『マジック・ライブ』

「素晴らしい『マジライ』だった」


 中にいる人が少ない割にはやたら広い楽屋の中で、淡々とした声が響いていた。


「読者の中には、既に知っている方も多いだろう。そう、私はあの『Nacht』の『マジック・ライブ』、通称『マジライ』を観覧させていただいたのだ」


 声につけられた抑揚は少ない。おまけに、空気をふんわりと纏いながらも、ちゃんと突き進んで聞く人の耳元に届く、美しい声。そのせいか、声質自体は「凛とした」という表現がぴったりだというのに、どこか機械が文字を読み上げるような寒々しさがあった。


「真っ先に特筆すべきは、やはり『Nacht』のリーダー、天生目司狼なばためしろう(18歳)だ。彼こそ、アイドル養成学校『星影学園』の学園長が手塩にかけた一人息子、アイドルの中のアイドル、輝ける大きな宝石だ」


 声がここまで読み進めたところで、近しい場所から短い音がした。その正体は舌打ちだ。今はライブ直後ということで、まだ彼の中に住む「ステージの上に立つ天生目司狼」が抜けきっていない。


「天生目司狼くんには、事前にインタビューをさせてもらっていた。楽屋で私に向かって言葉を紡ぐ彼は、鴉の濡れ場色をした艶やかさを持つきっちりと切りそろえられた黒髪、彼の知性を彩る眼鏡の下に見える驚くほど整った顔立ちという印象に違わず、まさに真面目でしっかり者のユニットリーダーであった。しかし、舞台に上がった途端、どうだ。先ほどの印象が一変した。


『おいおいおい、とんでもなくシケた『マジライ』会場じゃねえかよ、ここはッ!』


 司狼くんは、舞台に上がり、マイクを持った途端、荒れ狂った声を上げた。まさに轟音、である。耳に響く低音。先ほどはその低さに心地よさすら感じていた筆者であったが、今の彼の声はまったく違う。地を切り裂くような彷徨。闇夜を貫く吠声。彼を司る一字が狼であることを、これほどまでに納得した瞬間はない。


『ビビってんじゃねえぞ! そこのお前ッ!』


 彼に指を指され、思わず後ずさりそうになった筆者であったが、残念ながら観覧席の背もたれがそれを許さない。


『てめぇが今日の『プレライ』に招待された唯一無二の観客だ! 俺様の声をちゃんと聞け! 俺様のパフォーマンスを最後まで見届けろ! そして今日来れない『一般人共』に伝えろ! 次の『トップ・ソルシエ』は、俺達『Nacht』だってなぁ!』


 『はい』と『ヒィッ』が混ざり、思わず『ハヒィッ!』と情けない返事をしてしまった筆者である。しかし、魅力あるユニットメンバーは何も司狼くんだけではないのだ。


『ごめん。司狼はいつもこうだから、はじめてだとびっくりしちゃうよね。ほら、下がって。そこの立ち位置、センターの僕に近づきすぎ。すごく動きづらい。出しゃばりすぎ』


 毒舌と共に現れた可憐な人物に、筆者は目を疑った。司狼くんと比べるといささか小柄だが、華のある容姿は劣ることはない。それどころか、司狼くんとはまた別の魅力を持った宝石の登場である。


『お待たせしました』


 そう言って、彼が柔らかな微笑を見せる。同じ男だ。それは筆者も分かっている。なのに、思わずどきっとしてしまったのだ。ふんわりとした髪に、強気な性格を思わせるツリ目。そして女の子かと思ってしまうほどの可愛い顔立ち。

 こちらも「姫」の文字を体現したような人物、『Nacht』の不動のセンター、木虎旭姫きとらあさひ(17歳)である。後のインタビューを見てもらえれば、彼の魅力はますますわかっていただけるだろう。お姫様のようなビジュアルではあるが、彼の『ソルシエ』にかける想いは誰よりも強い。彼の力強い言葉を聞いた途端、私の中の木虎旭姫は、お人形のようなお姫様ではなく、まさに誇り高き、気品高き女王様へと変わったのである。


『ほら、眞白も何か言って。たったひとりの、今日の僕達のお客様だよ』


『……犬色眞白、です』


 促されてようやくこちらに目線を向けてくれたのが、『Nacht』が誇る二枚目、犬色眞白いぬしきましろ(18歳)だ。彼が風を纏う度にさらりとゆれる長い髪、透き通るような白い肌、薔薇色の頬に、形の整った唇。さらりと揺れる亜麻色の長髪。どこをとっても一級の芸術品であり、彼の一挙一動には常に色気が感じられる。自己紹介をするタイミングを忘れてしまったのは、『マジライ』に集中しすぎていたせいか、それとも彼持前の天然が成せる技なのか……。


