『星影祭当日』 その1

 人がどたばたと走っていく音がする。演出家の生徒、マネージャー科の生徒、ファッション学科メイク専攻やヘアメイク専攻の生徒など、彼らが音を立てて舞台裏を走っていく様は、ちょっとした戦場のようだった。

 そして、トップに一番近い『Nacht』の楽屋でもそれは同じだ。

 もっとも、前者とは「慌ただしい」の意味が違う。



「衣装が届いてない……?」

「みたいだな」



 他の生徒たちは、本番をよりよくするため、より成功させるために走り回っている。なのに、『Nacht』はといえば、本番前に後退しているような、嫌な慌ただしさに飲み込まれてしまっていた。



「今回は冒険はしないって言ってたよね。衣装の手配は生徒に一任したわけじゃないんでしょ?」

「生徒ではない学園祭のスタッフが持ってくることになっていたな」

「ああ……」



 それでか、と不本意ながらも旭姫は納得してしまった。

 『星影祭』のステージはただのステージではない。困難やら試練やらの諸々が付属した『プレライ』だ。



 『星影祭』には、一般生徒の他に、スタッフとして教師も参加している。

 つまり、『Nacht』の衣装が届いていないという不手際は、担当者の不手際ではなく、予定調和に過ぎないのだ。



 一応ではあるが、対処法はいくつかあった。教科書にも載っていた。

衣装が届かないなんて万が一にありえないとしても、例えば、衣装を汚してしまっただとか、何者かの嫌がらせによって衣装がズタボロにされてしまっていただとかいう事例は多くある。



 そんなピンポイントな方法が、星影学園では当然のように教えられている。



 つまり、それだけ、アイドルにとっては非日常が日常なのだろう。



「……教科書に載っている方法は、いくつか、ある。そのうち今可能なのは……」



 誰も、他者に手配を任せた司狼や、『プレライ』への参加を提言した眞白を責めなかった。誰かを責めるよりは、この状況を乗り越えることを考えろ。それが、彼ら3人が今まで『プレライ』をこなしてきて得た教訓だ。



 マニュアル通りの対応なら、いくつかの策がとれるだろう。

 ひとつは、私服のままステージに上がることだ。もちろんメリットとデメリットが共存している。普段通りのアイドルの姿を見てもらえるかわりに、舞台上で放つ輝きは圧倒的に少なくなる。それは、芸能関係者が集まる『星影祭』で、アイドルとしての将来性を測られる『プレライ』では、マイナス値にしかならないだろう。

もうひとつの方法は、今日のような、夏の残り香が強く漂い、肌に幾筋もの汗が伝う日に使える、奥の手ではあるのだが――。



「それだけは駄目だっ!」



 誰かが提案する前に、旭姫がその案を強く否定した。その声は震えていて、頑なに自分を守ろうとする弱者そのものの声なのに、瞳だけはまっすぐに否定の意を表していた。



 眞白はおろおろと旭姫と司狼を交互に見つめる。



 旭姫の否定に返事をしたのは、司狼だった。



「……旭姫がこの案に否定的な理由を追求しようとは思わない。だが、否定するなら代替案が必要だ。それもなしに自分の意見を貫くだけでは、ただのわがままと変わらない」

「……分かってるよ」



 それに、代替案なら、ある。



「さっき思いついた……2人がほんの思いつきでもいいって言うなら、だけど」



 自信はない。それでも、眞白はいいと言ってくれた。



「旭姫が言うなら、間違いない……と、思う。それに、今度は俺が、旭姫の意見を受け入れる側だから」



 決まりだな、と司狼がまとめた。



「多数決。2対1でお前たちの勝ちだ。その案とやらを聞こうか」

「分かった。それと、その案を実現するために、2人に頼みたいことがある。一応、僕もできる限りやってみるけど、2人の方が成功率は高い」



 一通り、今回の対処法を伝えてから、3人は別れて楽屋を出た。



 自信はない。けれど、2つ目の案よりは――こんな貧相な身体を、舞台の上で晒すよりは、ずっとマシだ。



 そう言い聞かせて、旭姫は目的地へと向かった。

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