『眞白の過去』 その2
眞白が育った田舎の村は、ひどく閉塞的な場所だった。『魔力』なんて持っての他で、今にしては時代錯誤も甚だしいが、『魔女』や『魔法使い』は神に仇なす穢れた存在だったのだろう。あるいは、そこには単純に、理解できない存在への恐怖と拒絶が含まれていたのかもしれない。
そんな場所で、眞白の父と母は出会った。
父は都会から、いわゆる自分探しのために田舎へやってきた俳優もどきだった。洗練された雰囲気を持ち少年のような夢を胸に秘めた異邦人である父と、儚げな美貌を持つ無垢な少女である母が恋に落ちるまで、それほど時間はかからなかった。
父が村を去った後、母の妊娠が発覚し、彼女はひとりでも眞白を育てていくことを決意した。そんな母に対して、多くの村人が、淫売であると、眞白は可哀想な子であると噂する。
だから、母と眞白は、村の中でずっとふたりきりだった。ふたりきりで生きてきた。
そんな眞白が、少し気弱で内気なところはあるがすくすくと育ち、二人で近所を散歩できるようになった時のこと。
眞白の母は、彼を身ごもったこと以上に、予想外のことがあったのだと自覚した。
眞白の父は『魔力』の持ち主であり、眞白はそれを受け継いでいた。
――眞白、その力は秘密の力なの。
眞白の力が発覚してすぐ、母は眞白にそう言った。
――誰も持っていない、秘密の力よ。
注意を促し、忠告をした。
――だから、その力は人前で使ってはだめなの。
眞白はまだ『魔法』の意味も理解もないままに、ただ母の言葉に頷いた。普通の子――普通より少しだけ繊細な少年として、この閉塞的な世界で生きていこうとした。
しばらくして、眞白は駅前で異邦人を見た。この辺りではあまり見ない奇抜なファッションと、華やかな雰囲気。これが、たまに聞く「都会からの観光者」という人なのだろうか。
一緒に遊んでいた近所の子達は、皆気味悪がってすぐに帰ってしまった。足の遅い眞白だけが、見棄てられるように、その場に置いていかれてしまった。
「おーおー、ひどいね、最近のガキって奴は。冷たいね。きっと親に知らない大人には関わっちゃダメとか言われて、見る人見る人不審者扱いするんだろうね」
不貞腐れたように、足元の小石を蹴りながら、その見知らぬ大人は呟いた。まるで彼の方が仲間に置いていかれた子供みたいだ。
「で、お前は逃げないのか?」
「にげおくれた」
「足遅えんだな、お前」
何が面白いのか、目の前の大人はけらけら笑う。もしかしたら、先ほどの不貞腐れた一言も、独り言ではなく、眞白に対して話しかけていたのかもしれない。
「にしても、置いておかれて悲しくないのかね、お前は」
「べつに。よくあることだし」
子供の世界は、動物の世界と同等に残虐だ。マウンティング。格付け。それらが一瞬の内に行われ、格上と格下ができ、それに合わせて振る舞いが決定づけられる。大人の世界にももちろんそれはあるのだろうが、子供は大人と違い、それを残酷だとも思わず、繕おうともしなかった。
だから、眞白はよく、「のろま」だとか、「なきむし」だとか「だんごむし」だとか言われる。男の子にはよく頭を小突かれカバン持ちをさせられるし、女の子はそれを見て楽しそうに笑っている。
「よくあることでも、悲しいは悲しいだろ」
大人って、理路整然と物事を言う人か、あるいは、子供を諭す人ばかりだと眞白は考えていた。なのに、この人はどうだ。まるで子供みたいだ。眞白と同じくらいの子供のように、彼はおもむろに眞白の頭の上に手を置き、髪をぐしゃぐしゃとかきまわす。母のそれとはあまりにも違って乱暴だったので、撫でられているのだと気がつくのに結構時間がかかった。
「まあ、ガキの頃は足の速い奴がモテるっていうのが鉄板だし……って、どうしたんだお前!?」
「だって……」
悲しいと言われるから、悲しくなってきてしまったのだ。今までずっと我慢してきた。泣いていたら母が心配する。男の子にもっと泣き虫だと言われる。女の子に余計笑われてしまう。だからずっと我慢してきた。その我慢してきた分だけ、今の「悲しい」がきっかけで、溢れ出してきてしまったのだ。
