第48話 好きな人を裏切ってまで好きになった人
「どうして、落合が誠君なのよ!」
結菜は表札を睨んでから、目でも俺を責める。
楓の姿は消えていた。
「誠君は、渚高校に通っていて、必死に勉強しているんじゃなかったの! 夏休みだって毎日8時間以上も勉強をしているんでしょ!」
返す言葉が見つからない。
「私……私、誠君のそばに居たくて、渚高は無理だったから、上高に転校してきたのよ! 高3の夏を誠君と一緒に過ごしたくて……。でも、渚高に行ってみたら、『そんな生徒いない』って言われるし、手紙の住所の場所に行ってもゲームセンターだったし……。何よ、この住所、渚町7の7じゃないの?」
「い、いや、ウチは渚町1の1だけど……」
「はあ? あれが1なの? どう見ても7じゃない!」
「できるだけきれいな字で書こうとしていたから、7に見えたのかも……」
「そうだわ! 手紙の字は落合の字と違って、全然きれいだったじゃない!」
「時間かけて丁寧に書いていたから……。それだったら、結菜だって、手紙の字と普段の字、全然違うけど……」
「わ、私は、頼んでいたから……」
「頼んでいたって?」
「だから、代筆を頼んでいたのよ。誠君から届いた手紙の字があまりにもきれいだったから、文通していた茜ちゃんに代筆を頼んだの」
「ちょ、ちょっと待ってよ、結菜。茜さんは、茜さんで存在するのか?」
「そうよ。沖縄にいるわよ。私が送った手紙を清書して、名前を書き間違えないように本名の“小西茜”で、誠君に送ってくれていたのよ!」
「その清書してくれていた茜さんは、ちゃんと住所を間違わないで手紙を送ってくれていたよ。渚町1の1で……」
「はあ? 何それ! 私が悪いって言いたいわけ!」
「い、いや、そ、そんなことないです。ご、ごめんなさい。悪いのは俺です。俺です」
結菜に胸ぐらを掴まれ、俺は瞬時に謝罪する。
「それから、俺、9月になったら、沖縄に転校する……」
「えっ? ちょっと、何を言っているの?」
結菜は手を離して、さらに動揺していた。
「だから、茜さんのことが好きだったから、同じ学校に通うために沖縄に転校することにして……」
「転校って……。茜ちゃんと同じ高校に通うの? 合唱部の全国大会で会ったことがあるけど、茜ちゃんってもうすぐ本格的に女優デビューするくらいキレイな子よ。しかも、誠君の手紙を読んで、『素敵な人ね』って言っていたわよ。落合はその茜ちゃんがいる高校にもうすぐ転校するっていうわけ?」
「う、うん……痛ッ」
「うんって、もう3週間くらいしかないじゃない!」
「そうなんだ……痛ッ」
「どうしてもっと早く話さなかったのよ! 落合のバカッ!」
「しんみりするのが嫌で……痛ッ」
何か喋るたびに脇腹を殴られる。
「もう混乱してきた……。あれだけ、手紙で私のことしか見えないようなことを書いていながら、突然手紙が届かなくなったと思ったら……」
「結菜のことを好きになっていたんだよ」
今度は殴られなかった。
「そんなの……そんなの……。誠君に白紙の手紙を送られて、それから手紙が届かなくなって、本当に悲しかったんだから! 私……、私……」
結菜の大きな瞳から涙があふれ出る。
「ごめんなさい! ずっと謝ろうと思っていました!」
俺は土下座をして、“茜さん”に謝罪した。
結菜は涙を拭うと、
「……明日からしばらく実家に帰らせてもらいます! 落合も今日は実家に帰って!」
と言って去って行く。
肩が震えているのがわかった。
俺は、「危ないから送って行く」と声をかけることさえできなかった。
実家では、父さんと母さんと楓が、不自然なほど賑やかにテレビを見ていた。
俺は誰にも声をかけずに、2階に上がり、自分の部屋へと入る。
それが入っている段ボールを見つけると、大切にとっていた茜さんからの手紙、いや結菜からの手紙を机の上に並べた。
ポタッと涙が手紙にこぼれてしまったので、慌ててTシャツの裾で拭く。
リビングから、不自然なほど大きな笑い声が聞こえてくる。
結菜が茜さんだったなんて……。
結菜は俺なんかのために、転校までしてくれたのに、突然手紙を送るのをやめて、なんてひどいことをしてしまったのだろう。
まだ頭の中が、心の中が、思い出の中が、ひどく混乱していた。きっと、俺には結菜を好きになる資格がないのだ。俺は一番好きになってはいけない人を、好きになってしまったのだ。結菜を裏切って、結菜を好きになっていたなんて……。もうどうしていいのか、何もわからない。
「ゆいぴー、無理して明るくしているところがあるからな。俺と同じでさ」
「俊は違うでしょ」
「そうね。佐藤君とは違って、結菜は本当にそういうところがあるから……」
翌朝、俺は佐藤と三上が勉強のために借りた部屋を訪ねた。美樹も俺を待ってくれていた。結菜の部屋に入ることはできなかった。
「とにかく俺が言いたいのは、人間誰だって、多少なりとも二面性があるってこと」
「結菜は、落合君が文通していた相手の“小西茜”として、普段は見せない顔も見せていたのね」
「あのね、正。結菜、本当はもともと今日から、帰省する予定だったんだよ。でも、正が大声大会に出ることになって、『応援したいから』って帰省をやめていたんだ」
美樹が教えてくれる。何も知らなかった。
「その顔は、聞いていなかったのか……。俺も友里も、ゆいぴーから聞いていたのに……。きっと、正には言い出しにくかったんだな」
何で?
「そうね。結菜、少しでも正と会えなくなるのが寂しそうだったもん」
そんな……。一言でも喋ってしまうと、涙がとめどなく流れてきそうだった。
「正、本当に転校するのか?」
俺は小さく頷く。
「すげーな。正もゆいぴーも。文通相手のことが好きになって転校を決めちまうんだもんな。残念ながら、俺にはできない。美樹は、八坂が転校したら、ついて行きそうだけどな」
「できないよ、そんなこと。海太に嫌がられちゃうもん。エヘヘッ」
「私、絶対に見つけて見せる!」
急に三上が立ち上がり、拳を突き上げる。
「逃げ出したカブト虫を何が何でも絶対に見つけるから! そして、落合君が転校してしまう前に、『杉山見習い部』のメンバーになるから!」
三上はそう宣言すると、再び椅子に座る。
「それから、正、明日祭りでやる大声大会のことなんだけど、俺と友里は、健ちゃんの手伝いで『アツアツ』に行くことになっていて、応援に行けないんだ。すまない。ゆいぴーの応援があれば大丈夫だろうと思っていたから」
「こんな時にごめんね、落合君……」
「正、ごめんなさい。私も、八坂君の映画の撮影を見に行く約束をしていて……。私が勝手に見に行くって言っているだけだけど……」
佐藤と三上と美樹が、申し訳なさそうに俺を見る。
「大丈夫。気にしないで」
それが精一杯の返答だった。あと一言でも喋ったら、下の階で暮らしている住人から水漏れの苦情がくるほど、泣いてしまいそうで怖かった。
転校を隠していたことを責めるどころか、俺のことをこんなに心配してくれている。
俺が結菜を好きでいることを、止めることもしなかった。好きな人に対して、とても残酷なことをした俺なのに……。
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