第29話 ご褒美の時間

「食べるのも仕事のうちだ。しっかり食べろよ!」

と支配人に言われると、

「はい! いただきます!」

と俺たちは声を揃えて言い、一斉にまかないを頬張った。

「旨い!」

「ヤバッ、旨すぎるだろこれ!」

「本当! ちょっと、落合君も佐藤君も食べるの早すぎだよ。あっ、友里も!」

「だって、これ……止まらない……おいしい」

 働いた後のまかないは格別だ。しかも、夏のペンションで。結菜と一緒に……、といきたいところだったが、結菜はくじで外れてしまい、フロント係になっていた。いや、今はチャンネル変更及び、ページめくり係と言ったほうがいいだろう。

「調理人の間では有名な、水野さんが育てた牛肉だからな。安くて良い肉を提供してくれる奇特な人でな、何とか今日、ギリギリで手に入ったんだ」

 奇特な支配人がそう教えてくれる。だから、今日になって、結菜に買いに行かせたのか。

 できることなら、俺がハズレくじを引けばよかった。だが、こういう時に、引きの弱さが出てしまう。そして、結菜には引きの強さが出てしまう。結菜はきっと、『自分がハズレくじを引く』と決意して、見事それを引き当てたに違いない。

 俺と佐藤は競争するように急いで食べ、先に食べ終わった俺が、結菜と代わるために、調理場から出た。もともと、早食いなら、育ちの良い佐藤より俺に分があった。


 俺がロビーに出ると、

「綾、そろそろお風呂行こう」

「オッケー! ちょうど私もそんな気分だった」

と言って、望月様と工藤様は部屋に戻って行った。望月様は俺に弱いところを見せたことを、まだ気にしているのかもしれない。

 そこに、お風呂から出てきた木村様が通りかかった。思っていた通り、「シャンプーの補充は、私たちを助けるための木村さんの嘘だった」と美樹から聞いていたので、俺は深くお辞儀をした。

 顔を上げると、『気にしないで』と木村様はニコッと笑って、階段を上がって行った。

 木村様の助けもあり、何とか今日の務め果たせそうだと俺は安堵した。


 望月様と工藤様が飲み残したジンジャーエールを調理場に運ぶと、まかないを食べていた全員の手が止まっていて、支配人を凝視していた。

「今、なんておっしゃいました?」

 結菜は支配人に敬語をつかうことに抵抗がなくなっていた。すっかり『アツアツ』のスタッフになっている。俺はだんだん『アツアツ』という名前が好きになっていた。

「だから、もうすぐ夜食の時間だと言ったんだ。夜食ではカレーとラーメンが食べ放題になっているから、慎重にお運びするように。間違っても、お客様にかけたりするなよ! わかったな! それから、俺が思っていた以上に、お客様の食欲は物凄い。行動はスムーズにしろよ!」

 誰も返事をしない。体の中から、力が抜けていく気がした。

「ちゃんと返事をしろ! わかったな!」

「はい!」

 俺たちは、完全に心が怖気づいてしまう前に、何とか返事をすることができた。

「念のため、米を買い足しておいて正解だったな」

と言うと、支配人は米を大量に炊く準備をした。


 『大食いサークル』のお客様たちにとって、カレーライスとラーメンは別腹のようだった。

 夕食時に望月様と工藤様が静かになるほど、猛烈な勢いで凄まじい量を食べていたのに、夜食でもおかわりの連続で、俺たちはおよそ1時間、休むことなく食器を下げては、おかわりを運び続けた。

 そして、一つ気付いたことがあった。最も多くおかわりをしていたのは、天使の木村様だった。近い将来、木村様をテレビで見ることになる気がした。すでに俺はもう、木村様のファンになっていた。仕事はきつかったが、木村様の食べっぷりをチラチラ見ていると、幸せな気分になれた。結菜には「よそ見しないで!」と調理場で怒られたが、あの食べっぷりにはどうしても目がいってしまった。


