第11話 苦いかな?
「苦いかな?」
「はい」
結菜は、その人が淹れてくれたブラックコーヒーを一口だけすすると、二度と手を伸ばさなかった。
「おいしい。落ち着きますね」
美樹は時折、目を閉じて、その人こだわりのコーヒーを味わっていた。
「鹿児島にある別荘でね、野生に近い畑で栽培した豆なんだよ」
言い方はやけに優しくなっていたが、その人は昨日と同じことを言った。コーヒーも昨日ほどおいしくは感じなかった。ちょっとがっかりしたので、俺は結菜に目を移す。私服姿の結菜もかわいい。何よりショートパンツが最高だ。
今朝、その人の家を訪ねたことを、俺は結菜と美樹に話してしまった。どうしても、自慢したくなってしまったのだ。母さんのことを、父さんのことを、その人のことを。
「なんで一緒に連れて行ってくれなかったのよ! こんなこと事後報告されても困るわ!」
と結菜は、ドラマの最終回が録画されていなかった人みたいに、悲しさと怒りが入り混じった表情を見せた。
明日から、バイトが連勤になっているので、俺は母さんの浮気相手の家を、2日連続で訪ねるはめになってしまった。
そわそわして待っている。料理の腕には自信がないのだろうか。
「おいしい!」
「うん、おいしいね」
結菜と美樹のその言葉を聞いて、その人は胸を撫で下ろす。そんなに自信がないのに、料理をふるまうなんて、その人はよほどもてなすことが好きなのだろう。俺もハンバーグを一口食べて、
「おいしいです!」
と大きめの声で言ったが、その人は無反応で、結菜と美樹の食事風景を微笑ましそうにみていた。
なぜ、夕飯をご馳走になることになったかというと、コーヒーを飲み終わって、お礼を告げて帰ろうとした時に、
「ちょっと、待ってくれ」
とその人に呼び止められ、てっきり今日もコーヒー豆をくれるのかと思ったら、ウエディングドレスを持って来て、
「美樹さん、これに着替えてもらえないかね。写真を一枚、撮らせておくれ」
と頼まれたのだ。
俺と結菜はキョトンとしたが、
「いいですよ」
と言ってニコッと笑い、美樹はウエディングドレスに着替えることをすんなりと受け入れた。
やっぱり思っていた通りだ。美樹は、素敵なお嫁さんになる。
「キレイ」
「そうかな。エヘヘッ」
結菜も美樹のウエディングドレス姿に見とれていた。『カシャッ、カシャッ』っと、その人は撮影の合図も出さずに、写真を何枚も撮った。
そして、そのお礼がしたいと言い出し、ハンバーグをご馳走してもらうことになったのだ。まさか、『タイタニック』のDVDを最後まで見るほど待たされるとは思わなかったので、その好意に甘えることにした。『タイタニック』をチョイスした時点で察するべきだった。
まあ、なかなか本格的なハンバーグを食べられたし、結菜と一緒にDVD観賞できたのだから、結果的には良いことだらけだ。
「料理は苦手なんだが、このハンバーグだけは、妻も喜んで食べてくれていたよ」
『いたよ』だって? なんだか苦い話がありそうだ。
「美樹さんを見ていると、記憶が蘇ってくる。はっきり覚えていたつもりなのに、知らず知らずに薄れていっていた大切な記憶がね。危ないところだった。先立たれてしまった妻の若い頃に、美樹さんはよく似ている」
「大切なウエディングドレスを私なんかが着てしまって、怒られませんか?」
「そんなことないさ。妻の喜んでいる声が聞こえてきたからね」
「よかった」
美樹は安堵の表情を浮かべると、ハンバーグを頬張る。
「それで……。もし、美樹さんが迷惑でなければなんだが……」
「なんでしょうか?」
その人らしくなく、言葉をためらっていた。
結菜がローファーで俺の靴をコツンと蹴る。わかっている。もし、美樹に変な誘いをするようなら、俺が男らしく守らなければ。
「気が向いた時でいいから、またここで写真を撮らせてくれないかね?」
「いいですよ」
俺が立ち入る隙もなく、美樹は即答した。
「ごちそうさまでした」
お礼を告げて、お土産のコーヒー豆を昨日よりもたっぷりともらって、俺たちはその人の家を後にした。
「遅くなっちゃったな」
「ごめんなさい」
「美樹が謝ることないって。落合が、変な人を紹介するからでしょ」
「申し訳ない」
「どうして謝るの? あの人、有名な写真家の星野三郎でしょ。海外でも人気なのよね。写真を撮ってもらえるなんて、私、ラッキーだわ」
俺と結菜は目を合わせて驚いた。母さんの浮気相手が、そんなに有名な写真家だったなんて……。
「楽しみだな。今度、来る時は今日撮った写真を見せてくれるって」
ちくしょう。良いことばかりではなかった。帰りに美樹に、「もう来ないようにしたほうがいい」と言うつもりだったのに、すっかり乗り気だ。いくら有名な写真家とはいえ、美樹だけで訪ねさせるわけにはいかない。はあ、俺はこれから何度も、母さんの浮気相手の家を訪ねなければいけないようだ。
結菜を見ると俺と同じように苦笑いをしていたが、ウキウキしている美樹の表情を見ると、嬉しそうにしていた。
帰宅した俺を待っていたのは、母さんの怒りだった。
「なんで、昨日よりこんなにも多いのよ! 許せない! 絶対に許せない!」
俺が持ち帰った話とコーヒー豆を見て、母さんは激怒した。
「俺、一言、言いに行って来る! 母さん、とりあえず駅に向かうから、住所をメールしておくように!」
珍しく、父さんが怒った表情で家を出て行った。
「かっこいい」
楓がその姿に見とれていた。
楓の言う通り、今の父さんかっこよかったな。確かに、自分が愛する人よりも、どこぞの女子高生に、お土産をたくさん渡されたら、黙っていられないのかもしれない。
翌朝、父さんは二日酔いがひどいようだったが、表情は晴れやかだった。俺はなんだか、もう少し自分に自信を持つことにした。
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