第7話 日曜日
日曜日になるとバスに乗りたくなる。とある歌の影響だ。そして、バスに乗ると海に行きたくなる。これはまた別の歌の影響だ。
というわけで、今日は朝一番のバスに乗って、隣町の海を目指している。車窓に雨粒があたる。梅雨らしい、じめじめとした天気になりそうだ。そのほうがいい。夏が近づいていることが実感できる。
乗客は俺と、4、5歳くらいの女の子を連れた母親しかいない。
この天気の中、こんなに早くからどこにでかけるのだろう。先ほどから、会話している様子も見られない。
はたして、本当に親子なのだろうか? そもそも、あの女性と女の子から、親子だと言われたわけではない。俺が勝手にそう思っただけだ。
誘拐? まさか、そんなわけないないだろう。
そんなわけないだろう、とはどういうことだろう? うんざりするほど悲しいニュースが鳴りやまないというのに……。
もしかして、海で心中? 世の中、どうなっているんだ。こんなにすぐに、こんなに悲しいことを連想させるなんて……。
親子かどうか確かめたいが、なんて聞けばいい? 簡単なことだ。『この雨の中、どこに行くのですか?』と聞けばいいのだ。余計なお世話と思われても、もしかして母親をナンパしているのかと運転手に思われても、それで親子だと確認できればそれでいいではないか。
答えはわかっているのに、動くことができない。
イライラして、髪をかきむしってしまう。貧乏揺すりも止まらない。とは言え、親子と思われる2人から視線を外すわけにもいかない。これではまるで、不審者だ。ますます、声がかけづらくなる。
心の中で、あろうことか茜さんに助けを求め出した時、バスが停車し、第4の乗客が現れた。この雨の中、よく歩けたなと思うほど腰が曲がった老婆だった。
「この雨の中、どこへ行くのさ」
老婆は親子と思われる2人の隣の席に座ると、そう言った。
「娘が誰も乗っていないバスに乗りたいと言って聞かなくて」
「ずーっと、あのお兄さんが乗っているんだもんつまらなーい!」
よかった。もしかしたら、俺にだけ見えているのかもしれないと思うほど、あれこれ考えてしまった。親子だとはっきりした2人と、助けてくれた老婆にじーっと見られても気にはならない。
よかった。心の底からほっとした俺は、女の子に向かって手を振ってしまった。
「なんだか、さっきから見られているようで」
母親が小声で老婆に向かって助けを求める。
俺は老婆が声をかけてこようとするよりも早く、降車ボタンを押した。
助けようとしたのに助けを求められるなんて……。そもそも、あの親子は助けなんか求めていなかったじゃないか。それにしても、ここはどこだ?
数軒の家屋と畑が広がっている街。渚町からバスに乗って30分ほどの距離にこんな場所があったなんて知らなかった。
次のバスに乗っても、日曜日に朝一番のバスで海に行くという目的は果たせない。
あの老婆は次のバス停で降りるのだろうか? あの女の子は誰も乗っていないバスに乗ることができたのだろうか? あの母親はかわいい娘の願いを叶えることができたのだろうか?
そうだといいな。
4時間後。俺は、目的地の隣町の海に辿り着いた。
郵便配達のお兄さん、そばやの女将さん、ごつすぎるコンビニの店員さん、不機嫌な国家公務員、愛犬と散歩中のおじいさん、傘でチャンバラをしていた小学生たち、博識なスマホ、多くの人に助けられて、俺はあのバス停からここまで歩いてやってきた。これなら、日曜に朝一番のバスに乗って海に出かけたことになる。バス停から海までがちょっと遠かっただけだ。
大抵の海には、悪天候でもサーファーがいるのだが、この日のこの海は違った。
誰もいない。
あと数日で人とゴミと恋だらけになるこの海を独り占めだ。
世界が滅んだのではないかと少しだけ不安になったが、贅沢な時間を過ごすことができた。
あの女の子のおかげだ。素敵な時間をありがとう。
拝啓
天気予報で見ました。長かった梅雨がようやく明けたそうですね。いよいよ、誠君と一緒に初めて迎える夏ですね。
この前の日曜日、私もバスに乗って来たよ。朝一番のバスは逃しちゃったけど、海に行って来ました。こっちは、もう泳いでいる人がいっぱいで、随分と騒がしかったな。想像していた時間と、ちょっと違っていたけど、すっごい大きな深呼吸ができた気分。また月曜日から頑張ろう!って思えました。
それから、夏と言えば、合唱部では3年生の先輩たちが、最後の夏だからって、親に内緒で、男女一緒でペンションに泊まりに行くことを計画している模様です。小声で話しているけど、楽しそうに計画を立てているのが聞こえてくるの。羨ましいなあ。あとで親にどんなに怒られてもいいけど、絶対に行きたいよね。そこに、好きな人がいても、いなくても。誠君もそう思うでしょ?
不自然だったかな。下の名前で呼んでみたの……。誠君ともっと仲良くなりたくて、そう呼ばせてもらいました。なんだか照れるね。手紙だからよけい恥ずかしいな。前の手紙と、この手紙を並べられちゃうと、しっかり変化が残っているものね。
よし、この手紙はあんまり読まれたくないから、このへんでお別れにすることにします。それでは、誠君、また今度ね。
敬具
小西 茜
P.S. もし誠君と、日曜日に朝一番のバスで海に行くことができたら、大きなおにぎりを作って、持って行ってあげるね。例え雨が降っていても、中止になんてしないでよ!
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