第36話 テスト

 翌朝。俺は制服を着て、学校へと向かう。杉山のおかげだ。今日から夏季講習が始まる。


 『南かぜ風』で、制服姿の『杉山見習い部』のメンバーと合流する。なんだかほっとした。やっぱり制服姿の結菜が一番かわいい。

 たった9時間ぶり再会なのに、3日間ずっと一緒にいたので、ずいぶんと久しぶりに会うような感じがした。


 夏季講習には、受験前ということもあり、クラスの半数以上が出席していた。驚いたことは、隣のクラスの八坂海太も出席していたことだった。あまり喋ったことはないが、上高1のイケメンで、バスケ部のキャプテンをしていた。佐藤と同じように他校にも知られている有名人物だった。

 八坂は美樹の隣の席に座っていて、いつもより美樹が緊張しているように見えた。


 午前中4時間、集中して勉強をした。制服姿の結菜と会うために参加したようなものだったが、夏季講習というものは、通常の授業より問題を理解することができて、気持ちがいいものだった。恐らく、生徒が少ないので、緊張感を持たなくていいからだろう。


 下校時。『杉山見習い部』のメンバーと一緒に帰っていた。

「ああ、もっと真面目に勉強しときゃよかったなあ。問題が次から次にわかる快感、サイコー」

「佐藤、今日は全然喋らなかったもんね。落合も集中していたじゃん」

「別に、普通だよ、普通」

「落合のくせいに生意気言わないの」

 俺は結菜に、鞄で叩かれそうになるが、すんでのところで避けた。

「でも、美樹はどうだったのかな?」

「えっ、やっぱり、三上さんもそう思った。美樹、落ち着きなかったよねえ」

「そんなことないよ。エヘヘッ」

 美樹が明らかに『そんなことある』という顔をする。八坂が隣の席に座って、俺のことが好きという勘違いから、あっという間に目を覚ましたのかもしれない。

 そうだとしたら、あの日、別荘で結菜に「本当に私のことが好きなの?」と聞かれた時、美樹のことを考えてしまった俺はバカみたいではないか。いや、みたいではなく、完全なおバカさんだ。


 昨晩、母さんが、「旅行中に安田さんが大島さんに何度も謝っていて、おもしろかったわ」と言っていた。大島君は付き合ってからフラれたのだからまだいいが、俺は告白されて、そのままフラれることになる。告白され損ではないか……。

