ぼくらともども

大滝 龍司

ぼくらともども

序幕

二人のこと


 幕は上がる。開演ベルを鳴らさずに。



――時は夕暮れ、所は教室。

 卒業式が終わり、浮かれ騒いでいた者達の姿は、もうほとんど残ってはいない。

 ただ一人だけ。一人の女子生徒のみが、己の机で寝息を立てている他は。

 冬の終わりは肌寒く、教室の暖房は気休め程度の暖かさしか保てずにいる。けれども、窓から射す太陽の弱々しい光が、まどろみのための僅かな熱をもたらしていた。

 徐々に弱っていく日向の中で、彼女は眼鏡をかけたまま、静かに、穏やかに、眠り続ける。

 教室の扉を、誰かが開ける音がしても、彼女は目覚めなかった。

 その誰かは、そっと、ゆっくりと、扉を閉める。彼は足音を極力立てないようにしながら、彼女の元へと歩いていった。

 オレンジ色を帯びた光の中で、二人の影が床に並ぶ。

 片や、小柄な男子生徒。片や、まどろみ続ける彼女。

 眠り姫を起こすには、口付けが一番とは言うが――彼は無難に肩を揺することにした。

「……ん」

「おはよう」

 陽光に目を細めながら、彼女は目覚めの世界へと戻ってきた。

「ふぁ……。うん、おはよう」

「ごめんね。思ったより長引いて、遅くなっちゃった」

「ぅーんゅ……」

「大丈夫? まだ目が覚めてないんじゃない?」

「うん、眠いねー」

 惰眠の名残を探すかのように、頭をごろ、ごろと、机に置いた腕の上で転がす。髪がそれに連れられて遊び、毛長の黒猫を思わせた。

 次いで、お下げ髪を掴んで、ぐいぐいと引っ張る。それで目が覚めたのか、彼女はようやく目の前にいる彼をまっすぐに見た。

そして、その後ろの壁にある時計も。

「わぁ、もうこんなに経っちゃったんだ」

「ごめん」

「ううん、いいよ。私も寝てたから」

 彼女は頭を振って、次いで何かを探すように周囲を見渡した。前後左右をぐるんと一周した後、彼女の視線は下に向かったところで止まる。

「あ」

 床に落ちていた、冬物のコートを取ろうと手を伸ばす。

 その前に、彼が素早くそれを拾った。

「あ、ありがとう。………?」

 彼女は手を差し伸べるが、彼はそれには応えず、拾ったコートを返そうとしない。

 次に彼は、黙ったまま近くの座席の椅子を引き、どっかと腰を降ろす。

「えーと……返してくれないの?」

「返して欲しい?」

「うん。だって、一緒に学校を出るんだよね」

「…………」

「帰らないの?」

 小首を傾げる彼女に、彼は微笑む。

「実を言うと、そうなんだ」

「どうしたの?」

「実はね……話したいことが、あるんだ」

「私に?」

「君と。大事なことをね」

 彼は彼女にコートを返す。自分は座ったまま。

それを見て、彼女も察したのだろう。返してもらったコートをしばし抱えた後、自分の膝の上にかけた。このまま座り続けるつもりで。

「大事なこと?」

「うん。まあ、その、なんていうか……」

 言葉を濁しながら、彼は冬の空を見る。はっきりとしない、実に男らしくない態度だった。

「あのさ」

「うん」

「今日で……最後だね」

「うん」

「三年間、長かったけれど、あっという間だったね」

「うん。そうだね」

 彼女もまた、彼と同じ空を見る。

 太陽が完全に没するまで、まだまだ長い時を必要としていた。

「それが大事なこと?」

「もちろん違うよ。違うけれど」彼は再び彼女に向き直った。「お話には順序があるんだ。回りくどいかもしれないけれど、こっちの準備が整うまで、付き合ってくれないかな」

「また何か、変なことでも起こってるの?」

「ううん、これは僕の話の都合だよ。三年間、君と出会って、ここまできて、それで、どうしても言いたかったこと。そのためには、前座がどうしても必要になっちゃうんだ」

「フルコースで言うなら、前菜かな」

「そうだね。メインディッシュまでは随分長くなる」

彼は一息をつく。

気づかれぬように平静を装っているが、その心臓は強い鼓動を打っていった。

「どうする? と言っても、僕としては是が非でも聞いてもらいたいのだけど」

「いいよ」彼女の返答は、意外にもあっさりとしていた。「よく分からないけれど、私に何か、伝えたいことがあるんだよね?」

「うん」

「じゃあ、聞かせて」

「ありがとう。それじゃ、はじめるよ」

 彼は息を少しだけ長く吸い込んだ。胸の高鳴りを鎮め、改めて口を開く。

 彼にとって一世一代の大勝負を始めるために。


「入学式のことは覚えている?」

「うーん……」彼女は思い出を探りだすのを早々に諦めた。「流石にあやふやだよ。だって三年も前なんだもん」

「そうだね。正直僕も忘れかけてる」

「何かあったっけ?」

「何もなかった。驚くべきことに」彼は大袈裟に手を振った。「この学校では散々色んなことに巻き込まれたけれど、もし入学式でそんなことがあったら、絶対に覚えているはずだよね」

「うん。言われてみると、そうだね、なんだか変かも」

「二年生や一年生に聞いてみたことがあるけれど、やっぱり何も無かったって。だから入学式だけは、実は平和なイベントだってことらしいよ」

「卒業式は、あんなに大騒ぎだったのに」

「うん……後片付け大変だったよ。僕もう御役御免のはずだったのに」

「お疲れ様でした」彼女は彼に向かって頭を下げた。

「お疲れ様」彼もまた頭を下げ返す。「……ま、だからさ。僕らの高校生活は、最初はまだ普通だったんだよ。今になって改めて気づいたことなんだけど」

「最初っから、おかしな出来事に巻き込まれていたような気がしてたなぁ」

「入学して最初は、そもそも高校生ってことに不慣れだったからね。精神的には大きなストレスだったかも。それが思い出に反映されてるんじゃなかな」

「そうかな。あ、でも」彼女は何かを思い出したようだった。「私、始業式の次の日に迷子になったんだよね」

「迷子?」

「うん。入学式をやった講堂の方に行っちゃって。そこから校舎の方に向かおうとして、講堂の近くで、ぐるぐる堂々巡りすることに……」

「どうやったらそんな迷い方ができるの」

「わ、分からなかったんだよ」彼女は慌てて釈明した。「あの頃って、まだ地理とかよく知らなかったし……あ、それでね。その時に彩ちゃんに出会ったんだ」

「橋口さんに?」

「うん、たまたま。そこから教室まで連れて行ってもらって。思えば、あの頃から彩ちゃんにはお世話になってたんだ。懐かしいなぁ」

 思い出に浸る彼女を見ながら、彼もまた記憶を探る。

「橋口さんかぁ。彼女には本当に色々と助けてもらったよ」

「彩ちゃん、しっかりしてるからね」

「そうそう、橋口さんといえばさ」記憶を探り当てた彼は言う。「一年の、二学期だったかな。前にも話したような気もするけれど、彼女が魔法を使っていたのに出くわしてさ」

「話したっけ?」

「話したような、どうだったかな。この際だから改めて言おうか。あれは、そう、今よりもっと日が暮れた時間帯だったんだけど――」

 彼は語り始める。まずは魔女のことを。

 彼と彼女の物語にまつわる、彼女の知らない舞台裏を。

 時は夕暮れ、舞台は教室――

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