ひとり百円スイッチ
瀧本一哉
ある日、路地裏で。
放課後、僕はなんとなく真っ直ぐ家に帰る気になれず見かけた路地裏に入ってはある程度の方向感覚でふらふらと歩いているうちに見知った道に出て、また良さそうな路地裏に入る。ということを繰り返していた。
別に路地裏が特別好きなわけではない。昨日欲しい漫画を一気に買ったから、財布の中身は23円・・・10円玉1枚、5円玉1枚に1円玉が8枚だ。何回も数えたから間違いはない。お札なんて入ってるはずもない。だからカフェやカラオケにに行くことはもちろん、自販機で飲み物も買うこともできない。イヤホンは家に忘れてしまって音楽を聴くこともできないし、スマホは昨日充電をし忘れて学校にいる間に電源が切れた。
それなら早く家に帰ってしまったほうがいいだろうと君は言うかもしれないけど僕の家の両隣はどちらも独り暮らしのおばさんが住んでいて、このくらいの時間には外に出ていつも二人でおしゃべりをしている。そこに通りかかると必ずと言っていいほど僕の噂話をされるのでそれは避けたい。暇を持て余したおばさん二人の話のネタにされるのは癪だ。
今日4本目の路地裏に入ったところで、何だか普通に歩くことに飽きて鼻歌を歌い始めた。昨日買った漫画のアニメのOP曲だ。
「ふふーん♪ふふふーん♪」
何だか楽しくなってきた。
「ふふふーん♪ふふふーん♪」
スキップがしたくなる。
「ふんふんふふーん♪」
ドンっ!
曲の中の一番の盛り上がり、僕がスキップで跳んだ瞬間にしたその音は、気の利いたバスドラム・・・な訳はなく。角から現れた濃紺のスーツに身を包んだ初老のセールスマンと僕が出合い頭にぶつかった音だった。
二人とも尻餅をついて倒れる。これはまずい、本気で謝らないとまずい。そう思って
「ごめ・・・」
と僕が口を開こうとしたとき
「申し訳ございません!」
とすでに立ち上がっていた彼は体が直角になるほど頭を下げた。僕は慌てて
「いやいや!頭を上げてください!」
と言う。
「いえ・・・しかし・・・お召し物が」
彼の言葉に僕は自分の服を見る。と、長袖のワイシャツの右腕の袖が破れてしまっていた。転んだとき、とっさに体を支えようとして擦れたのだろうか。
「いや、この程度何ともないですよ。こちらこそすみません。」
僕は頭を下げる。しかし彼は
「あいにく、シャツ台を弁償するほどの持ち合わせはありませんでして・・・お詫びのしるしといっては何ですが、わが社の新商品をお受け取り下さい。」
と、僕に小さな箱を差し出した。折角くれると言った物を突っ返すのも申し訳ないので
「はぁ。」
と気の抜けた返事をして僕はそれを受け取り、ふたを開ける。中に入っていたのは5cm四方ほどの金属の筐体に大きな丸く赤いボタンが付いた、ベタなスイッチそのものだった。しかし、そのほかには何もない。
「あの、これは?」
使い方も何もわからず尋ねる。
「はい、これはわが社の新商品『100円スイッチ』でございます。
彼は自信満々に答える。
「はぁ。」
二度目の気の抜けた返事をしてしまったのは僕。彼は続ける。
「このボタンを押すたびに100円が手に入ります。」
「え!?何ですかそれ。」
僕はその言葉を疑う。
「もちろん代償はございますし、10回限定です。」
代償?魂とか寿命とかいうんだろうか。その心を読んだように彼はまた続ける。
「代償は使った人の知っている、特にどうでもいい誰かがいなくなることです。」
彼はさらっと恐ろしいことを言う。
「一人消えるたびに100円ってのは安すぎませんか。それに、クラスメイトとかも消えちゃうんじゃ。」
僕の心配に、彼は心配御無用という様に答える。
「それはご安心ください。あなたが知っている、といっても町で偶然見かけたことのある誰か。という程度の話でごさいます。そうですね・・・せいぜい近い存在でも、よくいくコンビニの店員とか、あまり話さない近所の人とかでしょう。」
なら、そこまで心配はないのだろうか・・・しかし。
「いなくなる。ってどういうことなんですか?その人が・・・殺されてしまうとか?」
彼は僕を安心させるように言う。
「いえ、その言葉どおり、いなくなる。最初からいなかったことになるのです。そもそもその人の存在がなかったことになります。」
それはそれで怖いが・・・そうだ
「そうですか、じゃあ、今あなたが使って見せてくれませんか?正直信用はできないので。」
と僕が言うと彼はすぐに
「わかりました。」
と頷き、彼の財布を取り出して、僕に広げて見せて言う。
「見ての通り・・・大変お恥ずかしい話ですが・・・私の財布の中身は53円でございます。」
僕より30円多いじゃないか。
「私がこのボタンを押しますと」
カチッ
しかし
「増えませんね」
「あれ、そんなはずは」
彼は焦ったようで、ボタンを押しまくる。
カチカチカチカチカチカチカチカチ
変化はない。
「あれぇ、おかしいですねぇ。」
彼はそう言いまたボタンを押す。
カチッ・・・ピーピー
ボタンから音が鳴る。
ああ、十回押したのか。
まぁ、彼の財布には何も変化はなかったのだけれど。
二人の間に流れる静寂
僕が口を開く。
「あの、シャツは大丈夫ですよ。それよりお怪我はありませんか?」
彼は申し訳なさそうに言う。
「申し訳ありません・・・私はどこも怪我はしておりません。」
彼が体の色々なところを見て、自らの左腕を見たとき。
「ああっ!」
と大きな声を上げた。僕はびっくりして
「どこか痛めました?」
「い、いえ。次の商談の時間が・・・本当に申し訳ございません、私はこれで!」
と深々と頭を下げてから、彼はバタバタと走り去っていった。
・・・全く、散々な日だな。と思う僕はいつの間にか家の近くまで歩いてきていた。大分のどが渇いたな。と思い、自販機の前で財布を取り出して
「あっ、ないんだった。」
と、財布に目を落とし、よく見ると、レシートの間に紙質が違うものが見え、慌てて取り出す。それは
「野口さん・・・!」
レシートに挟まって見えなかったのだろう。それを自販機に吸い込ませ、炭酸飲料のボタンを押し、おつりと魅惑の黒い液体に満たされたペットボトルを屈んで取り出す。
口から食道、胃へと流れ込む爽快感に浸りながら歩いていると家が見えてくる。と、同時に何か違和感を覚える。それは家の隣の空き地。
「ここ、空き地だったっけ?」
そう思ったが、この町のことだ。またすぐに新しい家でも建つのだろう。僕はそんなことを思いながら歩き、家の玄関を開けていつものように言う。
「ただいま」
おしまい。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
【あとがきのようなもの】
いかがだったでしょうか。「意味が分かると怖い話」なんですかね。
短編を書くのも面白いです。それではまたどこかで 瀧本一哉
ひとり百円スイッチ 瀧本一哉 @kazuya-t
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