第12話 夏の足音

拝啓

 もうすぐで8月だね。12ヶ月の中で、どの月が一番好きで、どの月が一番嫌いですか?

 私は一番好きな月は8月で、一番嫌いな月も8月。だって、8月になると、短い夏があっという間に終わっちゃうって、寂しい気持ちになるんだもの。


 私は楽しいことがあるとね、すぐに残りの時間を気にしちゃうんだ。もったいないよね。そんなこといちいち気にしていないで、思いっきり楽しまなきゃ損だよね。でも、心ではわかっていても、頭がついつい計算しだしちゃうの。止められないのよ。

 旅行に行ってもそう。初日から、あと何日後に帰るのかって、考えながら行動しているのよ、私。だから、よく『どうしたの?』って、ママに心配かけちゃうの……。毎年、治したいリストの上位に入っているんだけど、もうすぐやってくる8月になっても、変わらなそうです。今でさえ、オーガストブルーを感じ始めているし……。


 だからね、将来、結婚式をする時に、どうしようって思うの。やっぱり、一番好きな8月にやるべきか。一番嫌いな8月だけは避けるべきかって。誠君はどっちがいいと思う?

マリッジブルーとオーガストブルー、同時に相手にできるかな?


 あっ、それから、誠君が泳げないって聞いて意外だったなあ。誰にでも苦手なものはあるものなんだね。泳げない理由が、小さい頃に溺れかけたトラウマっていうのがやっかいだよね。私も、小さい頃に、おばあちゃんの家で飼っていた柴犬のタツに、エサをあげようとして噛まれてから、犬が苦手になったままだよ。

 まあ、でも、誠君には海で泳いでいる時間もないもんね。塾の夏季講習、すっごく大変そうだもんね。2年生の時から、そんなに勉強するんだね。偉いなあ。私も部活があるけれど、1日8時間も練習することなんて1回もないよ。誠君はそれを毎日だもんね。私の変わりに、楓ちゃんに頭を撫でて褒めてもらってください。


 あ、あと合唱部の先輩たちは、内緒でペンションに行ったことがバレて、親からも先生からも、めちゃくちゃ怒られて大変だったみたい。羨ましいよね。先輩たち、これっぽっちも後悔した顔を見せなかったんだもの。

 やっぱり、結婚式は8月に挙げることにするわ。

 夏風邪に気をつけて、夏季講習頑張ってね。


敬具

小西 茜

P.S. 誠君が夏季講習で大変でよかった。恋する時間もなくなるから。



 土曜日。夕方にバイトを終えると、待ち合わせ場所のカラオケボックスに向かった。

 佐藤は先に入っていて、ノリノリで歌っていた。一人で『純恋歌』を歌って盛り上がれるとは、さすがは“何でも開ける能力者”だ。普通の人が入って行けない領域に、『どうかしましたか?』という顔で、すんなりと入って行く。

 そして、佐藤は俺に気づくとすぐに、タッチパッドを手にとって、器用に次の曲を予約していた。


「お疲れ、正。忙しかったか?」

「うん。家族連れでいっぱいだったよ」

「よかった。やっぱ景気、よくなっているんだな」

 そう言うと、佐藤は次の曲の『海・その愛』を歌い始めた。もしかしたら、佐藤は、良い社長よりも、もっと大物になるのかもしれない。

 俺が来る時間を見計らって、いつも飲んでいるジンジャーエールを頼んでくれていた。

 

 俺は『海の声』を予約しようとしたが、思い直して、『雨唄』を予約した。

 佐藤は『海・その愛』を歌い終わると、

「早く、梅雨が明けて、夏にならないかな」

と言って、喉に潤いを与えた。

「なんで、このまま梅雨でいいじゃん。俺たちは梅雨に降る雨のおかげで、水が飲めるんだぜ。それなのに文句ばかり言われて、梅雨がかわいそうだ。俺は夏より断然、梅雨派だ」

「はあ? 毎年、梅雨明けを心待ちにしているお前が?」

「成長したんだよ」

「それって、田中の影響か?」

 もう『雨唄』が始まっていたが、俺は演奏停止ボタンを押して、『海の声』を入れ直した。

 そこからは、なぜだか『ラブソング縛り』をお互いがかけあい、声が枯れても、フリータイム終了で追い出されるまで歌い続けた。叫び続けた。闘い続けた。


 さよならも言わないで、手だけ振って、佐藤と別れると、俺はゲームセンターに寄り道することにした。

 転校することは、佐藤にも言っていない。最後の日まで、いつも通りに過ごしたかった。杉山がそうさせてくれていた。


 やっぱ難しいな。クレーンゲーム店で、ウサネズミのぬいぐるみを獲ろうとするが、ほとんど動かない。田中の奴はどうやって獲っていたっけな。田中の寂しそうな表情しか覚えていない。あの時はまだ田中だった。懐かしいな。そんなに昔のことでないのに……。田中から結菜に変わって、これからどう変わっていくのだろう。もう、変わることはないのかな。

 俺が学校で使っている鞄には、田中からもらったウサネズミのぬいぐるみが入っている。結菜が鞄に、あの時のウサネズミのぬいぐるみをつけてきたときに、俺もすぐに鞄につけられるためにだ。それに、俺が学校でうっかり、鞄からウサネズミのぬいぐるみを落としてしまい、それを結菜に見られるというハプニングにも期待していたが、まだそれは起こっていなかった。


 俺はあっという間に、手持ちのお金を使い切り、クレーンゲーム店を後にした。気をつけなければいけない。夏は“史上最強にあっという間”の存在だ。一つひとつ、結菜との思い出の場所を増やしていこう。例えその記憶が、星野さんが言うように徐々に薄れていってしまうものだったとしても。

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