幻影楼閣

 セナにとって、毎日の買い物は日課となっている。

買い物かごに食材を満載したエコバッグを載せ、電動自転車にまたがって、事務所とスーパーを往復する。

ハイヒールで器用にペダルをこぎ、透け感のあるチュールをたなびかせ、電気の力で軽快に住宅街を駆け抜ける。

後は卵パックに気を付けて事務所に戻るだけ。


 そんなときに彼女は見つけてしまった。

そびえ立つマンションを発見した。

ツインタワーの立派な物件。


 マンション自体別に驚くことはない。

問題は立っている場所が、マネキンと半殺しの人間で満ちていた、幻のアパートの跡地であること。

そしてなにより、行きには存在しなかったことだ。


 自転車を止めて調査すべきか。

単身で乗り込むのは危険が高すぎる。

一度帰って、みんなと相談するのがいいだろう。

スマホで写真を撮り、卵パックに気を使いながら、家路を急いだ。


******


 画像を見つめる私とレナさんとねこうさぎ。

「これ、マジでボロアパートの跡地なのか?」

間違いないとセナさんが言う。


 見るからに立派なマンションだが、なんでこんなものが必要なんだろうか。

「何かの実験に使うつもりかも。それとも、僕たちをおびき出したいのかもね」

ねこうさぎが心を読んだかのようなことを言った。

「それはありえる話ね。でも行かないことには何もわからない」

その通りだ。


「わかってるなら話が早い。みんな車に乗って乗って」

セナさんが玄関でヒールを履いている。

黒地に金の金具がついた、上品な見た目をしている。

きっと値段も張るものだろう。

「またヒールか、自殺志願者め」


 レナさんが責めている。

私と初めて会ったときも、彼女はヒールを履いていた。

「いつもこれなんだしさ、ゲン担ぎだと思ってよ」

「嫌だ。いい加減にしてくれ。ヒールのせいで事故ったらどうする」

「……わかった」


 靴箱からかかとのすり減ったスニーカーを取り出し、それを履いた。

履きなれている感はあるけれど、チュールと全く合っていない。

コーデは足元で決まるというのに、これでは最悪だ。

チュールよりデニムの方が似合っている。


 セナさんは露骨に嫌な顔をしている。

コーデが合っていないからか。

それとも何かヒールに意味があるのか。

彼女なりのルーチンの類かもしれない。


 コンクリートの階段を早足で下り、ミニに乗り込んだ。

ねこうさぎは私の胸で抱えている。

車内が落ち着かないのか、そわそわとしている。

「どうしたの?」

「嫌な予感がするのん」

気分に合わせているのか、ひげがしょんぼりしている。


 助手席に座っているレナさんは何も言わない。

珍しい。

ねこうさぎが何か言えば噛みついてくるような人なのに。

気味が悪いぐらいだ。


 私はねこうさぎと一緒に車窓を眺めた。

流れていく景色。

アパート、マンション、一軒家。

住宅街を走り抜ける。

建物はあるけれど、道行く人がいない。

空は灰色。


 違和感や不気味さを強調し過ぎなほどだ。

いつもと少し違うだけで、これほど違和感を与えてくる。

階段を踏み違えたほど露骨なぐらい。


 この違和感はどこから来ているのだろう。

単純にいつもと違う光景、行動だけか。

それとも目的地のマンションなのか。

アパートの時だって、不気味ではあったがこんな気持ちはしなかった。

あのマンションが心にずれを引き起こしているんだ。

胸元でもそもそしているねこうさぎを見て思った。


 緩やかな減速。

「着いたよ」

軽いドアを開けて、異界のような外に出た。


 ツインタワーだが入口はひとつだけのようだ。

自動ドアをくぐり、マンションの中へ入った。

出迎える吹き抜けのエントランス。

白塗りの壁にアラベスク。

茶色い、木製を意識したような柱。

全体的に小奇麗にまとまっている。

品は悪くない。

けれど個性のようなものはない。


 小窓のついた警備員室があるが、人の気配はない。

人の代わりとばかりに、呼び鈴が置いてある。

「鳴らしたいにゃ!」

腕からするりと抜け、前足で乱暴に呼び鈴を叩いてみせた。

エントランスに響く軽い金属音。


「いいにゃ! いいにゃ!」

呼び鈴を連打している。

「バカか!」

レナさんがねこうさぎを掴もうとしたが、軽快なステップでそれを避けた。

「どうせ敵はマンション内にいるんだろうし、いっぱいいるなら呼び寄せて、一網打尽にした方が効率がいいにゃ」

何とも言い難そうにするレナさん。

「それとも負けるほど弱いのん?」

彼女の性格を知った上での発言だ。


「でも敵は来ないね。手分けしよっか」

セナさんが言う。

エントランスから通路は左右に2つに分かれ、それぞれに階段とエレベーターが1つある。

「私は右手に行くから、みんなは左に行ってくれる?」

「え、セナさんが1人になりますよ?」

彼女は鼻で笑った。

「私には食いしん坊さんがいる。だから大丈夫」


 やっぱり何だか変だ。

複数で戦うか、1人の時は後ろで待機しているのがこれまで。

なのにどうして。

複数で戦っていても、以前効果的に戦うことができていなかったからか。

この建物は違和を引き起こしている根源だ。


******


 今まで他人に依頼し、力を与えて彼女を害しようとしてきた。

それはことごとく失敗し、今に至っている。

他人を頼ってきたのは、協会に所属する自身が、同じ協会の人間を殺すのは、立場が危ういと思ったからだ。


 自分の魔法を駆使すれば殺すこともできる。

しかし万が一足がつくようなことがあったらどうするか。

自分も破滅するのが怖かった。

一度の選択肢の過ちで、ドールにされるのを見てから、リスクを冒すという行為が怖くて怖くてたまらなかった。

心の奥底に憎悪をため込んでいながら、小動物のように震えている。


 そんな自分をアイリは過去に執着していると言った。

その通りだ。

過ぎ去った過去を軸に生き、未来を見据えていない。

というよりも、未来に興味がない。

1体の‘ドール’を破壊されたその瞬間から、自分の中の時計は止まっている。


 一連の復讐行為は止まった時計を動かすものなのか、はたまた壊してしまうものなのか、自分でもわかっていない。

そもそもわかろうとも思わない。

一体そんなことにどれほどの価値があるというのか。


 もはや何かあったから彼女が憎いというものでもない。

最初は原因があったから憎かった。

数年間憎悪をひたすら膨らませていたら、憎悪が原因を食べてしまった。

原因がなくて、憎悪だけが存在する奇妙な状態。

順序が逆でおかしなことなのは間違いないが、自分にとってはこれが真実に他ならない。


 ああそうだ、思い出した。

好きな人が‘悪’を行ったから憎いんだ。

それが世間的悪かどうかじゃない。

個人的悪かどうかが問題なんだ。

純粋無垢なエゴイズム。


 エゴがここまで連れてきた。

導かれるままにアイリに非難され、そして自分が表に出た。

自分のエゴを憎しみで彩り、自分の体で彼女に表現するんだ。


 徹頭徹尾エゴの塊。

臆病者のエゴの発露。

醜くて、汚らわしくて、見苦しい存在。

けれども自分にはこれしかできない。

そして何より、彼女のことが今でも好きだ。

歪んだ感情と自覚していてもなお。

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