転入生に転校生が恋をして。
桜草 野和
第1話 的
記録的な雨量を計測している梅雨の真っ只中に彼女は現れた。只でさえ、高校での転入生は珍しい生き物であるから、当然クラスの奴らがざわつく。
「前の学校で絶対に何か問題を起こしたのよ」
「中絶とか?」
「そうそう、教師と不倫とかしちゃったりして」
彼女の名前が、田中結菜と答えられる奴が何人いるだろう。最近、スカートを着ることが増えた担任の杉山が紹介しているが、クラスメイトの関心はそこにはなかった。
田中が空席に向かって歩いた。角度のせいかと思っていたが、どこから見ても美しい。顔だけではなく、胸も太ももも足首も人気アニメのフィギュアのように完璧である。
「なあ、俺と付き合ってくれよ」
見事なまでにチャラい金持ちの息子を演じている3年1組のムードメーカー、佐藤俊が田中に声を掛けると、クラス中に笑いが起こる。転入生は、俺が想像していたよりも、的になりやすいのだと知った。
「いいわよ。でも、私、バージンじゃないけど大丈夫?」
田中にそう言われ、佐藤は返す言葉もなく黙り込む。着席し、凛と前を見つめる田中を、クラスメイト達は羨望と尊敬の眼差しで見ていた。
一学期を終えて、短い夏を挟んで、9月から転校することになり毎日ビビっていた俺も、田中のことを羨んだ。
そして、この段階ではいちいち注意しない杉山の対応を、クラスでただ一人褒めてやった。もちろん、心の中でだが。もし、杉山が田中をかばうような真似をしていたら、田中はいじめの的になる危険度が高まっていた。田中もそのことに気付いていたに違いない。田中はいったい何の能力者なのだろうか?
転校して、俺にこんなことできるだろうか? 心の中の誰も、イエスとは言ってくれなかった。
その日の下校時。ウソみたいに雨が止んだ渚町の商店街を、田中がキョロキョロしながら歩いていた。
「商店街がそんなに珍しいの?」
話しかけてみた。
「バカじゃない」
田中は笑ってくれた。
「確か、落合くんだったよね。あのさ、渚高校ってどこにあるの?」
知らないわけがない。俺が受験して落ちた私立の超名門校だ。それにしても、いつ、俺の名前を覚えてくれたのだろう?
「彼氏が渚高校に通っているんだ」
そういうことか。田中を笑顔にさせているのは、その彼氏さんだったのか。
「落合くん、今、私がセックスしているところ想像したでしょ」
図星だから否定しない。今朝、田中がバージンではないことを知り、そして今、渚高校の彼氏さんの話を聞いたら、どんな感じだったのだろうと想像するのが自然だ。
翌日。俺の席には田中が座っていた。
「おいしいパン屋さんを教えてくれてどうもありがとう」
田中はそう言いながら立ち上がると、俺に回し蹴りを放った。純白だった。純白のパンツだった。クラスの全員が、その美しさに見とれていた。パンツを見られることなど気にせず、怒りを伝えるために放った回し蹴り。田中はこの瞬間、クラスの男女ともに憧れの的になった。
そうさ、俺はここまで計算して、田中に渚高校ではなく、渚町で一番うまいパン屋の『南かぜ風』の場所を教えてやったのだ。田中のことを好きになってしまいそうな気がしていたから。こんな俺にも彼女がいるのに……。
「つまり、お前はクソ野郎なんだな」
バイト先の『渚四川飯店』。客のいないホールに、川上さんの力強い意思がボソッと浸透する。俺は川上さんのことを“お手本”として見ていた。人気俳優が霞むほどのルックスで、店長よりも皆に頼られていて、大学一年生の時からずっと付き合い続けている彼女がいた。そんな人間になりたいとは思わない。強がりじゃなく、そう思っていた。川上さんは、キレイな“お手本”で、そういう人を知っていると楽な気持ちになれた。遭難しているけれど、コンパスだけは持っているような安心感を持つことができた。
「彼女になんて言うつもりなんだよ。好きな人ができたから、転校やめますってわけにいかないだろう。現実問題としても、感情論としても」
「そうなんですよねえ」
「あのな、俺はお前のことを尊敬していたんだぞ」
「えっ?」
「今時、文通で知り合って、好きになって、付き合うようになって、まだ一度も会っていないのに、思い切って彼女が通う沖縄の高校に転校して驚かせようとしていた、お前の目を」
そう言われると、川上さんに尊敬されていたこともわからなくはない。俺は随分とピュアだったんだなあ。表面上は……。実際は、昨日会ったばかりの田中を好きになってしまったクソ野郎だ。
ああ、なんで田中が転入してきたのだろう。一年がかりで父さんと母さんと妹を説得して、彼女が通う沖縄の高校に転校することが決まったばかりだったのに……。それにしても、よくそんな理由で神奈川から遠く離れた沖縄に転校することを許してくれたものだ。最終的には妹の楓の後押しがあったお陰だけども。
