる秋川優子だ。宜しくな」

ダークなスーツを着て長い髪をポニーテールにしていて切れ長の瞳の女性だと分かるのだけど、発する言葉は乱暴で教諭だとは到底思えない。

そんな担任に促され自己紹介が始まった。

出席番号順に名前を呼ばれたクラスメイトがガチガチに緊張して次々に自己紹介をしていく。

そして私に順番が回ってきた。

「瑞樹汐音(みずきしおね)です。生まれつき身体が弱くって激しい運動は出来ませんが宜しくお願い致します」

「ああ、お前が見かけによらず心臓が弱い瑞樹か。普通の生活は送れるんだろ。特別扱いはしないからそのつもりでいろ」

「は、はい」

今まであまり言われたことがない言葉に驚いて席につく。

心疾患の子どもは心臓で余計にカロリーが消費されてしまうし食が細く小柄なことが多い。

私は例外らしく健康な子と同じように成長期もあり痩せ気味だけど背は高いほうだ。

だから余計に心疾患を持っているというと驚かれることが多い。

一通り自己紹介が終わると秋川先生が腕組みをして議長をいきなり選出した。

「男子は中山。女子は田中がこれからこのクラスの代表だ。何か問題があればこの二人に相談なりして解決しろ。あまり俺の手を煩わせるなよ」

「あの、先生」

「何だ、中山」

「その先生の言葉遣いは先生としてどうかと思うのですが」

いきなりクラスの代表に選ばれた中山君が先生に対峙すると秋山先生は直す気はないと一刀両断にした。

理由は男子校を転々としてきて身体に染み付いてしまったらしい。


午後からオリエンテーションが行われる。

藤倉高校は美術や音楽などの芸術系の授業に力を入れている学校でその為に他県から入学を希望する学生も多い。

オリエンテーションでは各学科の説明とクラブ紹介などがメインで行われる。

「汐音はどの学科を選択するつもりなの?」

「悩んでいる所だよ」

「そうだよね。美術・工芸・音楽・フォトグラフ・デザインか。選択肢が多すぎるよね。美術・工芸・音楽に至っては専門分野に分かれるからね」

「うん」

先輩方の作品や各分野で活躍している卒業生の紹介に授業内容が説明されている。

その後でクラブの紹介があったけれどクラブに入るつもりがないのでスルー。

オリエンテーションが終り取り敢えず選択した学科が行われる教室に向かうが選択者が多い場合には抽選になるらしい。


「ねぇ、栞は何でこの学科を選んだの?」

「消去方かな。美術や工芸はあまり興味が無いし音楽は聞くだけだし。そうするとフォトグラフかデザインなのだけど写真ならシャッターを押すだけじゃん」

「うわ、ネガティブと言うか短絡的だよね」

そんな事を言っている栞に選択理由を聞くと私が選んだからだった。

親友だからかもしれないけれど多分選ぶのが面倒だったからだと思う。

これも親友だから分かることだ。そんな栞と指定された視聴覚室に入って少し後悔した。

すごくマニアックな雰囲気が漂っているというか澱んでいる。

一点を見つめている男子学生はこの学部に入るためにこの学校を選んだのだろう。

集まっている他の生徒を見ても只ならぬオーラーを放っていて私と栞だけが浮いてしまっている気がする。

何でフォトグラフ学科だけが本気なのだろう?

大半の生徒は芸術学科だけを目指してきた訳では無いはずだ。

それでも今更他の教室に行く選択肢はなく空いている席に栞と座った。


しばらくしてチャイムが鳴り視聴覚室の前の引き戸が開いた。

入ってきた講師を見て逃げ出したくなる。

無造作ヘアーと言うかボサボサの長い髪の毛の間から黒縁のメガネが覗いている。

白いシャツにジーパン姿でヨレヨレの白衣を羽織っていて足元は素足にサンダルだ。

唯一というか身長は高い方だと思うけれどそれが余計にだらしなさを引き立てている。

「はじめまして。僕がこれから一年間フォトグラフ学科を受け持つ森山啓祐(もりやまけいすけ)です。宜しく」

「あの森山先生、質問があるのですけど」

「申し訳ないけれど今日は授業では無いので写真やカメラに関する質問なら次回の授業でお願い出来るかな」

「はい、分かりました」

やる気満々の生徒がいきなり質問をして真っ赤になり席についた。何処までも本気な集まりらしい。

周りを見ると真剣な眼差しで教壇の方を見ている生徒ばかりだ。

「今後の授業の内容に関しては机の上にあるプリントを見ても貰えば分かると思います。僕は非常勤講師なので学校に居ない事の方が多いですけれどその時は優しくない秋川先生が常勤講師なので何かあれば聞いてください」

「優しくない秋川先生って」

笑いが漏れて森山先生が赤くなっている。真面目というか冗談は苦手なのだろう。

最初から低かったモチベーションが地を這い出し選択した生徒が少ない理由が分かった。

私達の担任である秋川優子先生が常勤講師だなんて……確かに優しくない。


終わりのチャイムが鳴ると数人の生徒が森山先生を取り囲んでいる。

その中になぜだか栞の姿もあった。

「えへへ、サイン貰っちゃった」

「ねぇ、栞。森山先生ってもしかして有名なの?」

「一言で言えば神童かな。中学の頃からフォトコンで頭角を現して写真集も数冊出しているよ。中でもこれが私の一押しだよ」

栞が見せてくれた写真集は空を題材にしたものだった。

ふと疑問が浮かんで出来た。栞がフォトグラフ学科を選択した理由だ。

「もしかして栞が藤倉を受験した理由って」

「ん、汐音が受けるといった事が多いよ。でも勘違いしないでね。私自身が選んだんだから。それに汐音がもし選択学科を選択するのならここだろうなって」

何でも栞は藤倉を受けてから森山先生の事を知り写真集を探したらしい。

私はといえば近くにある月の島病院に入院していて窓の外を毎日のように楽しそうに歩く藤倉高校の生徒に憧れて受験したのだから。

何処までもポジティブでアクティブな栞と対照的なネガティブでパッシブな私。

栞曰く、それは私の心疾患の所為で手術をすれば変わるからと。

でも手術は心臓を停止して行われ目立たなくなるとは主治医が説明してくれるけれど大きな傷が残る。

手術自体も飛行機と同じように安全だとは言われたけれど飛行機だって絶対墜落しないなんて事もなく、現にニュースでは墜落事故が度々報道されている。

そんな不安から私は手術を先延ばしにしてきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る