第15話 それぞれの日常



 4の刻に館を後にした私は、マグリットの予想通りに日が暮れる頃に帰宅する事になった。仕事を終わらせて私の帰りを待っていたのだろう、お父さんは私の姿を確認すると玄関から走って来た。



「遅かったじゃないか。心配したんだぞ」


「まだ暗くなってないよ?」



 だただいま、おかえりと言うやり取りをお父さんとした後、お父さんは私を抱き上げながら半ば愚痴の様に私にそう溢した。そこからは愛娘を一人で村に行かした事を相当に心配するお父さんの様子が伺えた。



 家に入ると、既に夕食の準備は粗方終わっており、テュール兄さんとトール兄さんは食器を並べるなどお母さんの手伝いをしていた。


 食卓には、いつものスープと硬いパン以外にソーセージや果物など普段の食卓に並ばない様な食べ物が並んでおり、今日が特別な日であるという事が伺えた。



「今日はどうしたの?」



 私の質問に、お父さんは忘れたのかと呆れた様に溜息を吐いた後



「夏はトールとユティーナの生まれた季節だろ?そのお祝いだ」



 今年でトール兄さんは7歳に、私は6歳になるのだ。7歳になった子供は両親の仕事を手伝ったり、街では仕事の見習いとして働き始めるらしい。テュール兄さんも7歳頃からお父さんの仕事の手伝いをしていた様で、トール兄さんはやっと子供扱いされなくなる事をとても喜んでいた。


 私も7歳になれば、何かしらの仕事をし始めないといけない様だ。私は余り実感を得られないまま、話は進んでいった。



「それに明日、テュールが家を出て街に行くからな」



 どうやら、テュール兄さんの街に行く日取りは決まっていて、明日の朝に村を出発して街に向かうらしい。街へは大人の足で7日程掛かるらしいが、丁度街へ向かう馬車が明日村を出るので、それに乗って街に行くらしい。


 家族皆で食卓を囲みながら、トール兄さんがまだまだお父さんの手伝いを十分にできていない事や、テュール兄さんが騎士に目を付けて貰っている事、今日の私の愚痴や今度村長の所で勉強をする事など様々な事を話しながら楽しい夕食の時間を過ごした。



「そういえば、今日の帰り道でずっと誰かに見られている様な気がしたんだけど……」



 話の最後に今日気になっていた事を少し話してみる事にした。


 正直、今日みたいな日に話す内容ではないと思っていたのだが、私一人で解決できる事でもなさそうなので、話す事にした。



「いつからだ?」



 その話題にお父さんは血相を変えて、私に訊ねて来た。


 今日、玄関で私の帰りを待つぐらい私の事を心配していたから、お父さんの反応はある程度予想は出来た。その表情は、村の会議の時と同じで険しかった。



「村長の館を出てから、お父さんが私を迎えに走ってくる直前まで……」



 私がそう言うとお父さんは直様玄関へ飛び出し辺りを確認していた。


 帰って来た時に言えばよかっただろうが、お父さんが走って来た途端に視線を感じなくなっていた。私も帰路の途中で何度か辺りを確認したが、視線は感じるが、気配が全く無かったので気のせいだろうと考える様にしていた。


 そう私が説明すると、明日からはお父さんが館まで送り迎えしてくれる事になった。


 送迎の件もお父さんに相談するつもりだったが、結果的に送り迎えをしてもらえる事になったので、これで良しとしよう。



 その日の晩、お父さんとテュール兄さんは遅くまで二人で色々な事を話し合っていた。最初は聞き耳を立てながらベッドに横になっていた私も、今日の移動で疲れていたのだろう、いつの間にか寝てしまっていた。




 翌日、朝食を済ませた後、今日はテュール兄さんの見送りの為に家族全員で村に向かった。


 今回は一人で留守番する事もないとトール兄さんは上機嫌だった。一人歩く速度が遅い私はお父さんに背負われている。テュール兄さんは以外と軽装で小さな荷物を抱えている以外何も持っていなかった。



「テュール兄さんの荷物はそれだけなの?」


「ああ、訓練所で必要なものは支給されるから、持っていくものは殆ど無いんだ」



 そうか、別に引越しをするわけではないから、沢山の荷物を持って行く必要は無いのか。


 どこかへ旅立つ時は大きな鞄に沢山の荷物を入れて移動するってイメージしてたから、そう思ったのかな?



