第5話 説教

「バカじゃないの!」

 楓がダイニングテーブルを叩いて怒りを露わにする。

「そんな時に本当に結菜さんにピザをごちそうしてもらうなんて、理解不能だわ」

 楓のこの反応は、バイト先で話した時の川上さんと貴子さんと同じものだった。自己採点では今日の一連の行動は120点だと思っていたのだが、こんなに怒られるほどのミスをしていたとは……。

「でも、河川敷に自転車を返しに行く時は、少しでも結菜さんと一緒にいたいから自転車を押して帰ったのね」

 楓にギロッと睨まれ、俺は黙って頷く。

「まあ、お兄ちゃんにしては上出来か。そのぬいぐるみももらえたんだし……」

「かわいいだろ、これ」

 田中はクレーンゲームで獲ったぬいぐるみを、全部はファンキーなおばあちゃんにあげずに、2個だけ残していたのだ。そして、今日の別れ際に、このウサネズミのぬいぐるみを俺にくれたんだ。色違いのお揃いなんだなあ。

「もうデレデレしちゃって。しっかりしないと、すぐに誰かに取られちゃうわよ。結菜さん、すっごい美人さんじゃない」

 そうだ。思い出したぞ。俺は、帰宅したら学校をサボって、渚高の長身野郎とデートしていたことを、楓に説教するつもりだったんだ。それが、玄関を開けると、楓が腕を組んで仁王立ちで待ち構えていて……。

「バイトなんて休めばよかったのよ」

「そう簡単に休めるかよ。それよりお前、あの渚高の……」

「ああ、あれは練習よ、練習」

「練習?」

「彼氏ができたときに、デートくらいで緊張しないようにね。高校生のくせに、手汗びっしょりかいていてかわいかったな」

 怒りを覚えていた渚高の長身野郎が気の毒に思えてきた。

「でも、お前、学校をサボるのは……」

「実は今日、私も寝坊しちゃってね。遅刻だと、内申書に響くから、身内の不幸があったことにさせてもらったの」

「お前……、一体誰を殺したんだよ」

「フフフッ。私のお兄ちゃんには、一人ずつ抹殺してもかまわない人がいるでしょ」

「お前って奴は……」

「先生も気の毒そうにしていたわ。フフフッ」

 楓の精神年齢は一体何歳なんだ? 俺よりどれくらい年上なのだろう? 身長以上に大きく超されているかもしれない。

「さて、私は勉強に戻るから、お兄ちゃんは茜さんに手紙をちゃんと書くのよ」

 一番痛いところを突いてくる。

「俺を責めないのかよ」

「責める? いったい何を?」

「だから、あれだけ茜さんのことを好きだ好きだと言っていたのに……」

 楓は先ほどより強く、ダイニングテーブルを叩いて怒りを露わにする。

「しょうがないじゃない。好きになったんだから!」

 どっちのことを言っているのだろうか? これ以上、楓の神経を逆なでないように聞き返すことは自粛する。それに、この反応は川上さんと貴子さんとは違っていた。二人の口からは、『最低』という言葉が3回以上は出ていた。

「茜さんと同じ学校に行って、気まずい中、卒業するまで過ごして戻って来るしかないでしょ。それに、結菜さんはお兄ちゃんなんか待ってくれないからね」

「えっ?」

「ちょっとお兄ちゃん、現実を見てよ。結菜さんはあのルックスなのよ。万が一、お兄ちゃんが沖縄に行くまでに、結菜さんと付き合えたとしても、遠距離恋愛が続くわけないでしょ。他の男がほっておかないわよ。お兄ちゃんみたいな男がね」

 確信を突いていた。俺はいったい何を浮かれていたのだろう。

「私に言えることは、奇跡的に結菜さんと付き合えたら、絶対に沖縄に行く前にやっておくことってくらいね」

「やっておくって、お前まさか……」

 今度は机ではなく、俺が殴られた。

「そんな練習はしていません。そんなこと考えるなんて、なんかリアルに気持ち悪いわね。もう、あっち行ってよ! しっしっ!」

 兄としても、男としても、プライドをズタズタにされた妹の説教が終わったかと思ったら、

「もし、お父さんとお母さんが無理言ってお兄ちゃんの転校の話を取り消そうとしても、私が絶対に許さないからね」

 ととどめを刺された

「わかっているよ」

 俺はすごすごと2階の部屋へと逃げて行く。でも、楓のおかげで現実が見えた。田中とハッピーエンドを迎えられるわけがない。でも、しょうがないじゃないか。好きになってしまったのだから。


 部屋に入ると、ベッドに逃げる前に、すぐに便箋を取り出して、机に向かった。

 『好きな人ができました』『これが最後の手紙になります』『本当は彼女がいて、二股かけていました』。最低の言葉を書いては便箋を破る。それを何度も繰り返しているうちに、便箋は最後の一枚だけになってしまった。

 相手が茜さんだから、こうするしかない。茜さんは、“優しい嘘をつく能力者”だ。俺を責めてはくれない。できるだけ、傷つけたくない。でも、傷つけないなんて無理だ。もう、とっくに茜さんを傷つけている。もう、できるだけ、傷つけない方法しか残されていないんだ……。俺は結局、白紙の便箋を封筒に入れて、茜さんに送ることにした。茜さんなら、その意味を察してくれるだろう。そして、転校した時に、茜さんの目を見て、ちゃんと謝ることにしよう。

 文通から始まった恋だから、手紙で謝るべきなのに、俺はそう自分を納得させることにした。そして、この白紙の手紙を書き終えるまでに、今頃、田中は何をしているだろうと何度も考えた自分を呪った。

 人を好きになるとは、どういうことなのだろう。俺は茜さんのことが好きではなかったのか? どうなったら確実にその相手のことを好きになっているかがわかるサインはないのか? そう、好きな人が変わらなくなるサインがほしい。小学3年生から中学2年生まで好きだった初恋の相手の直美ちゃん、中学3年生の時に抱きしめ合う夢を見て好きになった麻里、高校に入って密かに憧れていた杉山、文通で知り合い転校まで決めた茜さん、思い返せば、好きな人が変わり続けている。

 俺は田中のことを本当に好きなのか?

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