第13話 村長の娘



 私は知らない事が多すぎる。まだ5歳だから仕方ない事なのかもしれないが、それにしたって知らない事が多すぎる。


 私が知っている『世界』と『この世界』は別物だった。


 それすらも気づけないくらい私は何も知らない。


 お父さんが何故『剣』を倉庫に隠していたのか、テュール兄さんの『スニーク』が何なのか、本当に知らない事ばかりである。


 私は知らない事を知らなければならない、『この世界』について知らなければならない。


 それは過去を知る事であり、今を知る事でもある。


 『考古学者』として私はもっと知らなければならない事が沢山あるのだ。



 私は大きな志を胸に秘め、村長の館の扉の前に佇んでいた。




 先日から色々な事があり過ぎて、私は連日夜も眠れなかった。いや、夜は熟睡していたのだが、要は例えである。


 今日からマグリットの所に行って良いとお父さんに言われていたので、私は朝から張り切っていた。いそいそと出かける準備をする私を他所に家族全員、私を一人で村まで行かせるのが不安なようで、皆が口々に声を掛けてくる。



「明日にしたらどうだ?」


「無理に行かなくてもいいのよ?」


「一人でも大丈夫かい?」


「俺が一緒に行ってやろうか?」



 っと言っていた。



 私、どれだけ信用がないの?



 自分でも呆れる位、家族に心配されているようだ。お父さんに至っては今日は仕事を休んでユティーナに付き添うと言いだす始末である。流石にそれはお母さんに怒られていた。


 そこまで心配しなくても家から村まで一本道だし、何回かお父さんと村まで行っているので大丈夫なはずだ。


 多分だけど……


 でも、ここで弱音を吐いていても何も始まらない。



「いってきま〜す」



 私は『よし』と気合を入れて家を後にした。




 ……そして今、館の前に佇んでいる。



 …………。



 もう太陽は昇りきって、これから傾こうとしていた。



 ちょっと遠くない? 村長の館。



 この間お父さんと一緒に村に来た時は、それ程時間は掛からなかった筈だ。家から村までの一本道で迷子になる訳が無いし、そんなつもりはさらさら無い。



 やっぱり私、歩くのが遅いのかな?



 私は息を切らしながら、滴る汗を袖で拭った。喉を潤そうと手に取った水袋にはもう既に水は入っていなかったらしく、僅かな雫が口の中に滴り落ちただけだった。疲労と暑さに顔を歪めながら、渋々水袋を仕舞うと私は顔を上げた。


 見上げた先には厳かな扉が佇んでいる。


 先程マグリットの館に到着したのだが、どうやって中に入るのかを考えていたのだ。勿論、扉には『インターホン』など付いているわけでもなく、私の身長ではノッカーには手が届かない。暫く考えてみたのだが、方法は一つしかなさそうだった。



「すみませ〜ん」



 私は仕方なく、大きな声で何度か声を掛けてみた。


 声を掛けて暫くすると、ギィと扉が開いた。



「どなたでしょうか?」



 開いたドアの隙間から一人の使用人が辺りを見回した後、見下げる様な形で私に訊ねた。


 先日の会議にいた使用人とは別の、少し年配の女性の使用人だった。



「私はユティーナと言います。村長に用事があって来ました」



 私がそう述べると、彼女は扉を開き、エントランスまで私を案内してくれた。そして私が来た旨を村長に伝えて来るとその場を去っていった。


 先日この館にやって来た時には直ぐに大広間に案内されたのでじっくりと見る事は出来なかったが、館の中は私の家と違って明るく掃除も行き届いているようでとても綺麗だった。エントランスの脇には階段があり、そこから2階へ上がれるようだった。


 ふと、2階の方から視線を感じたので其方を振り向いたのだが、其処には誰もいなかった。



  気のせいかな?



