第2話 好きなんだ
バイトを終えて帰宅すると、いつものように妹の楓が、ダイニングテーブルで勉強をしていた。来年、渚高校を受験するのだが、俺と違って40℃の高熱を出しても合格することだろう。
「なんでこんなに好きなんだよ」
「落ち着くのよ。自分の部屋よりここで勉強するほうが」
「そうかなあ」
「そうなの。ねえ、お兄ちゃん知ってる?」
「ムリムリ、俺には渚高の入試問題なんてわからないよ」
「そんなのわかっているわよ。そうじゃなかくて、私とお兄ちゃん、本当の兄弟じゃないって知ってる? 血がつながっていないんだよ」
冷蔵庫からコーラを取り出そうとしていた手が麦茶を選んだ。
「やっぱり、そうか。お前が父さんと母さんに言ったんだろ」
「何を?」
「俺が沖縄に行けるように、俺のことが気持ち悪いとか、言ってくれたんだろう。いつから知っていたんだよ」
「だって、私、まだ中学生なのにお兄ちゃんより身長が5cmも高いんだよ。気付かない方が無理でしょ」
「ま、まあな」
楓が席を立って、冷蔵庫から牛乳を取り出し、コップに注ぐ。
「でも、なんでこんなタイミングでそんな話をするんだよ」
「こんなタイミングって、どんなタイミング?」
「お子ちゃまには関係がないタイミングだよ」
「ははーん。女絡みね……」
ゴクゴク喉を鳴らして牛乳を飲みながら、透視するように楓がうろたえる俺の目を探ってくる。
「まさか、茜さんの他に好きな人ができたんじゃないでしょうね」
「ないない」
「本当に?」
「もうすぐ転校して、茜さんと同じ高校に通えるんだ。そんなバカなこと考えるかよ」
「ならいいけど。大切にしてよ、茜さんのこと」
「わかっているよ」
「よしよし。わかっているなら、さっさとおねんねしなさい」
楓は軽く尋問を済ませると、俺の頭を撫でて、勉強に戻る。物心ついた時から身長は楓のほうが高かった。そして、楓は俺より身長が高いことに気を使うことはなかった。優しくて、勉強もできるし、自慢の妹だ。
自分の部屋に入ると、便箋を取り出し、手紙を書こうとするフリをする。わかっている。今日、茜さんに手紙を書けるわけがないことを。何を書いたって、茜さんは、その変化に気付いたことを、俺に気づかせない返事を送ってくる。それができてしまうから、好きになったんだ。きっと、明日また田中に会えばはっきりする。かわいい子が転入してきたから、心が少し動揺しただけだ。俺は茜さんが好きなんだ。明日、田中に会えば目を覚ますさ。
「落合、お前には田中の姿が見えるのか?」
田中の席を見ていた俺に担任の杉山がそう言うと、クラスメイト達がクスクスっと笑う。誰が笑ったかわからない程度に。わかるのは、佐藤くらいだ。
気になる。昨日は、俺にあれだけ見事な回し蹴りを決めるほど元気があったのに、なぜ今日は欠席なのだ。やはり、転入してきたばかりで、学校に来辛いのか。それとも、渚高の彼氏さんと朝まで……。
「おっ、落合の股間!」
佐藤がそう言うと、クラス中の視線が集まる。
「昨日の田中のパンツ、思い出していたんだろう」
そう言って、佐藤が大爆笑してから、他のクラスメイト達も遠慮なく笑い出す。まったく、佐藤は知らず知らずに敵を作って、知らず知らずに味方を作る不思議な奴だ。楓と少し似ているが、楓ほど計算高くはない。
「そういうものは、昨日のうちに処理しておくように」
杉山が追い打ちをかけて、再びクラス中に笑いが起きる。今日もスカートコーデだ。婚約者でもできたのかな。付き合う、イコール、結婚前提というプレッシャーをどうしてもかけてしまう目をしているから心配していたけれど、杉山の魅力にはそのうち誰かが気づくと思っていた。きっと、夜は豹変するタイプだ。バイト先に訪れたあの中年夫婦も昨晩は楽しんだのだろうか。杉山の言う通り、昨日はしておくべきだったな。
「あるわよ。軽蔑する?」
団体の予約が入っていて忙しくなりそうだったので、バイト先に行ってホールに出ると、大学生の貴子さんに、
「浮気したことありますか?」
と尋ねてみた。川上さんが休みだったから、我慢できずに貴子さんに尋ねてみた。
「いえ、浮気したことがある人に会いたかったので、よかったです」
「アハハッ。喜ばれても困るけどね。でも、相手は川上君じゃないよ」
川上さんと貴子さんは、大学生同士ということもあり仲が良く、なんとなく肉体関係があるのではないかと疑うムードが、バイト仲間はもちろん察しの悪い店長でさえあった。
「店長と1回だけね」
「えっ?」
察しが悪かったのは俺の方だった。誰も頼りにしていないあの店長と貴子さんが……。
「なんでそんなに驚くの?」
「驚きますよ! だって、店長と……」
「何、また僕の悪口でも言っているのかな」
ニコニコした顔で野村店長がホールにやって来ると、誰が洗い場に入るか貴子さんに決めてもらい、レジの方へ消えて行った。
「誰からも魅力的に見えない男性っていないと思うわよ。そこがやっかいなのよね。さあ、支度するわよ」
「は、はい」
この世の中、俺が思っているよりもずっと男と女はやりまくっているのだ。愛し合っているのだ。孤独ではないのだ。高3の梅雨に、俺はその事実を知った。田中よりどれくらい遅れて知ったのだろうか? もしかして、楓はもう気付いているのか?
きっと、髪を切っても気づかれないというショックを一度も受けたことがないだろう。髪をバッサリと切って、ショートボブにしてきた田中が登校してくると、クラス中の視線が集まった。
「おっ、田中。髪、切ったのか。ショートも似合うんだな。美人はやっぱり得だよな」
今日もスカートコーデの杉山が田中を褒める。
おいおい、昨日学校休んで髪を切っているんだぞ。一昨日切った可能性もあるけど、どう考えてもサボりだろう。まあ、そこを注意しないのが杉山のいいところだが……。
「遠距離恋愛がダメにでもなったんじゃねえ」
佐藤がいつもの調子で言うと、田中は涙をスゥーッとこぼして、教室から出て行った。
「佐藤のバカ!」
クラスの女性が3人ほど、田中を追いかける。3人のうち誰か1人は、田中ではなく他の2人を追いかけているのだろうけど。
確か田中は、長崎県から引越して来たと杉山が言っていたような気がする。渚高の彼氏さんとは距離が縮まったはずだが、それが悪いほうに出てしまったのか……。大丈夫。俺と茜さんに限ってそんなことはない。今更、転校だって取り消せないし……。バカか俺は、転校が取り消せないとかは関係ないだろう。田中が来てから、なんだかおかしい。今晩は、絶対に手紙を書こう。手紙を書けば落ち着くはずさ。茜さんのことだけを考えよう。俺は茜さんを泣かせたりはしないんだ。
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