第4話 走ろう!

 また獲った。また笑わない。また百円玉を入れる。

 泣きじゃくった後、胃薬を捜していたら、佐藤から『田中と一緒にサボってデート中ですか~』とlineにメッセージが届いた。目が腫れてないか確認してから、制服に着替えて家を出て、このゲームセンターで田中を見つけた。

「学校行かないの?」

 喋りかけても、田中は無視してクレーンゲームを続ける。また獲った。また笑わない。また百円玉を入れようとしたから、腕を掴んだ。田中が睨みつける。『触らないで』とはっきり顔に書かれていた。あまりの剣幕に俺は目をそらしたが、田中の腕を掴んだままゲームセンターから商店街へと出た。


「ほっといてよ」

 か細い声でそう言われたので、俺は無抵抗に田中の腕を離した。今日はそっとしておいたほうがいいのかもしれない。制服は来ているから、学校に行く気がゼロっていうわけでもなさそうだし、正直、こんなにかわいい子を相手にこれ以上どうしていいのか、まるでわからなかった。

「明日は学校、来いよな」

 そう言って、家に帰ろうとすると、

「行かないでよ」

とか細い声で呼び止められた。

「えっ? 今、なんて……」

 あまりにも意外な言葉だったので、聞き返さずにはいられなかった。

「だから、行かないでよ……」

こ、この展開は抱きしめたりしたほうがいいのか? どうしていいのかわからず戸惑っていると、さらに俺を混乱させる光景を目の当たりにした。

楓が渚高の長身の男子生徒と手をつないで歩いていた。

そして、『楓!』と叫ぼうとしたその時、田中に正拳突きで思いきりお腹を殴られた。

「はあー、すっきりした。誰か殴ってしまいそうで怖かったんだ。助かったよ、落合」

 膝から崩れ落ちた俺に向かって、田中は清々しそうにお礼を言う。

 楓は俺にウインクをすると、渚高の長身野郎と走って逃げて行きやがった。

「ちくしょう!」

「ごめん、ごめん。そんなに怒らないでよ」

 田中は一瞬だけ焦った顔を見せると、『グゥー』とお腹を鳴らした。

「お礼におごってあげるからさ」

 俺は逃げようとしたが、田中にがっちりと腕を掴まれていた。


 嫌な予感は的中する。

 田中に連れられてやって来たのは、ピザの食べ放題ランチが880円で食べられてしまう実に迷惑な店だった。

 髪を切り、やけ食いする。女っていうのは失恋すると、本当にこんなに典型的な行動をとる生き物なのだな。“人を思いきり殴る”のは、例外だろうが。

「はい、どうぞ」

 田中がまた大皿にたっぷりとピザを取って来る。

「お、おれはもう……」

 断ろうとすると弁慶の泣き所をローファーでコツンと蹴られる。

「落合君も食べないと、私が食いしん坊みたいでしょ」

 そう言って、田中は笑顔を見せて、裏社会の人みたいに上手に追い詰めてくる。

「い、いただきます」

 俺は、昨日から何ピース目になるかわからないピザに手を伸ばした。

「ここのお店、おいしいよね」

 田中が笑う。今日一番、いや、田中と会ってから、一番自然な笑顔だった。まだ出会って、4日目だけど……。そして俺は恐ろしいことに気付いた。これって、なんだかデートみたいだ。