 美樹の“調和を保つ能力”は同性限定で発動されるもので、異性に対しては“調和を乱す能力”を発揮するのかもしれない。本人にその自覚はないのだろうが。

「あれ、落合、急に静かになって……、もしかして八坂君に嫉妬しているじゃないの?」

 結菜が俺をからかってくる。

「ち、違うよ。俺はただ……」

 結菜とセックスできる絶好の機会を逃したことを、あらためて後悔しているとは言えない。


 そんな会話をしながら『杉山見習い部』のメンバーと歩いていると、思わぬ張り紙と出くわした。

 大きな字で『逃げられたカブト虫を捜しています』と書かれた、カブト虫の写真入りの張り紙だった。カブト虫の大きさと、見つかった時の連絡先も書かれてあった。

「本気なのかな?」

「悪戯にしては、ちゃんと作ってあるわよね」

 美樹と結菜が、不思議そうに張り紙を見る。

「うーん、俺たち『杉山見習い部』の出る幕ではないっしょ。さすがに地味すぎる。っていうか、どうやって見つけたらいいんだ?」

「それにもしカブト虫を見つけても、それが逃げ出したカブト虫なのか、わかるのかな?」

 佐藤と俺は、揃って否定的な意見を出した。

「ねえ、『杉山見習い部』って何?」

 三上が、俺たちを見てきょとんとしていた。

 しまった! いろいろあって、三上を勧誘するのを忘れていた。『アツアツ』で絆が深まっていたので、すっかり『杉山見習い部』のメンバーに加わったものと思っていた。


「『杉山見習い部』っていうのは、俺たち4人で結成したもので、自分たちに良いことが起こるように、人助けをするというチームなんだ」

 と佐藤が三上に説明する。

「友里も一緒にやろうよ!」

「うん。三上さんが居てくれたら心強いからお願い!」

 美樹と結菜が、三上を正式に勧誘する。

「わかった」

と三上がすぐに返事をしてくれたので、

「ありがとう!」

と俺たちは安堵した。

 しかし三上は、

「私も『杉山見習い部』に入りたい。でも、テストも受けないで入るのは嫌。ちゃんとテストを受けて合格してから入りたい」

と続けた。

「テストって言われてもなあ。そんなもの用意していないし……」

 佐藤の言う通り、入部テストなんて用意していないし、三上にはその必要はないのだが、本人が納得していない様子だった。

「これにする。私が、このカブト虫を見つけることができたら、『杉山見習い部』に入らせてもらう」

 三上はそう言うと、スマホで張り紙の写真を撮る。どうやら本気のようだ。

 100点満点をとらないと気が済まない三上のことだから、運良くカブト虫を見つけて、この張り紙をした飼い主が本物と認めても、それを完璧に証明できない限り納得しないことだろう。

「それなら、友里、俺たちも手伝うよ」

と佐藤が言うが、

「ダメよ、俊。『杉山見習い部』の出る幕ではないのでしょう」

と三上に断られてしまう。三上の加入に、暗雲が立ち込めてきた。


 結菜は美樹と目を合わせて、やれやれという表情をすると、

「あっ、そうだ。三上さんに教えてもらった本を買いに行きたいんだけど、美樹は秘密の用事があるみたいで、三上さんは塾で、佐藤は料理教室の見学があるから、落合、付き合ってよ」

と言ってきた。

 どうして、俺が最後に聞かれているんだ? 普通はキスした相手に先に聞くものではないのか? まさか……、佐藤と……。ないない、結菜に限って、そんなこと……。いや、結菜だから、ありえるではないか。きっと、結菜の恋愛観に常識はない。

「俺も6時からバイトがあるから、それまでだったら行けるけど」

「よし! お礼にお昼ごはんおごってあげるから」

「別にいいよ」

「嫌よ。落合に借りはつくりたくないの。ちゃんとおごらせなさい」

「わかったよ」

「でもさ、ゆいぴー。本なら、図書館に借りに行けばいいじゃん」

 佐藤が余計なことを言う。

「ダメ。今、読む本は返したくないの。自分のものにしたいの」

 結菜が素敵なことを言う。

 返したくないか。もしかしたら、夏はレンタル品なのかもしれない。60泊61日くらいの。自分のものにはできないから、暴れたくなるのかな。延長料金を払い続けてでも返したくないのに……。