 そうこうしている内に村に到着した。


 今日は会議の時よりもゆっくり歩いていたが、それでも私が一人で歩くより早く着いた。村の広場には馬車が何台か止まっていて、村人が荷物を積み込んでいた。兄さんの他にも、何人か馬車で街へ向かうのだろう、荷物を持った人たちが馬車の近くに集まっていた。



 暫くすると、村の鐘がなった。


 おそらく2の刻の鐘であろうその鐘が鳴ると辺りは少し騒がしくなった。どうやら馬車が出発する様だ。


 テュール兄さんは、家族全員に声を掛けて回っていた。私の所に来た兄さんは屈んで私との目線を合わしてくれた。



「余りお父さんとお母さんに心配かけちゃダメだからね?」


「うん、わかった。」



 そう答えた私の頭をテュール兄さんは優しく撫でてくれた。最後にお母さんとお父さんと抱擁をしたテュール兄さんは馬車に乗り込んだ。




 先頭の馬車の合図と共に、数台の馬車ゆっくりとその後に続いて行く。


 少しずつ速度を上げていく馬車は名残惜しそうに村を後にした。



 テュール兄さんならきっと騎士になれるよ。



 私はそう思いながら最後まで手を振っていた。




 テュール兄さんを見送った後、私は館へと向かった。


 村長の館は広場のすぐ側にあるので一人で向かおうと思っていたのだが、お父さんはマグリットに用事があるらしく一緒に館へ向かう事になった。お母さんとトール兄さんは広場で待っているらしい。


 館では昨日と同じ使用人が出迎えてくれた。用件を述べると、直ぐにマグリットがやって来た。



「今日は早かったねユティーナ。トゥレイユには送迎をお願いできたんだね?」


「その件でちょっと話がある」



 いつも通り、陽気に話しかけてきたマグリットと裏腹に、真剣な面持ちのお父さんはそう述べた。執務室で話を聞こうと、状況を察したマグリットは直様私達を執務室へ案内した。


 執務室には昨日までなかった、私の勉強机だろう少し小さめの机と椅子が執務机の隣に準備されていた。



「昨日帰りにユティーナが何者かに跡をつけられていたらしい」


「本当かい? ユティーナ」



 コクンと頷いた私はマグリットにも『視線』の話をした。驚いた様に目を見開いたマグリットは、お父さんと目を見合わせていた。



「だからユティーナは毎日俺が送り迎えする事にした。ここにいる間は大丈夫だと思うが、マグリットも気に掛けていてくれないか?」


「わかった。それは任してくれ」



 お父さんはマグリットと一通り話を終えると、また夕方迎えに来ると執務室を後にした。



 結構大事になっているけど大丈夫かな? もしかしたら気のせいかもしれないのに、お父さんたちは敏感になりすぎじゃないだろうか?



 気のせいかもしれない事に敏感に反応しているのは、二人とも娘を持つ父親としての性なのだろうと納得して深く考えるのを止めた。


 お父さんが出て行った後、私は昨日までなかった机に視線を送った。すると、私が口を開くよりも先にマグリットが答えてくれた。



「それは君の机だよ、そこでこれから勉強して貰うからね」



 そう言うとマグリットは、『白い石』と『黒色の石板』を取り出した。それは『石筆』と『石板』だった。所謂、『チョーク』と『黒板』の様な物で、石筆で石板に書いた文字は布で拭けば消え、何度でも石板に書く事が出来るという物だ。


 私は用意された椅子に座り、マグリットが書いた見本の文字を真似しながら文字の練習をした。


 マグリットが書いてくれた文字は左横書きで『アルファベット』にも似ていたが、全く別の基本文字から派生して出来た文字にも見えた。まだ文字の練習なので詳しくはわからないが、単語をかける様になれば、この文字の構成パターンもわかってくるだろう。



「ユティーナ上手だね」


「そうですか?見たままに書いてるだけなんですが」


「うん。初めてでここまで書ければ上出来だよ」



 そう言ってマグリットは私を褒めてくれた。


 実際は『文字』という概念は知っていたので、全くの初めてではない。私は少しズルをしている様で少し複雑な気持ちになった。


 暫くの私は文字の練習をしていた。マグリットは執務机で何やら資料を確認したり、『算盤』の様なもので計算をしたりしていた。


 そこで初めて気づいたのだが、ここで使われている紙は『羊皮紙』であった。また今度、紙についても質問しなければ。羊皮紙は高価で簡単に持ち歩けない。なので『植物紙』があるかどうかを確認したかった。



 ん?



 まただ、どこからかを感じる。私はどこから視線を感じるのか辺りを見回してみた。すると執務室のドアが少しだけ空いていた。



 あ、サラだ。



 ドアの隙間から、この間見た宝石の様な瞳がこちらを覗いている。早速、獲物にかかってくれた様である。


 私は『視線』の正体にホッと胸を撫で下ろし、文字の練習を再開した。


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