 私は首を傾げて先程の使用人が向かった先に視線を戻すと、奥からマグリットが笑みを浮かべながらやって来た。



「ユティーナ、よく来たね」


「こんにちは、村長さん」



 やってきたマグリットは陽気に声を掛けてきたが、私が既に疲弊している事に気がつき、直ぐに執務室で休ませてくれた。



「来るのが遅かったけど、何所か寄り道でもしていたのかい?」



 長椅子に私を座らせると、向かいに座ったマグリットは紅茶を啜りながら私に尋ねた。


 私は淹れて貰った紅茶をゆっくりと啜り、一息ついてからその問いに答えた。



「今日は朝食を食べてから直ぐにここに来ました。途中で何回か休憩を挟みましたが、寄り道せずに真っ直ぐ来たんです。だけど、私が思っているよりも家から村までが遠くて、とても大変でした」



 私がそう答えると、マグリットは目を白黒させて驚いていた。



「え、じゃあここへ来るのに、朝から今まで掛ったって事かい?」


「はい」



 驚愕の事実にマグリットはそれ以上何も言わず、頭を抱えた。


 お父さんから私の事につて、ある程度は聞いている筈だ。


 しかし私の身体能力は彼が想定したよりも遥かに下であった事が、マグリットの様子から伺える。



 私だって自覚はあるけど、軟弱なのは仕方ないじゃない……



 そんなマグリットを他所に、私は紅茶を啜った。




 私が紅茶を飲み終わるとマグリットは再び話を始めた。



「君のお父さんから聞いていると思うけど、僕の娘のサラと一緒に、文字の勉強や計算、所作の練習をして欲しいんだ。勿論、ユティーナは来たい時に気てくれればいいからね。文字が読めるようになれば、ここにある昔話が書かれた資料も自分で読めるし、君には悪い話じゃないだろ?」


「毎日来ます!」



 マグリットの素晴らしい提案に、私は興奮して思わず前のめりになりながら応えた。そんな私を見て、マグリットはニッコリと笑顔を返してくれた。



「それじゃあサラを紹介するから、ちょっと待っていてね」



 そう言ってマグリットは部屋を後にした。


 バタンと扉が閉まった事を確認すると私は真っ先にマグリットが視線を送った先に注目した。先程の会話の中でマグリットが言っていた『資料』とは、執務室に置かれた棚に並べられた『本』や『巻物』の事を言っているのだろう。



 どんな事が書かれているんだろう〜



 余りにも簡単なマグリットからのお願いを、私は最早半分以上終わらせたつもりで棚を眺めながら心弾ませていた。


 何故なら、私はマグリットの娘のサラと一緒に勉強するだけでいいのだ。どんなに御転婆と言っても、同じ5歳の女の子である。女の子同士、仲良くなって一緒に楽しく勉強するだけなのだから、こんなに簡単なお願いはないだろう。


 私は意気揚々と鼻歌を鳴らしながら上機嫌でマグリット達を待った。




 暫くするとマグリットが執務室に戻ってきた。


 その後ろには、どこから連れて来たのかマグリットとは全く似付かわしくない女の子がマグリットの陰に隠れるように立っていた。



「紹介するよ、娘のサラだ。ユティーナと同じ年だから仲良くして欲しい」



 マグリットの愛娘だと言う、その女の子が話に聞くサラらしい。サラは、私よりもずいぶん背が高く、ブロンドの髪に宝石の様に綺麗な瞳を持っていて、まるでどこかの御伽話に出てくるお姫様の様な美しく可憐な女の子だった。



 え、本当に私と同じ5歳?



 私はそんな事を考えながら、サラに挨拶しようと立ち上がった瞬間の事であった。



「何? この



 サラから発せられた一言に、一瞬何が起こったのかわからなかった。すかさず、マグリットの方に視線を送るとマグリットは手で目を覆っている。


 再びサラに視線を戻すと、サラは私の事を鋭く睨み、指差した。



「何でウチが、こんなちんちくりんと一緒に勉強しなきゃなんないの? そもそも、勉強なんてやんないし!」



 サラはそう述べると、帰り道を塞いでいたドアを物凄い勢いで蹴り、颯爽と部屋を出て行った。


 沈黙がその場を支配して、誰もその場から動こうとしなかった。マグリットは相変わらずドアの側で立ち尽くしており、私も突然の事に開いた口が塞がらない。



 前言撤回。私、サラとは仲良くできそうにありません。

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