 次のページからは、読者の皆様がお待ちかねである『マジライ』における『Nacht』のパフォーマンスをとくとご覧いただこう――」


「はい、眞白お疲れ」


 気怠そうに姿勢を崩した少年が、隣にいる青年が音読していた原稿を取り上げる。


「……変なところ、なかった?」


 首を傾げるようにして、青年――犬色眞白――が、原稿にぱらぱらと目を通す少年――木虎旭姫に問いかける。その様子はまるで飼い主に慣れてきたばかりの拾われた子犬を思わせる。芸術めいた大の男がとるにしては、いささかアンバランスな仕草だ。しかし、その仕草が『Nacht』の犬色眞白として、まだ顔も見たことのない数多くのファンを魅了していることもまた、事実だった。


「眞白はまだイントネーションを気にしているのか?」


 先ほど舌打ちをしていた青年――天生目司狼――が、伏していた顔を上げながら眞白に問うた。彼の顔にはほんの少しの疲労が見えるが、ようやくステージに立った時の緊張感からは解き放たれたらしい。先ほどの原稿にも書かれていたような、「真面目なリーダー」としての天生目司狼に戻っていた。


「うん。方言出すの、少し怖い」

「別に、誰も気にしないと思うけどね。むしろ眞白が突然方言話し出しても可愛いで済まされるレベルでしょ。ギャップ萌え、とか言って」

「もしくは、それすらも嫌なら、方言が出てしまった際にはその場にいた全員に金を渡して黙らせればいい」


 その発言に旭姫は眉をひそめながら、ざっと目を通しただけの原稿を司狼に突きつけるようにして渡す。


「これだから金持ち一家の息子は嫌だ」

「お前だって、その金持ち一家の一員のようなものだろう。……原稿の確認はもういいのか? 訂正箇所は?」

「別に。っていうか、こういうのって、気になるところを挙げていったらキリがないやつでしょ。そんなことを言ったら、僕、『マジック・ライブ』を『マジライ』って略すのすら嫌いだし。何でもかんでも略せばいいってもんじゃないでしょ?」


 緊張の面持ちで挑んだ『プレライ』を終え、解放感の後には倦怠感を感じている。そのせいか、旭姫は少し不機嫌になってしまっている。


「インタビューの方、は……?」


 なぜか筆者でもないのに、旭姫の顔色を窺い、怯えながら眞白は旭姫に尋ねる。


「そっちは大丈夫。問題なし」

「そうか? 俺はもうちょっとユニットメンバーの仲の良さをアピールしてもいいと思ったけどな」

「確かにメンバー同士仲が良いこともファンサービスには繋がると思うけどね。でも紙面の都合上、載せられる時と載せられない時がある。だったら、僕は僕が仕事にかける想いを知ってほしい。それを知ったファンの声援が、早く僕を『本物のライブステージ』に立たせてくれたらって思うよ」


 旭姫の言葉に、司狼は静かに溜息を吐いた。それは呆れというよりも、この状況に慣れ切ってしまったという惰性の奥から出てきた溜息だ。


「じゃあ原稿のチェックは終了だ。俺はこれをさっきのライターに渡してくる。その間に旭姫と眞白は着替えを済ませておいてくれ」


 リーダーの言葉に、眞白は背すじを伸ばし、旭姫はあくまでマイペースに、アイドル衣装のボタンに手をかけた。


「眞白、今回の楽屋はあまり長い利用時間を取っていない。できるだけ早く着替えてくれ」

「……わかった」

「できるか?」

「大丈夫。この衣装、慣れた。たぶんすぐ脱げる」

「とか言いながら、手がもたついてるし……。司狼も司狼で、せっかくなら金に物を言わせて余裕ある利用時間取っておいてよね」


 悪態を吐く旭姫をよそに、司狼は眞白が原稿を読み、旭姫がそれに付き合っている時に、既にステージ衣装をさっさと脱いでしまっていた。脱いで、疲労で魂が抜けたように、それでもステージ上の天生目司狼は抜けないままに、長机に突っ伏していたのである。相変わらず、ステージ上での彼のオンオフは体力を消耗するのによくやるよ、と旭姫は感心するばかりだ。


 もっとも、そのような「めんどくさいこと」も、あまつさえ「魔法のようなこと」さえもして、ファンに笑顔をもたらすのが、アイドルの仕事なのだろうけれど。


 三者三様、思い思いに脱ぎ捨てたステージ衣装を見て、旭姫は考える。漆黒の、軍服を基調としたアイドル衣装。踊った時、いかに相手に華がある動きに見せられるかを考えデザインされた、計算しつくされた衣装。クラバット・ピンやアーム・サスペンダーには、それぞれのイメージカラーと、イメージ星座がモチーフとしてあしらわれている。もう何度もこれを着てステージに立った。いつの間にか、着慣れたと言って差し支えないほどに着た衣装だ。


 あと五回。あと五回これを着てパフォーマンスをすれば、そして学園長に正式に『卒業』の許可をもらえれば、自分達はようやく『トップ・ソルシエ』として、観客のいるステージに立てる。



 彼らの立つステージの観客席は、まだ埋め尽くされたことがない。

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