そして誰かがいた
「いやー、まさか未解決のしかも、迷宮入り事件だったとは思いもしませんでしたよ」
朝一番からヴェラがウィスパー寄稿文店を訪れていた。
「迷宮入りだったなんて知らなかったわよ。7人も殺した犯人がまだその辺をうろついてるかもしれないと思うと、薄気味悪いわよねぇ」
紅茶をカップに注ぎながら呑気に言うエマ。
「薄気味悪いなんてもんじゃありませんよ。もしも、投書した人物が犯人だったら、すでに店の前まで来てるってことになるんですよっ‼恐怖ですよ、ホラーですよっ‼」
「え……ヴ、ヴェラったらそんな怖いこと言わないでよ。それに昨日、二次創作だって言ったのヴェラじゃない!」
引きつった笑顔で誤魔化すように言うエマだったが、携えたポットは小刻みに震えていた。
「まあ。投書者が犯人だったら、投書を没にした腹いせに、エマもレイチェルも血祭でしょうから、大丈夫ですよ」
「血祭って……そうだよ。『燻製にしん』なんてふざけたペンネームつける人だしぃ~」
「はいどうぞ」そう言って紅茶をヴェラに差し出すエマ。
「あ、どうも。でも知っていますか? 『燻製にしん』って言うのはそのままの名詞としての意味と『惑わすもの』と言う慣用表現的な意味も含んでいるんですよ。そもそもの語源はですね、わっ、ちょっと!エマ何すんですかっ‼アヂヂヂヂッーッ1着しかない余所行きの服に紅茶がっ、白が茶色に浸食されて行きますよ!この場所に染みが残ると勘違いされかねませんっ!助けてください‼わわわっパンツまで浸みて来てます、一大事ですっ‼」
『燻製にしん』に隠されたもう一つの意味を知ったエマは、顔面蒼白でカップを絨毯の上に落としてしまった。
テーブルの上に広がった紅茶は、ヴェラの股の所へ流れて行き、純白のワンピースの股の所がみるみる茶色に染まって行く、慌てて股の所を持ち上げて立ち上がったヴェラだったが、色々と手遅れだったようだ。
「わっ、あっ、ごっごめんね。今、タオル持ってくるからっ」
我に返ったエマが、洗面所へ駆けて行った。
カラン カラン
そのタイミングで来客者を知らせるドアベルが鳴った。
「あ」
紺色のスーツ姿の女性は、足元を水浸しにして、スカートを持ち上げて立ち上がったまま固まっているヴェラの姿を見て、口を開けたまま立ち尽くしてしまった。
「あ…えっと、勘違いしないでくださいね。これは、事故なんです。紅茶がこぼれてですね。運悪く、股のところにかかってですね……」
ヴェラは泣きそうになりながら必死に釈明をした。必死にもなる、だって……
柔らかそうなふんわりとしたロングのブロンドを一括りに後ろにまとめた女性は、大きな瞳を細め、大きなの口の端を引きつらせている。何より、スーツから伸びた長い手足が、なぜか構えたポーズをとっているのだ……
ヴェラは直感した。そして、叫んだ、
「エマぁっ‼早く帰って来て下さい!今、私の人しての尊厳と沽券が音を立てて崩れています‼お嫁にも行けなくなります‼そしたら、責任とってもらいますからねっ」と。
「えっ‼どうしたの⁉なんでお嫁さんに行けなくなるの?責任って、女子の同士じゃ結婚なんて……あ、いらっしゃいませっ!」
タオルを大量に抱えて来たエマが、女性の姿に気が付くと、タオルをヴェラの方に放り投げて、会釈をした。
「えっと、取り込み中に申し訳ないのだが。ご店主はおられるだろうか」
女性は出で立ちからは想像もできないような凛とした声でそう言った。
「店主は私ですけど……どちら様ですか?」
「すまない。入店直後の痴態に名乗るのを忘れてしまった。私はエイミー・クラットマンと言う」
そう言いながら、エイミーはエマに名刺を差し出し、上着の裾を持ち上げベルトに下げているロンドン警視庁のバッチを見せた。
「コールドケース課……の刑事さんがなんの御用でしょうか?」
レイチェルがまた何かやらかしたのだろうか……それが一番に頭に浮かんだ。
「誰が変態だ!その話、最後まで聞いてやろうじゃなかっ‼」