 午前1時過ぎ。俺と佐藤はテントに戻る前に、女子チームの部屋に入れてもらっていた。

「……どうする?」

と皆に尋ねる佐藤にも、さすがにいつもの元気はない。

「今日は、午後からだったけど、明日は朝からだもんね……」

 美樹が逃げ出したくなる現実を言葉にした。

「もう、お風呂に入って、寝ましょう」

と三上が、『お風呂』『寝る』という、今最も欲しい言葉を口にしてくれた。

「でも、もともとは三上さんが泳げるようになるための計画なんだから、今からでも別荘のプールに行こうよ。佐藤のおじさんが迎えに来てくれるんでしょ?」

「ああ、それは問題ない。あの人はこんな時間に寝たりはしないから。家では奥さんにやらせてもらえないテレビゲームを夢中になってやっているさ。よし! 行くか! 結菜の言う通り、ここに来た目的は、友里が泳げるようになるためだもんな!」

「そうだね。友里、さっきはネガティブなこと言ってごめんね」

「行こう、三上さん」

「うん! ありがとう! 私、泳げるように頑張って練習する!」

 皆に不思議なスイッチが入った。夏だから入る、不思議なスイッチが……。もちろん、俺もだ。

 俺は、この部屋に入った時からそのスイッチが入っていた。ここには結菜の荷物が入った鞄があった。そこには結菜の水着が入っている。どんなに疲れていようが、結菜の水着姿を見る権利を放棄する気はなかった。


 『アツアツ』まで迎えに来てくれたのは、佐藤のおじさんが手配してくれた2台のタクシーだった。よほどテレビゲームが好きなようで、中断することができなかったそうだ。


 小高い場所にある別荘に着いた時には、午前2時前だった。

 俺たちが恐縮しながら中に入ると、佐藤のおじさんは、

「好きなだけ泳いで行ってくれ!」

とだけ言って、小走りでテレビゲームのもとへ戻って行った。こんなに立派な別荘で、ひたすらテレビゲームをして過ごすとは、なんて贅沢な時間の過ごしかただろう。やっぱり、佐藤家の人間は素敵だ。


 カシャッ。カシャッ。誰に何と言われようと、俺は隠し撮りをした。心の中で、結菜の水着姿を何枚も何枚も撮った。

「友里、その水着すごいね……」

「三上さん、あんまり激しく動かないほうがいいんじゃないかな……」

「俊、どう?」

「スゲー似合っているよ! っていうか、俺、その水着ドストライク!」

 幸い、皆の視線は大胆な三角ビキニを着た三上に集まっていた。俺は思う存分、結菜に着てほしい水着第1位だった、ブルーのホルターネックビキニを着ている結菜に目をやることができた。ブルーのビキニが結菜には一番似合うと思っていた。そして、今、実際に目の当たりにして、それが間違いではなかったことを知った。

「すごいなあ。凄く似合っているけど、買う時とか恥ずかしくなかった?」

 そう三上に聞く美樹も、ピンクのチューブトップビキニが似合っていた。

「落合君に選んでもらったんだ」

 三上がそう言うと、結菜がギロッと俺を睨んだ。今、間違いなく俺は、結菜に誤解されている……。違うんだ、その三角ビキニは佐藤のために選んだものなんだ。俺は必死に目で訴えたが、結菜はプイッと顔を背けた。

「落合君もすごいね……」

 美樹は俺のお腹を見てそう言った。

「正、いつの間に鍛えていたんだよ。ずりーなー」

「いや、これはその……、高校最後の夏だから、鍛えてみようかなって……」

 本当は違う。結菜にお腹を殴られても大丈夫なように、腹筋を鍛えていたのだ。最近は、お腹を殴られても耐えらるようになっていて、痛い振りをしながら、結菜の怒った顔、笑った顔をゆっくりと見ていた。


 佐藤は三上に泳ぎ方を手取り足とり教えていた。やっぱり指導者に向いている。

 一方、俺と結菜と美樹は軽く泳いだ後、潜水競争や、潜水競争や、潜水競争をして遊んだ。何度勝負しても結菜がビリになるので、結菜が負ける度に再戦を挑んで来たのだ。

最初はどうなることかと思ったが、思いっきり働いて、思いっきり遊んで、最高の1日になった。

 でも、どうして結菜は潜水競争で負けてばかりだったのだろう? 運動は得意なはずなのに……。

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