『星降る夜空に願うのは』 その1

 辺り一面に、鮮やかなブルーが広がっている。

 天国に一番近い場所――と言えばニューカレドニアだと相場が決まっているので、ここは日本国内では天国に一番近い場所、と言うべきかもしれない。

 空の鮮やかな青と、海の眩い青が混ざり合う。



 うっすらと見えてきた、目的地となっている小さな島を見つめて、司狼は眼鏡の奥の目を細めた。彼の瞳は、これから始まるバカンスだかサバイバルだかよく分からない何かに対する期待で、輝いているように見えた。



 要するに、修学旅行、なのだと思う。

 修学旅行とは名ばかりの、強化合宿なのかもしれない。

 というのは建前で、本当は体の言い実験なのかもしれない。

 これから『Nacht』と『Bell Ciel』が向かうのは、周囲は青で埋め尽くされ、内部には緑が生い茂る無人島だった。




 『魔法』あるいは人間の持つ『魔力』という、中世ヨーロッパによくありそうな神秘が発見されたのは、意外にも近年になってのことである。その前後の話はここで割愛するとして――話の核から始めると、国はまだ、『魔力』の全貌を解き明かしてはいない。すべてを紐解く前に、『魔法』が原因で各地で起こっていた小さな事故や事件、そしてとあるステージの上で起きてしまった大きな事件をきっかけにして、『魔力』を持つ人間が『魔法』を使う機会が、大幅に減ってしまったからだ。



 現在、国は『例外的な状況』においてのみ、『魔力』の使用を認めている。



 それは、きっちりと厳重管理された大学や企業の研究室内部であったり、あるいは、きっちりと書類を提出した上で開催される『プレライ』であったりする。要するに、無関係者に被害が及ぶことのない状況を完璧に作り上げた上でなら、『魔法』はいくら使ってもいい、ということになる。



 だから、『Nacht』と『Bell Ciel』の置かれた状況は、例外中の例外的な状況と言えるのかもしれない。



 星影学園は、いわゆる金持ち私立校に分類され、そのトップである学園長は、はっきり言ってしまえば、金持ちなのだ。それも、無人島の一つや二つは買えてしまって、そこに向かう船やヘリの一つや二つは買えてしまって、その無人島を開発する費用までぽんと余裕で出せてしまうくらいには、金持ちなのだ。



 そして、星影学園には、設立されたばかりだというのに、既に伝統と化している行事がある。



 それが、無人島旅行なのである。

 学園側から選ばれた二つのユニットが、無人島へ行き、数日間、そこに建てられたコテージで過ごす。仲間内での親睦を深めるためだとか慰安旅行だとか適当な名目を後付けのように与えられたこの校内行事だが、結局目的はただひとつだ。

