第5話 「花蓮〜ファーレン〜」の陛下って誰?

 今回は、「花蓮〜ファーレン〜」の登場人物の中から、曹芳そうほうについてお話したいと思います。



 こちらのお話は、主人公花蓮ファーレンの一人称語りのため、曹芳の名が出ることはなく、彼は終始「陛下」と呼ばれています。

 その呼称からお解りかと思いますが、彼は三国志の時代、もっとも強大であったとされる魏の三代目皇帝です。



 彼の紹介をさせていただく前に、この時代の呼び名についてご説明を。

 当時の中国では、名のある人物には「本名」と「字名あざな」というものがありました。

 有名なところで説明すると、「諸葛亮孔明しょかつりょうこうめい」の場合、本名が「諸葛亮」、字名が「孔明」となります。

 本名は呼ぶことを許されている人物が限られていて、本人よりも上位にあるものか、もしくは親しい家族や友人のみであったとされています。

 そして、それ以外の者は「字名」か、役職名で呼ぶことが礼儀とされていました。(呼び方のルールには諸説あるそうですが、拙作はこの仮定に基づいて書かれています)

 このため本文中、曹芳が「司馬師しばし」と呼んでいる人物は、めかけの身分である花蓮にとっては「子元しげん様」となるわけです。



 当然のことながら、皇帝はその国の最高位ですから、彼を本名である「曹芳」と呼べる人はいなかったということになります。

 そんな訳で、曹芳の名が出て来ることはおそらく今後もないかと思われますが、よかったら彼の名前を覚えておいてあげてくださいね。



 曹芳は、わずか八歳で即位した幼帝で、そのため時の実力者「司馬懿しばい」と皇族である「曹爽そうそう」というふたりの後見人が実権を握りました。

 しかも、曹芳は二代目皇帝「明帝」の実子がことごとく不慮の死を遂げたため、何処からか連れて来られた養子であったとされています。

 その出生については謎に包まれており、彼が結局誰の子であったのか、正確な記録は無いようです。



 きっと、幼く直系ではない彼を軽んじ、皇帝の座から引き下ろそうとする者や、彼を利用して私腹を肥やそうとする者もあったでしょう。

 明帝はそのような状況を憂い、死の床で司馬懿に幼い曹芳を支えて欲しいと伝えたとされ、明帝に忠誠を誓う司馬懿は、その想いを守ろうとしていたと思われます。

 しかし、その司馬懿が病でこの世を去った時から、再び曹芳の立場は危ういものとなっていきます。



 「花蓮〜ファーレン〜」のお話は、そんな孤立していきつつある頃の曹芳と、そんな彼を支える架空の人物、花蓮の物語です。

 この時、曹芳は二十才くらい。

 花蓮は十八才くらいの設定です。

 そこに異国から来た男が加わり、彼らの運命は複雑に絡み合いながら、時代の渦に飲み込まれていきます。



 彼の置かれたこのような状況を思い起こしていただきながら、本文をお読みいただければと思います。

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