「あー……まあ、あれだ。元気出せ。今は辛くて悲しくてもな、大きくなる内に人生色々あるもんだぞ。たった一人との出会いで生きてることが楽しくなるかもしれんし、とんだどんでん返しで将来トップスターにのし上がる、なんてこともあるかもしれんぞ」
「……?」
彼の言っていることは、難しすぎてよく分からない。よく分からない……が、眞白を慰めようとしていることだけは伝わってきた。
「おじさんは、さ……」
「おじさん!? オレはまだお兄さんで通用する歳だぞ」
「おじさんは、どうしてここにきたの?」
「訂正も無しかよ。いい度胸したガキだな」
彼はまた眞白の髪をぐしゃぐしゃにかき回した後(これは慰めるのではなく窘める、の意だったように思う)、「見たい奴がいるんだ」と言った。
「みたいひと? あいたいんじゃなくて?」
「会いたいけど会えねえんだよ。オレには会う資格がねえの」
「ふぅん……へんなの。あいたいならあえばいいのに」
会うのにも資格がいるのか、と、眞白は初めての知識をよく咀嚼もせずに飲み込んでみた。理解はないから、当然、何も感じなかったけれど。
オレだって会えるもんなら会いてえけど……でも、いいんだ。遠くから見られれば、それでいい。幸せに暮らしてんだなあって、オレがいなくても立派にやっていけるんだなあって思えればそれでいい。アイツのことだから、そんな心配こそ余計なお世話だと思うが」
それから、男はたまらないと言ったように呟いた。
「芯は強い奴なんだが、外見は儚げ美少女だから、ついつい心配になっちまうんだよ……眞緒の奴、元気にしてっかな……」
会いたい。そうは言っていない一言なのに、その一言だけで、男は彼女に会いたいのだと、会いたくてたまらないのだと、眞白にはすぐ分かった。
「とおくからじゃなくて、あっていけばいいのに。きっと、しかくなんてなくてもあってくれるとおもう。おじさん、いいひとだから」
「お前、眞緒のご近所さんか何か? まあ狭い村だからな、名前を言えば誰か分かっちまうか……」
その言葉に、眞白はゆっくりとかぶりを振る。
「ううん……まお、って、おれのおかあさんのなまえだ。だから、おじさんがあいたいひとは、たぶん、おれのおかあさんだ」
男は驚いたように目を見開いて、言った。
「そうか……そうだったのか……」
彼はゆっくりと眞白と向き合った。それから、手をこちらに向けてくる。
また、撫でてくれるのかと思った。撫でて、「そうか、じゃあ、オレをお前の母さんのところに案内してくれ」と言ってくれるものだと思っていた。
けれど、違った。
眞白は抱きしめられていた。母に抱きしめられるのとは違う。力強く、ぎゅっと、抱きしめられていた。
「おじさん、くるしい……」
「そうか……お前が……ごめんな……」
彼は壊れた機械のように、「ごめんな」と眞白の母の名前を繰り返した。
眞白の肩が、ゆっくりと濡れていく。男が、子供のようにぽろぽろと涙を流して泣いていることに、抱きしめられて、少しして気がついた。
この人も、泣き虫なんだ。そう思うと親近感がわいた。
「おかあさん、いってたよ。ごめんなさいより、ありがとうのほうがききたいって」
眞白も、その気持ちは同じだ。
だから、人前では使ってはいけないという約束を少しだけ破って、眞白は風を吹かせた。
優しい、優しい風だった。頬を撫で、木々をゆっくりと揺らす、黄昏時の、優しい風。
涙を乾かすための、慰めの風。
男は驚いたように眞白を離した。
「お前も魔法が使えるのか!?」
その言葉に、眞白はゆっくりと頷く。
「お前、名前は?」
「ましろ。いぬしきましろ」
「眞白……その力は、皆のために使ってくれ……オレの代わりに眞緒を、お前の大好きな人を笑顔にしてやってくれ……」
そう言い残して、男は最後にもう一度だけ、眞白の頭を撫でて、去っていった。
そこには、「さようなら」も「またね」も無かった。
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