 佐藤たちと別れて、俺と結菜は駅に向かう。

「そっか、前は本屋さんあったんだ」

「ああ、本屋もあったし、CDショップもあったし、ゲームショップもあったけど、渚町から消えちゃった」

「寂しいね」

「まあな。でも、俺たちには『南かぜ風』と『渚四川飯店』があるから」

「今度、『渚四川飯店』にも行ってみたいな」

「おう、いつでもこいよ。俺がおごってやるから」

「本当! 一万円分食べてやろうっと」

 俺が誇りにしている『渚四川飯店』の料理を、結菜がおいしそうに食べてくれるのなら、一万円なんて安いものだ。


 駅に着くと、改札の前で再会した。自転車から降りると、ファンキーなおばあちゃんは、俺と結菜に向かって『どうぞ』と手を動かした。

「あ、ありがとうございます」

 俺と結菜は礼を言って、自転車を借りることにする。


 自転車に乗って、隣町を目指す。結菜は立ち乗りしている。なつかしい感じがした。

「結菜、もしかして痩せた?」

「やっと気づいてくれたわね、まったく。佐藤なんかとっくに褒めてくれたわよ」

 『アツアツ』での業務はかなりハードだったからなあ。

「でも、どうしてまた、自転車を貸してくれたのかしら?」

「電車代の節約にでもなると思ったんじゃないの」

「節約ねえ……、なんだか逆なような気がする」

「逆って?」

「思いきり、青春しなさいって! あっ、落合、右見て右」

「何だよ」

 右側を見ると、反対車線に自転車で2人乗りしている渚高のカップルがいた。進学校のくせに2人乗りなんかしていいのかよ。進行方向は俺たちと同じだった。

「落合!」

「わかってる!」

 俺はグッと力を入れてペダルを漕いで加速し、渚高のカップルを抜き去る。

「イエーイ!」

 結菜が喜ぶが、すぐに渚高のカップルに抜き返されてしまう。

「負けるな落合!」

「オリャーーー!」

 俺はありったけの力を振り絞って、自転車を漕いだ。こんなところで負けれいられない。結菜に相応しい男になるんだ。

 上り坂になるが、俺は汗ダラダラになりながらも、結菜を乗せたまま上りきってみせた。

「ハア、ハア、ハア」

 チラッと後ろを振り向くと、渚高のカップルは自転車から降りて押していた。

「オッシャーー!」

「アハハハハッ」

 俺が勝ちどきの声を上げると、結菜がうけていた。

「落合、顔、ブサイクすぎ」

「しょうがないだろ、ハア、ハア、ハア。きつかったんだから。ハア、ハア、ハア」

「よくできました」

 結菜が俺の頬にキスをする。

「や、やめろよ。倒れたらどうするんだよ」

「私は飛び降りる。落合は転ぶ。それだけのことよ」

「あっそ。なら、いいや」

 風速以上に、風が強く吹いていた。ファンキーなおばあちゃんにお土産を買って帰ろう。


 隣町の本屋に着くと、結菜は三上に薦められた『海辺のカ○カ』の上下巻を購入した。

「前から読んでみたかったんだ。きっと、今読めるように、誰かが調節してくれていたのね」

 かわいい。写真集を出している芸能人よりも、どのマンガのヒロインよりも、結菜を見て俺はそう思った。


 昼食を食べるためにファストフード店に入ると、結菜は30秒ほどでハンバーガーを食べ終え、

「まだ時間、大丈夫でしょ。はい、これ」

と言って、俺に『海辺のカ○カ』の下巻を渡して、自分は上巻を読み始めた。

「おい、俺、下巻から読むのかよ」

「だってしょうがないじゃない。待たれている間に、スマホでゲームなんかされたら、集中して読めないでしょ。貸してもらえるだけありがたく思いなさいよ。それから、もしも先の内容を喋ったら、許さないからね!」

「わ、わかったよ」

 俺は仕方なく、『海辺のカ○カ』の下巻を読むことにする。不満は10ページを読み終わる前に消えていた。怖ろしくおもしろい。


 ファストフード店で『海辺のカ○カ』を読みふけってしまったので、帰りも自転車を飛ばすことになった。

「ねえ、落合、今週の日曜日はバイト休みって言っていたよね?」

「ああ。ハア、ハア、ハア」

「どこか遊びに行かない?」

 ドキッとした。

「ハア、ハア、ハア」

 さらに呼吸が乱れた。

「なら、映画でも観に行く?」

「イヤ」

「なんで?」

「『映画でも』っていう場所には行きたくない。落合が、本当に私と一緒に行きたい場所に連れて行って」

「ラブホでもいいの? ハア、ハア、ハア」

「いいわよ。落合が本気だったら」

「ハア、ハア、ハア」

 苦しい。どんどん苦しくなってくる。結菜を誰にも奪われたくない。

「考えておくよ。真面目に」

「頼んだわよ。楽しみにしているからね」

 ちょっとミスったかな。ファンキーなおばあちゃんのお土産のショートケーキ、ホールで買ってくればよかったなあ。



 この日、『渚四川飯店』では、時間よりもお客様の表情が気になった。楽しく食事していただいているだろうか。何か困っていることはないだろうか。お客様のことが気になって仕方なかった。

「やっぱ恋は、人を変えるな。今日のオッチーの仕事ぶりは尊敬に値する」

「オッチー、かっこよくなったよね」

 まかないの時、川上さんと貴子さんがそう褒めてくれた。

 野村店長は、

「時給、上げないといけませんね」

と言ってくれた。

 ちょっとしたことかもしれないが、俺の価値が上がることになったのだ。社会から評価されることが嬉しかった。『渚四川飯店』でのアルバイトは、貯金をするためだけではなくなっていた。支配人に感謝だ。



 帰宅して、風呂に入って、ベッドの上に座り込んで、ずっと考えている。

 俺が結菜と本当に行きたい場所ってどこなのだろう?

 確かに映画館ではなかった。眠れない。まだ日曜日まで5日間もあるのだから、ゆっくり考えればいいのに、考えることを止められない。やっぱりラブホではないか? その前に定番の遊園地か? 定番は定番で大切なものだ。想像が止まらない。どこに行けば、結菜は喜んでくれるのだろうか? 笑ってくれるのだろうか? 俺はどんな結菜と会いたいのだろうか? 窒息しそうになったので、クーラーを止めて、窓を開けた。夏の蒸し暑い風も涼しく感じた。

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