鬱彼女#10
その日の夜、慶介から電話がかかってきた。
『あの話ダメだったわー』
「冬弥のこと?」
『そうそう』
心なし、慶介のテンションは高めだった。
『親に話したらさ、“素人が思い付きで適当なこと言うな”“余計なことはしないで大人に任せておけ”ってさあ。姉貴があんなんなるまで放っておいたくせによく言うぜ』
「まあ、大人はそういうわな」
やっぱりダメだったか、とため息をつく。たしかに親からしたら見ず知らずの高校生を、弱っている娘に会わせてどうこうなんて、そう簡単にできることじゃないよな。
『そうなんだよー。頭ごなしにダメダメってさ。これだから大人は』
「慶介、なんか興奮してる?」
『怒ってる』
「やっぱり」
『蚊帳の外に置かれたのも、意見を鼻で笑われたことも怒ってる』
「そうか」
『まあ、所詮高校生だからかな。いざってときに、子供は役に立たないよなー』
少し熱が冷めたのか、慶介の口調が諦めがちになってきた。
「そんなことねえよ」
ここで慶介まで落ち込んでしまったら、俺の手には負えなくなってしまうので、なんとなく慰めているようなことを言ってみる。
「慶介が笹井先輩のために頑張ってることくらい親御さんもわかってるさ。ただ、今は親御さんもいっぱいいっぱいだから、慶介に気遣う余裕がないだけだろ」
『それもそうか』
「お前、切り替え早いよな」
『さくさく切り替えていかないとやってらんないんだよ』
慶介が諦めたようにつぶやいた。
『姉貴も沙斗子も難しく考えすぎなんだよな。だいたいでいいじゃん。相手に合わせる必要がありゃ合わせるし、そうでもなかったら好きにすればいいのに』
「そういう切り替えが苦手なのかもな」
『そうなんだろうな。たまに“適当でいいじゃん”って姉貴にも沙斗子にも言ってたんだけどさ。姉貴は“他人に対して適当なんて失礼だ”って怒るし、沙斗子は困った顔するし。2人とも違うんだよな。俺が言ってる“適当”ってどうでもいいってことじゃなくて、適切って意味なんだけど』
「突っ走っちゃってる笹井先輩や視野が狭くなってる沙斗子にはそれが伝わらないわけだ」
『そういうこと』
慶介はいいこと言ってると思う。なんでもかんでもきっちりなんて無理だし、ちょっと落ち着いて視野を広げたらなんでもないことなんだろうに。ただ、それが笹井先輩と沙斗子には難しい話なんだろう。
「まあ、こういう言い方は不謹慎かもしれないけどさ、せっかく入院して笹井先輩が落ち着ける環境になったんだ。ちゃんと話をすれば、今度は伝わるかもしれないじゃん」
『そうだな。今度は姉貴を怒らせないように話してみるよ』
じゃ、また明日。そういって慶介は電話を切った。
……慶介まで思いつめなきゃいいんだけど。なんとなく頭を抱えてみる。笹井先輩に冬弥を会わせてみるという案は、今になってみれば無責任な思い付きだったと思う。そのせいで笹井家でもめたのだとしたら、申し訳なくてしかたない。ましてやそれで慶介が思いつめてたりした日には……。止めよう。終わった話だ。慶介ではないが、さくっと切り替えよう。俺にできるのは沙斗子と慶介の話を聞くことくらいだ。笹井先輩の心配は冬弥に任せるし、笹井家のあれこれは、それこそ慶介と先輩が考えることだ。俺は広げすぎそうになった風呂敷を、そっと小さく畳んだ。
数日後の放課後、俺は珍しく沙斗子と校庭の隅で冬弥が部活をしている様子を眺めていた。ここ数日、沙斗子が目に見えて疲れていく様子を見かねた慶介が
“今日は沙斗子は姉貴の見舞いに行くな。姉貴にはなんとでも言っておくから。勅とその辺ぶらぶらしてろ”
と、沙斗子に休みを命じたためだ。屋上に行こうかという話も出たが、これまた悟が
“気分転換ならいつもと違うことすれば?いつも閉じこもってると気分が落ち込むだろ”
とアドバイスをくれたので今に至る。そしてそのアドバイスは的確だった。
「みんな走るの早いんだねー。」
沙斗子は疲れを忘れたように、冬弥の部活の様子……というより陸上部をながめていた。たしかに帰宅部の俺や沙斗子にとっては部活動自体が珍しい。走ったり跳んだり筋トレしたり…目一杯に体を動かす彼らを見るのは気分が良かった。
「冬弥って教室にいるときはただの騒がしい奴なのに、走ってるところはかっこいいもんだな。」
俺も思わずつぶやく。風を受けて真顔で走る冬弥はたしかに輝いていて、なおかつ走り終わった後にこちらに向かって満面の笑みでVサインを投げる冬弥はかっこよかった。
ああ、この冬弥のまじめに走る姿と、満面の笑顔と、教室でのバカっぽい姿のギャップに、女子は引かれるんだろうな。冬弥恐るべし。
「ね!! 藤崎君があんなにかっこいいなんて知らなかったよ。」
「沙斗子さん!?」
俺の心の声に答えるような沙斗子の返事に、思いっきり焦ってしまう。沙斗子から見てもかっこいいですか!?惚れちゃう!?
