空虚な心に幸いを

 ライフルをセナに向けている。

それそのものに普通のものと変わったところは見受けられない。

放たれる弾丸が本命に違いない。


 引き金が引かれた。

飛び出す弾丸。

すでに食いしん坊さんは前面に展開されている。

食いしん坊さんに接触した瞬間、弾丸は食べられてしまう。


 接触するその一瞬、弾丸が直上に軌道を変えた。

「え!?」

こんなものはあり得ない。

直上から弾丸が降ってくる。

すかさず食いしん坊さんでてっぺんをガードした。

音もなく弾は消え去った。


「驚いたかな」

ドールなのに、不敵な笑みを浮かべているように見える。

「でも一度しか動きを変えられない」

「……なぜわかった」

「食いしん坊さんでガードしてたのに、真上からわざわざ降ってきたから」

ヴィリーは再び銃口をセナに向けた。

「それがどうした」


 レバーを素早く操作し、5発立て続けに射撃した。

「ボルトアクションのくせに早いじゃない」

食いしん坊さんを自分の周囲に展開し、完全防御の構えを取った。

卵の殻のような壁を身にまとい、1歩ずつ確実にヴィリーとの距離を詰める。

彼はじりじりと隣の棟に後退していく。


「どうした、もう終わりか?」

彼は焦っている。

真っ黒な壁に囲まれたセナはそう確信した。


 銃声は止んだ。

弾切れだ。

そして最初に目測で見た限りでは、もう渡り廊下を抜けて隣に移ってるはず。


「消えることに後悔はない。もう悔いはな――」

声も止んだ。

左右の通路に逃げずに、この場で食いしん坊さんに殺される道を選んだようだ。

「戻って!」

カバンに食いしん坊さんを凱旋させた。


 突如それは鳴り響いた。

うっとうしいほどにけたたましい金属音が、フロアに鳴り響いた。

この音に聞き覚えがある。

「目覚まし時計の音か……」

音がうるさすぎてどこでなっているのかわからない。


 彼女はとりあえず通路の右を見た。

通路の遠く遠くに、それはあった。

目覚まし時計とそれに紐づけされたボウガン。

理性よりも本能が先に理解した。

「食いしん坊さん!」

神速を体現した速さで彼女の前に現れ、矢を捕食した。


 左も確認しなければいけない。

彼女が左を向いた瞬間、それは目の前だった。

食いしん坊さんをもってしても間に合わない距離に、すでにボウガンの矢はあった。

眉間を深く、強くえぐる一撃。


 これは最初から意図されていた。

勝てないのをわかっていたから、時間ぎりぎりまで戦い、セナを所定の場所に誘導した。

だからヴィリーに悔いはなかったのだ。

自分が死んでも、セナを仕留めることができるのがわかっていたから。


「憎悪から逃げたかっ……たなぁ……」

1人の少女の‘殺害’から始まった復讐劇から、セナは死ぬまで逃れることはできなかった。


******


「そうかそうか、君は死に憧れているんだね」

ハックマンがレナさんに語りかけている。

いつの間にやら通路に立っている。

私も、セナさんも、ハックマンも。


 セナさんは私の隣で、いやに汗をかいて立っている。

ナイフを握る手が小刻みに震える。

やはり消えた時に何かあったのだろう。


「その人の生き様に反しない、転向しない死を望んでいた。最初の殺人が拍子抜けだったから」

「黙れ!」

しかし彼は語り続ける。

「恐怖の対象だった父の最期は、生を懇願するような哀れなものだったから。獰猛で怖い野犬が、保健所で縮こまって殺処分されるのを、むざむざと見せつけられたような心地がしただろう。違うかね?」

なんでもお見通しだと言わんばかりの目をしている。

彼の目には捨てられた子犬のように映っているのだろう。


「黙れと言っただろ! 人の心をのぞき見する窃視野郎に慈悲はない、ここで死ね!」

ナイフを腰元で構え、ハックマンに突撃を敢行した。

狭い廊下でかわすのは難しい。

攻撃をかわすならすぐ近くの家に飛び込むしかない。


 ナイフがハックマンの腹部を捉えるまであと3歩のところで、彼はいなくなってしまった。

しかしどこに何かがいるかはわかる。

けれどセナさんは気づいていない。


******


 おかしい。

たしかにあと少しで刺せたはず。

けれど対象がいない。

正面にいない。

右手にはフェンス。

左手には家の扉。


 それが奴の魔法か。

姿を消すか、相手の視覚を操作できるか、そういった類か。

他の何かかもしれないが、どのみち厄介だ。


 右肩を誰かに叩かれた。

「そう固くなるなよ」

振り向きざまに距離を取った。

肩を叩いた者を見据えた。

ハックマンだ。

いつの間にやら後ろを取られていた。


「どうしたんだね、幽霊でも見たような顔をして。私は生きた人間だよ。姿なんか消しちゃいないよ」

挑発するようにおどけてみせている。

「うるさい!」

もう一度刺突の構えをした。


 今度こそ仕留める。

目をかっと開き、一瞬たりとも動きを逃さないようにした。

獣のように駆け、相手の急所をえぐる。

あと5歩、あと4歩、そこに男はいる。

あと3……。


 姿はまたしても無い。

ちゃんとその姿を見ていた。

にもかかわらず、その姿はない。

消えた瞬間すらわからない。

まばたきだってしていないのに。


「おしまいだ」

振り向こうとしたができない。

力が入らない。

代わりに痛みが広がっていく。

「君は臆病だ。ナイフを素早く投げれ勝てたかもしれない。けれど外したらどうしよう。その気持ちが投擲ではなく、再度の刺突に走らせた」


 わかったような口を利くな。

心には思っても、言葉にならない。

というよりもできない。

もう何も言えない。


 けれどもういい。

ぶれない死を追い求め、ようやく出会えたのだから。

目の前にいる生の死を求めた者が死んでいく。


 私の気持ちはぶれていない。

死を目前にしても、ハックマンを殺したい気持ちがある。

やっと満たされたんだ。

かすれていく意識の中で、はっきりと幸福の味を覚えた。

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