 無人島でなら、『魔力』を持たない『一般人』に被害が及ぶ可能性はほとんどない。

 だからこそ、ここでは思いっきり『魔法』が使える。

 生徒達は自分の可能性をあますところなく確認することができるし、学園側はいまだ謎に包まれたままの『魔法』について紐解くきっかけも得ることができる。



 ある者は、これを強化合宿と呼んだ。

 またある者は、選ばれるのは実力のあるユニットばかりで、彼らは必然的に最高学年であることが多かったので、修学旅行と呼んだ。

 そしてまたある者は、ありったけの皮肉を込めて、これは実験だと吐き捨てた。

 司狼は最高学年である三年生だ。修学旅行ということにしておいてもいい。

 旭姫は何と言おうと、ここで自分の全力を一度出してみたいらしい。実験だろうが何だろうが積極的に参加していいと言っている。

 そして眞白はと言えば、皆で行く合宿を、ただただ楽しみにしているようだった。




「よかったら、これ、どうぞ」



 デッキに出て、司狼と一緒に島を見つめていた眞白に、グラスが渡された。中ではほんのりと色づいた液体がしゅわしゅわと音を立てている。

 グラスを手渡してきた主は、夕だった。今日の夕は白のオフショルダートップスにデニムのショートパンツを組み合わせ、まさに海辺の女子ファッションといったテイストだ。



「……なに?」

「自家製のジンジャーエールです。生姜や炭酸水は船酔いに良いということでしたので、先ほど船内のキッチンで作ってきました」



 どうやら、空翔が船酔いでダウンしてしまっているらしい。個室で揺れに耐えつつ休んでいるとのことだった。


 六人が乗るにはあまりにも大きすぎる船だった。むしろ客船と表現した方が正しい。司狼はまた父がいつもの成金趣味を発揮しただけ程度に考えていたのだが、まさかこんなところで役立つとは思わなかった。



「……美味しい」

「よかったら、後でレシピ教えましょうか? 生姜と炭酸水とミントで簡単に作れるので」

「いや、いい。コイツに作らせたら生姜をスライスする時点で指を切りそうだ」

「……夕が、また、作って?」



 かがんで目線を合わされ、おねだりするように首を傾げられたら、女子は母性本能がくすぐられるのだろう。夕は言葉もなくこくこくと頷くだけだった。正確には夕は女子ではないのだけれど。



「ところで、あの『クソ御曹司くん』はどうした? アイツも船酔いか? 何しろ軟弱そうだからな」



 何も本人のいないところで喧嘩を売らなくても……と思うのだが、本人のいないところで窘めるのも徒労に終わりそうだ。夕は「自室で休んでいるみたいです」と答えた。



「船酔いという感じではないんですけど、何か考え事をしているみたいで……」



 夕はジンジャーエールの差し入れに向かったのだが、ドアをノックしても美琴が出て来る気配はなく、余った分はこうして『Nacht』の方におすそ分けに来た、ということだった。



「三日間、自由にできる機会だからな。一応、奴もリーダーとして色々考えているのかもしれないが……」



 だが、俺達の足元にも及ばない。



 そう断言できたら、どれほど楽だったことだろう。前回は空翔が高熱で倒れ、戦いは中途半端なままで終わってしまった。しかし、『Bell Ciel』の実力は、今や油断ならない。



「まあ、それなりに期待しといてやる」



 と言うだけに司狼はとどめておいた。



「そういえば、旭姫さんの姿も見えませんが……」

「あー、アイツは、な……」



 空翔に会いたくないから自室に引きこもっている、とは、彼と同じユニットのメンバーを前にして言えるわけがない。



 あの夜、司狼の父からマスターキーを借りて、旭姫はこっそりと空翔の見舞いに行っていたようだ。彼が絶対に行きたがらない場所へ行くという不快感すら押し込めて、彼は空翔へ――自分の弟に会いに行ったことになる。だから、旭姫は決して空翔を嫌っているわけではない。



 複雑な想いが色々と彼にはあるのだ。自分が予想もしていなかった――あるいは、予想はしていたけれど実現させるつもりはなかった今の状況に、動揺しているというところもあるのだろう。

 旭姫は不完全を嫌い、完璧を好む。司狼達や『Bell Ciel』に対して、特に空翔に対して「これだ」と思える態度がとれるようになるまで、まだ少しの時間を要するのだろう。



 司狼は、そんな旭姫を叱責するのではなく、放置していた。冷たく捨て置くのではなく、保護者が見守るような、兄が甘やかすような態度で、今の旭姫には接しようと決めていた。



「来てすぐ自室にこもったが、呼べばちゃんと出て来るだろう」



 空翔が来ないとなれば外に出ても問題はないと、旭姫なら判断するはずだ。



「じゃあ、俺、呼んでくる……!」



 これ、美味しいから、みんなで飲もう。

 そんな作り手冥利に尽きる言葉で夕を感動させつつ、眞白は旭姫を呼びに駆けて行った。



 各々の思惑を乗せながら、船は目的地へと進んでいく。



 先ほどまではうっすらとしか見えていなかった無人島が、今は肉眼ではっきりと見える距離にまで来ていた。

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