2 〈黒きアープ〉

「依頼だよっ!」

 勢いよく扉を開けて、店から裏の住居部分に戻ると、椅子に座って本を読んでいた黒髪の男が、ちらりと目をあげた。その瞳は見事な金色をしている。

「そんな大声で言わなくともわかる」

「……っとにあんたってヤツは……」

 かわいくない。まあ、私より頭ふたつは背の高い男に向かって、「かわいい」と言うのもどうかとは思うが。この男の本性を考えると、ますますそんな言葉は似つかわしくなくなってくるし。

 彼の名は、アープ・クラウドという。といってもクラウドというのは街で暮らす便宜上名乗っているだけで、本来はただのアープだ。もっとも、そのアープも本名かと問われると微妙なところだが、死んだ祖父が彼のことをそう呼んでいたので私もそう呼んでいる。私と祖父とアープはずっと三人で各地を転々としていたのだが、祖父の死後このラプラスに身を落ち着けて、郵便配達を始めたのだった。

「で、依頼内容は」

 ぱたんと本を閉じて、アープが尋ねる。私が、カルル少年が店に来たところから〈嘆きの姫君〉に手紙を届けるよう依頼されたところまで話すと(アープも祭りで吟遊詩人の語りは聞いていたので、そのあたりの説明は無用だった)、彼はしばらく無言で考えたのち、

「金にならんな」

 最初に口から出た言葉がそれだった。

「あ……あのねえ……」

 私は拳をぷるぷるとふるわせる。

「何なのよその俗っぽさは! あんたそれでも千年生きてる竜なの!」

「お前が郵便屋を始めてから、俺が覚えたことがふたつある」

 平然とアープは言った。「お前が勢いで仕事を受けたあとは決まって『金がない』と頭を抱えていることと、そういうときは必ず俺の食事も悪くなることだ」

「あんたね……」すでに言い返す気も失せている。

 そう、このアープは竜なのである。当人に数える気がないので正確なところはわからないが、とりあえず千年は生きているらしい。竜の中では若いほうなのだそうだ。

 そして私は竜使い、ということになるのだろう。

 もともと、祖父がアープの主人だったのだ。傍目には人の良さそうなおじいさんにしか見えなかった祖父だが、実は、かつてはどこか遠くの国の竜騎士だったらしい。アープはその頃の、祖父の騎竜なのだ。真っ黒な翼で疾風のように戦場を駆ける姿は、〈黒きアープ〉と呼ばれて敵国に恐れられたそうだ。

 その祖父とアープがなぜ、国を遠く離れ各地を転々とすることになったのか。竜騎士が竜ごと国を捨てるなんてかなりの異常事態だと思うのだが、その辺の事情には触れられたくないらしく、祖父は最期まで何も語らなかった。アープならそのあたりのことを知っていてもおかしくはないのだが、尋ねても「俺は主人に従っただけだ」の一言で済まされてしまった。竜の感性では、人間側の事情は気にもならないようだ。

 主人である祖父の死で自由の身になったはずだが、アープは私の元を去らなかった。以前は祖父にしがみついていただけだった私が、アープの背に乗って空を駆るようになった。

 竜使いとしてなら、いくらでも私とアープを迎えてくれる国はあったろう。だが、何か過去にあったらしい祖父の姿を見ていた私としては、どこかの国に仕えて戦場に出るようなことは、あまりいいこととは思えなかった。

 それで、アープが竜であることを隠してラプラスに住み着き、〈郵便配達アーリィ&アープ〉の看板を掲げて今に至るわけだが。

「だいたい、その〈泪の湖〉とやらがどこにあるのかも知らないんだろう。お前は勢いだけで行動するからな」

 ……こいつ絶対、私のこと主人と思ってない。

「これから調べるの! 涙水晶って宝石の産地なんだから、そっちから当たれば何とかなるわよ。というわけで私これから図書館行くから、留守番しててよね!」

「待て。図書館なら俺も行く。この本を返却する必要がある」

 言われて、思わずアープの持っていた本の表紙に目を落とした。

 ――『家庭菜園の作り方』、と書いてある。

「……ひとつ訊くけど、あんたその本読んで、面白い……?」

 くどいようだが、彼は〝千年生きてる竜〟である。

「暇だからな。読む物があれば何でもいい」

 それにしたって、もう少し本の選びようがあるんじゃないか……?

 やっぱり、竜の感性は人間とはかなり違うらしい。


 ラプラスの街には、大きくはないが図書館がある。そこに向かって、アープと並んで街の表通りを歩いていたのだが。

「あら、アープじゃない!」

 そんな声を皮切りに、次々と黄色い歓声が上がった。

「ねえねえアープ、どこに行くの!」

「よかったら、ウチの店で買い物していってよ! アープならおまけしちゃうわ!」

「あら、ウチのほうがいいわよ! お子様連れでもOKよ!」

 ――むかっ

 瞬間的に堪忍袋の緒が切れた私は、

「ほらどいてどいて! アープは、これから〝私〟と図書館に行くのよ! 邪魔しないで!」

 アープの腕をとると、群がる女性陣を無視してずんずんと通りを歩いていった。

「――何だか機嫌が悪いようだが」

 不思議そうに問うアープの神経が、またしゃくにさわる。

 絶対卑怯だと思うのだが、アープの人間形態はかなりカッコいいのだ。それでいて本人は人間の美醜はよくわからないとか言うのである。そもそも、アープに言わせると彼は単なる竜ではなく〈竜人〉で、竜の姿も人間の姿もどちらも自身の固有のものなのだそうだが(〝カッコいい人間〟に変身しているわけではない、ということ)、それでも私はずるいと思ってしまう。

 竜の時は私しか乗せないくせに、人間の姿になると急に私から遠く離れてしまうのだ。

(えーえー、どうせ私は十八よ。背も低いし、千年生きてるヤツに比べりゃまだまだお子様よっ)

 早足で歩きながら、アープの腕をぎゅっとつかんだ。

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