『不穏な雲行き』 その6

「弁解の言葉も出ないか!? 当たり前だよなあ!? 全部お前達のせいだっていうのに!」



「……僕達の?」



 きりきりと絞られた糸のような空気の通り道を使って、ようやく呼吸ができた。言葉の断片だけを、旭姫は吐き出すことができた。



「知らないだろう!? 考えたこともなかっただろう!? お前はあの事件の時、風邪で寝込んでいただけだったんだから!」



 旭姫の母親が、育児で停止していたアイドル活動に復帰するという、記念のライブ。その直前に彼女が聞いてしまったのが、子供が病院に運ばれたというニュース。結果、彼女は動揺し、彼女の『魔力』は暴走した。



 それが、世間に知られている、木虎姫が起こした事件の全貌。



「……そうだね」



 空翔の戸籍は、事件の詳細が報道される前に、親戚の方へと移した。



 今や、木虎姫と木虎空の息子は、自分――木虎旭姫、ただひとりだ。



 だから、事件に向けられた憎悪は、嫌悪は、因縁は、すべて旭姫の上に振りかかる。空翔の存在など、誰にも知られることはなく。



「僕の母が起こした事件以降、様々な人に影響があった。それは事実だと思うし、当時病に臥せっていた僕でも、想像できないことじゃない」



「だから何だよ!? 理解しているから許せ!? 反省しているから許せ!? だったら、俺のこの感情はどこへ行くんだ!? もうすぐ、自分の作品が撮れると思っていたのに、世間に認められると思っていたのに、その直前で転落した悔しさを、ただ『魔力』の有無によって選別され、見下され、不要の烙印を押される惨めさを、どこに捨てろって言うんだ!?」



 その感情は全部、母と、ひいては旭姫のせいだと、彼は言う。



 だから、お前なんか、お前ら親子なんか、存在しない方がよかったのだと。



 彼の手にこめられる力は次第に増していき、やがては旭姫の首を締め上げる。



「でも……」



 旭姫はありったけの力をこめて、彼の手を振り払った。一瞬、彼が怯む。狂気の中に、かろうじて理性が垣間見えるのが分かる。



 しかし、この時、理性を失っていたのは、旭姫の方だったのかもしれない。



「でも、あなたの人生は、僕や、僕の母には、もはや関係のないことだ」



「……何を、言っているんだ、お前は」



「あなたを惨めにしたのは、僕でも、僕の母でもない」



 あの日の、なだらかな午後の風景が、今にも目に浮かぶようだった。



『この人はね、お母さんの味方だった人なの』



『後押しをしてくれたのよ』



『この人がいたから、今、私と空さんは、旭姫や空翔と、こうして一緒にいられるのよ』



 母と創り上げたこの関係を、自分の中で壊していったのは、全部、この人の責任だ。



 彼と母の過去がすべてどす黒く塗りつぶされてしまった以上、旭姫の中にいる母と彼との間に、関係はない。





「あなたを惨めにした人は、母でも、僕でもない」





 自分自身なのだという残酷な一言は、あえて口にしなかった。




「憎む相手の存在しない感情を、僕に……僕のユニットのメンバーにぶつけようとするのは、やめてください」




 とうに死んだ人間への未練に、自分の未来まで潰されたくはない。




 正直にそう口にすると、彼は信じられないという顔をしていた。



 自分の母親を、亡くなった大切な人を、彼にこれほどまでに強烈な感情を植え付けた存在を、死んだ人間としか表現できない旭姫に対して。




 彼が狂っているというのなら、彼を異常だというのなら、今の旭姫だって、十分に異常で、狂っているのかもしれない。



 母の笑顔を思い浮かべながら、母の死を理解した時に行った決心を、旭姫は初めて口にする。





「僕がステージに立つのは、僕が立ちたいからだ。そこに、母は関係ない」





 幼い頃から、アイドルになりたいと思っていた。



 その夢を叶えるためには、父も、母も、弟ですら振り切って見せる。



 母が植え付けたアイドルへの汚名を払拭し、アイドルが、サイリウムが織り成す光の海が再び存在する世界を、作り上げてみせる。



 それが、旭姫の抱いている野心だった。



 だから旭姫は、信じられないほどの清々しい笑顔で、自分の上に振りかかる切っても切れない因縁を断ち切ろうと、言葉の刃を振り落とした。

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