「あー、お腹一杯!」

 会計を済ませて店から出てきた田中が満足そうに背伸びをする。

 ああ、気持ち悪い。俺はあらためて、この破裂しそうな満腹感と緊張感の中で、わだかまりという難敵を吹き飛ばした父さんのことを尊敬した。

 俺だって良いところを見せなきゃ。

「この後どうする? カラオケでも行くか? 付き合ってやってもいいぜ」

 精一杯強がって自分から田中を誘ってやって。失恋して、ゲームセンターで遊んで、やけ食いしたら、次はカラオケだろう。

「嫌い」

「えっ?」

「私、カラオケ嫌いなの」

「そっか、田中はカラオケ嫌いなのか……。お、音痴なのかな」

「そう。音痴なの」

 カラオケなら少し自信あったのにな……。

「走ろう!」

「えっ?」

「私にタッチできたら、キスしてあげる」

「えっ?」

「行くよ!」

 田中が走り出し、食事して5分後に、追いかけっこが始まった。

 今にも吐きだしそうなほど気持ち悪かったが、ご褒美につられた俺も、すぐに田中を追いかけて走り出した。


 田中のため息が残っていた商店街から抜け出して、住宅街を駆け抜け、途中で警察官に職務質問をされ、また追いかけっこを再開し、河川敷にやって来た。

「捕まえた」

と言いたかったが、俺の口から出てきた物は、モザイクが必要な物だった。

「はい、これ」

 田中が走って買って来てくれたスポーツドリンクを俺に渡してくれる。

「ゼェゼェゼェ。は、走るの速いんだな」

 そりゃ、そうだ。よほど、自信がなければ、あんなご褒美を用意しないだろう。ゲームセンターでPS4をゲットしようとしていたようなものだ。

「食べた後は運動しないとね」

「パンツ、2、3回見えてたぞ」

「それって、嬉しいの?」

 田中が不思議そうに見つめてくる。

「べ、べつに……」

 俺は目をそらさずにはいられない。

「そ、それより、何で俺が警察官に職質されている時、助けてくれなかったんだよ」

「アハハハハッ」

 田中は笑うだけで、謝りはしない。

「最高だったね」

と褒めてくれる。

「明日からは、学校来いよな」

「どうして?」

 また田中と目が合う。俺は3秒も耐えられない。

「どうしてって、佐藤の奴も田中に謝りたいみたいだし……」

 これは本当の話だ。でも、俺が田中に学校に来てほしい理由は、おそらく他にある。

「どうしようかなー」

 田中が簡単にイエスと言えない気持ちは理解できた。俺だって、もうすぐ転校するんだ。高3になって転校を……。誰だって学校に行きづらいだろう。

「今日も行こうとは思っていたんだけどね……。ちょ、ちょっと落合。な、何するの?」

俺が河川敷沿いの歩道に立ち塞がると、自転車に乗って走って来たファンキーおばあちゃんが、『キーッ』とブレーキ音を鳴らして止まってくれた。

「その自転車、ちょっと貸してください!お願いします!」

 ファンキーなおばあちゃんはタバコに火をつけると、何も言わずに自転車から降りた。

「走ろう!」

「えっ?」

 俺は自転車に跨り、

「行くよ!」

 と田中をせかす。

「こ、これ、よかったらどうぞ」

と言って、田中がファンキーなおばあちゃんに、クレーンゲーム店で獲った小さなぬいぐるみたちが入った袋を渡すと、後ろに立ち乗りしたので、俺は力の限り漕ぎ出した。

「思っていたより重いな……」

「うるさい!」

「ハハハハハッ」

「ちょっと、ちゃんと漕いでよ」

「ハハハハハッ」

「もう、どこに行くのよ」

「学校に決まってるじゃん」

「はあ、ばかじゃないの。もう、今から言っても、6限目にだって間に合わないでしょ」

「かまわない。かまわない」

「かまうわよ。おおいにかまうわよ。ちょっと、降ろしてよ」

「残念、この自転車は学校に無事着くまで止まりません」

「はあ?」

 河川敷の歩道から出て、住宅街に入って行く。途中で信号が赤になっても、俺は自転車を止めることなく漕ぎ続けた。車は来ていなかったし、小学生にも見られていなかったから、今日のところは良しとしよう。

 

 減速するどころか、調子に乗って加速して、2人乗りしたまま校門を通過したものだから、教頭にこっぴどく叱られた。良かった。俺は、田中を今日、無事に学校に連れて行くことができた。明日ではダメだったのだ。怒られながら、教頭の隙をついて、田中も俺を見て笑ってくれていた。

 ようこそ渚町へ。俺がもうすぐ出て行く渚町へ。

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