エイミーの『痴態』と言うところに反応したヴェラがタオルで股間のところ拭きながらエイミーに詰め寄った。
「あっ、ヴェラはシャワー浴びといでよ。私のだけど着替えも置いといたから」
無言でヴェラを見下ろすエイミーにくってかかるヴェラにエマが急いで駆け寄ると、間髪入れずに、洗面所へ連行していった。
「なにをするんですかエマっ!私の尊厳をとり返すチャンスなんですよっ、聖戦なんです!離して下さい!離せぇ!離せぇこのやろぉ!」
抗議をし続けたヴェラだったが、さすがに裸にされると渋々、風呂場へ入って行った。
「ふぅ。お待たせしました。どうぞお掛けになって下さい……あー」
促したエマは、ソファの上が紅茶まみれであることを思い出して、視線をそらした。
「いや、長居をするつもりはないから、気遣いは無用だ。今日来たのはほかでもない、30年前の事件について、こちらに手がかりがあるという情報提供があったからなのだが、心当たりはないだろうか?」
「30年前……もしかして無人島で7人が殺害されたって言う事件ですか?」
「ああ、その通りだ。その事件を思わせる不可解な投書があったと」
「あっ、はい。そのファイルなら……えっと、どこにやったっけ……」
エマは、ファイル入れを探し始めた。
カラン カラン
「いらっしゃい……ってレイチェル‼また正面から入って来て!」
バンッ‼
レイチェルは無言で入ってくると、ファイルをエマの前の机に叩きつけた。
「エマが私の鞄の中に入れたんだよねっ‼なんでそんなことするのさっ‼おかげで私は昨日、一睡もできなかっただから‼」と啖呵を切った。
「えっ⁉鞄に?私が?嘘……そうだったっけ?」
ファイルに目を通して、首を傾げたエマは、憮然と腕組みをしたまま仁王立ちになったままのレイチェルの顔見つめていたが、やがて、昨日、そう言えば自分の鞄に入れたつもりでレイチェルの鞄に間違えて入れてしまったことに気が付くと、視線をはずしてしまった。
「やっぱりエマだっ‼バレた時、視線を外すのはエマの癖だもん‼」
詰め寄るレイチェル。
「はぁ、揉め事は後にしてくれないだろうか。私はファイルを受け取りに来ただけなんだ」
呆れたエイミーが言う。
「ちょっと、エイミーさんっ、刑事だったら目の前の揉め事に無関心ってちょっとあれだと思うんですどっ‼」
「殺人事件になりそうになったら通報してくれたらいい」
笑みを浮かべながらさらっとエイミーは言うのであった。
その時、ドンッと洗面所のドアが開き、中から、ブカブカの服を着て眉間に皺を作ったヴェラが現れた。
「エマっ。これは私に対する宣戦布告ですかっ‼上着もスカートもぶっかぶかっ。果てはパンツも、ブラジャーもぶっかぶかじゃないですかっ‼なんです?ゴムの切れたパンツなんですか?私に自分との発育差を見せつける為のブラジャーですかっ!」
「えぇ~」
2人に、追いつめられ。視線を右往左往させるエマ。しまいには、助けを視線に託し、エイミーに向けてくる。
「まったく。それで、例のファイルはどこにあるんだ。それを渡せばなんとかしてやらなくもない」
「本当ですかっ!これです、これがそのファイルです‼」
エマは、目の前に置かれたファイルを滑らせるように、エイミーのところへ飛ばした。
「ふむ……なるほど、確かに差出人は『燻製にしん』だな。それでは、これは捜査資料として預からせてもらう。それでは、ご協力に感謝する」
ファイルをパタパタとやりながらそう言ったエイミーは未だにエマに牙を剝く、レイチェルとヴェラの姿を見て「やれやれ」とつぶやき、店を出て行ってしまった。
「エイミーさん⁉どうにかしてくれるって言ったのに‼嘘つき‼警察が嘘ついたら駄目でしょお~」
その後、エマの断末魔の叫び声が店内に響き渡ったことは言うまでもない。
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