「なにきょどってるの?」
「あ、いや、その、惚れちゃうのかなって」
きょどる俺を見て沙斗子が笑った。
「あはは、変な勅。そんな簡単に惚れないって」
良かった。危うく失恋して登校拒否起こすところだった。
「はは、そうだよね。にしても沙斗子、最近元気なかったから心配だったよ」
若干無理矢理に冬弥から話題をそらす。
「あー、うん。心配してくれてありがとう。ちょっと祥子姉に引きずられてたかも」
「笹井先輩、調子よくないんだ?」
沙斗子は迷ったように話し出した。
「いやー、ある意味絶好調って言うか。私がお見舞いに行くとさ、ずっと私のことばっかり聞いてくるんだよね。授業どうだった?とか友達とどう?とか。でも祥子姉について聞いても全然答えてくれなくて、教えてくれないんだ。私のことは目一杯心配するくせに、私には祥子姉を心配させてくれないっていうか……。私だって、祥子姉のこと心配でしかたないのに、そこのところはわかってくれないんだよね」
は――、と沙斗子がため息をついた。
以前、笹井先輩と沙斗子が会話していた時のことを思い出した。きっと、あの時のように笹井先輩は話しているんだろう。本人に自覚があるかなしかは別として、一方的に、強制的に。
「そうなんだ。まあ、笹井先輩もきっと不安なんじゃねえかな。沙斗子のそばにいてやれなくてさ」
「たぶん、そうなんだよね。本当は、私が大人になってうまく話せればいいんだろうけど……。でもついつい焦って祥子姉にあれこれ聞いちゃおうとするんだ。良くないの、わかってるはずなのに」
きっと、沙斗子は慶介が言っていた“適当につきあう”ことがどういうことなのかわかってるんだろうな。ふと、そのことに気が付いた。頭ではわかってて実践しようとしているけど、いかんせん笹井先輩との距離が近すぎて気持ちが先走ってしまうんだろう。
「沙斗子は、笹井先輩のこと大好きなんだよな、きっと」
そんな言葉がこぼれた。沙斗子が目を大きく見開いてこちらを見ている。
「そう、なのかな」
「だから心配せずにはいられねえんじゃねえの」
「そっか。そうだね。そうなんだ。わ、今まで気が付かなかった。私、祥子姉のこと……すごく好きなんだ」
そのまま、沙斗子は呆然と顔を校庭の方へ戻した。校庭では、いまだ陸上部が汗を流して部活に励んでいる。
「勅、ありがとう」
「なにが?」
「祥子姉を好きだってこと、思い出させてくれて」
花が咲いたように沙斗子が微笑んで、俺の心臓が痛くなる。
「俺は見たまんま言っただけだよ」
「そうかもだけど、ありがとう。私、大事なこと忘れてた。ずっとずっと、祥子姉のこと大好きだったのに、忘れてた。忘れて、もう少しで嫌いになるところだった」
泣きそうな笑顔で、沙斗子がはにかんだ。
「明日、祥子姉のお見舞いに行ったら伝えてくるよ」
「告白?」
少しおどけて言うと、沙斗子は照れ臭そうに笑った。
「うん。愛の告白、してくる」
「頑張れ」
いつか、俺の告白も思い出して答えをほしいけど、そんなこと言える雰囲気でもなくて。だから俺は心の奥で愛を呟いた。
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