「でも、川上さん。問題はそれだけじゃないんですよ。もし、田中が俺のことを好きになってくれたとしても、俺は彼氏がいるのに他の男の告白にオッケーする女と付き合える自信がないっつうか……。嫌な感じがするんですよ」
「今日、店が暇な理由がわかった」
「そうですか? 久しぶりに朝から天気が良いし、混んでもいいはずなのに」
「眩しすぎるのも問題なんだよ」
「何がですか?」
「お前、今、自分がどんなに幸せな状況にあるかわかってないだろう」
「幸せ? 何言っているんですか。不幸の真っ只中ですよ」
「それが、恋ってやつなんだよ」
「はあ……。痛ッ。なんで殴るんですか!」
「羨ましいからだよ。あっ、お客さんだぞ。いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませ」
川上さんが他人を羨ましいと思う理由が見つからない。だけど、それがどこかに隠れていることは知っている。誰だってそうなのだろう。問題は、川上さんが俺を羨ましいと思ったことだ。いったいどこが羨ましいのだろう? そんなことを考えながらオーダーを取ったものだから、今日初めての客だった中年夫婦の夫の醜い腹を凝視してしまった。もちろん、その夫には怒られたが、何なら筆おろしをお願いしたい美人の奥さんは笑って許してくれた。
拝啓 宇野様
お手紙、ありがとうございます。私も特に何も起こらないまま、高校2年生になってしまった生き物です。早いですね。本当に早いです。だって、ここに何一つ書き加える必要がなくて、私の高校生活はたった2行でまとめることができてしまいます。もっと、特別な場所だと思っていたのに……。場所ではなくて、きっと私が特別にならないといけないのでしょうね。でも、私には特別な何かがないのです。それは恋をするのに必要なカギであり、翼であり、大切な物をかけるフックです。ずっと続けている合唱部では、2年生になっても控えのままです。またです。もうとっくに10回は書きなおしているのに、また愚痴を書いてしまいました。もう降参します。できるだけ強がろうとしているのですが、私はそれはもう弱い生き物です。戦国時代に生まれていたら、とっくに死んでいることでしょう。ですが、今は平成の世で、さほど抵抗しなければ、さほど高望みしなければ、生き放題です。まあ、それが問題でもあるのですが……。
今、返事をどうしようかと困っていませんか? こんな暗い女子高生と文通なんてしたくないですよね。大丈夫です。返事は期待していません。丁度、夜が明け始めています。なんだかすっきりとした気分なんですよ。この手紙を書き始めてから、ゆっくりと冷たいシャワーを浴び続けていたような気分で、体についていた泥が洗い流されて、久しぶりに裸の心と向き合えました。
私の話ばかりしてしまいましたが、宇野君も次のテスト頑張ってくださいね。私は勉強も苦手だから、進学校に通っている宇野君を尊敬します。きっと、小さい頃からこつこつと頑張って来たのですね。正直、送ってもらった手紙には読めない漢字も書かれていたから、久しぶりに辞書が活躍しました。
そうそう、テストと言えば、私は100点をとることがひどく苦手です。99点は何度も取ったことがあるけれど、100点を取ったことは本当に片手で数える程度しかなくて……。詰めが甘くて、おっちょこちょいで、嫌にもなるけれど、私しか解けなかった問題もたまにあったりして、最近は99点が満点の毎日も楽しめるようになっている気がします。気がします。確信はどこにもありません。私の中にも辞書がしっかりあるといいのに……。
話がブレブレでごめんなさい。75.6cm。ぴったり同じ長さでした。てっきり、脚の左右の長さのバランスが悪いのだと思って測ってみたら絶妙なバランスでした。それでも、真っすぐ歩けない私は、よほど性格が捻くれているのでしょう。
ああ、そうだ。こんな私でも、ポジティブな部分もあるんですよ。私は絶対に、道に迷わないんです。そう、絶対に。なぜなら、私が歩んでいるのは、階段だから。多分、私たちには、生まれた時から登って行く階段があって、人はそれを運命と呼んでいるのだと思うのです。あとは、その階段をどこまで登るのかは個人の努力次第。そして、その階段を登りきったときの達成感は、武道館でライブをしたバンドも、お米を作り続けた農家さんも、真実を追いかけ続けた新聞記者さんも同じだと思うの。大切なのは、自分の階段を、どこまで登れるかということ。だから、私は道には絶対に迷わないの。
やっぱり返事ほしいな。本当は返事がほしいです。テストが終わったら、13人連続でフリ続けている妹さんの話をもっと聞かせてください。
敬具
小西 茜
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