〇三

 百年近くむかしに建てられたオンボロ校舎は、不意なちん入者を警戒するかのように息をひそめ、しんと静まり返っていた。階段に一歩足を乗せるたび、踏み板がギィギィと苦しげに鳴る。二階は、一階よりも明るかった。廊下の窓とはべつに、明かり取りの天窓が設けられているのだ。

 わたしたちは廊下の左右へ目をくばり、さらにうえを目指した。せまい階段をのぼりきった先に小さなドアがある。時計塔の機械室へと通じるドア。

 トムがそっとノブへ手をかけた。

「おい、開けるぞ……ホントに開けるからな」

 わたしは彼の背なかへ隠れるようにして固唾を飲んだ。

「いいから早くしなさいよ」

 トムが強ばった指に力を込める。ノブはすんなりと回った。どうやら鍵は掛かってないみたい。変なスイッチが入ったようにわたしの心臓がバクバクいいはじめる。ドアを開けた瞬間、向こうにひとが立っていたら怖い。いや、ひと以外のものが立っていたらもっと怖いだろうけど。

 そっとドアを押すと錆びたヒンジがキィィィと不吉な音を立てた。わたしたちは身をよせ合い、まるで診察室へ呼ばれた患者みたいにびくびくしながら、なかの様子をうかがった。だれもいない。まっ暗で、ジメッとしてカビくさかった。機械室というくらいだから、てっきり複雑な部品で埋め尽くされてると思ってたけど、見た感じほとんど物置きだった。時計の動力と思える部分は、せいぜい家庭科室にある足踏み式ミシンほどの大きさ。あとは埃をかぶったダンボール箱やら丸められた横断幕などが、無造作に積まれている。

 開け放ったドアからさし込む明かりをたよりに、トムとふたりゴソゴソとあちこちを見てまわった。なにもない。埃まみれのガラクタと、ネズミのふんばっかり。

 へくちっ。

 くしゃみが出たのをしおに、わたしはもう帰ろうよと言った。

「おい、ちょっと見てみろよ」

 トムが、奥のほうでなにかを見つけた。壁に、白い紙が三枚ならべて貼ってある。どの紙にも達筆な文字でなにか書いてあった。赤く押印もしてある。間違いない。ひええっ。

「これって、おフダじゃない」

「……だな」

 これとは違うけど、うちのトイレにも似たようなのが貼ってある。護符というやつ。ふつうはこんなとこに護符なんて貼らない。もし場違いなところにこいつが貼られてた場合、考えられる理由はただひとつ……。

「やっぱ出るんだよ、ここ。じゃなきゃ、おフダなんて貼らねーもん」

 トムがうれしそうに言った。冗談やめてよ。わたしは思わずその場から後ずさった。

「ねえ、もう気がすんだでしょ。はやくここ出ようよ」

「まあ、待てって。幽霊の話がホントだとして、じゃあその壁に刻んだ名まえってのは、どこにあるんだ?」

「そんなもん、はじめからないのよ。学校の怪談なんて、ぜんぶ作り話なんだから」

 トムのやろうとしてることがなんとなく分かったので必死に止めようとした。でもダメだった。

「やっぱ、ここっきゃないでしょ」

「あ、こらバカっ、なんて罰当たりなことを」

 こともあろうに、彼は粘着テープで貼りつけてある護符をビリビリ剥がしはじめたのだ。わたしは神に祈った。どうか天罰をくだすならこいつひとりにしてください、アーメン。

「……おい、本当にあったぞ」

 トムがこわばった顔で振り向いた。

「うそ」

 彼の肩ごしに恐るおそるのぞき込んでみる。

 アキラ

 たしかに、そう刻んであった。

 機械室の壁はクリーム色のしっくいで、もう古くなってあちこち砂糖菓子のようにくずれている。そこへナイフでするどく傷つけるように「アキラ」と掘られていた。一文字につき一枚、護符を貼って隠してあったのだ。

 アキラってのはたぶん、ここで首を吊った男子生徒の名まえだろう。クラスメイトを次々と呪い殺したイジメられっ子。半分おとぎ話のようなつもりでいたことが、文字の発見により急に現実味をおびてきた。ぞわり。寒気がして腕にふつふつと鳥肌が立った。恨みを込めて刻んだであろうその文字からは、今にも赤黒い血がにじみ出てきそうだった。

「おい、ここでなにをしている」

 とつぜん背後から声をかけられ、わたしは「ふやァ」と情けない声でトムにしがみついた。ホントにびっくりしたときって「きゃあ」とか叫べないもんだ。

 入り口にひとが立っていた。

 逆光線のためシルエットしか見えなかったけど、目が慣れてくるとそれが水色の作業服を着た男性であることが分かった。白いタオルを首にかけ、両手に掃除用具とゴミ袋を提げている。学校用務員のおじさんだ。

「ここは立ち入り禁止だから、入ってきちゃダメだよ」

「ごめんなさい、わたしたち……」

「なんだ、またこんなイタズラをして」

 おじさんは床に落ちていた護符を拾い上げ、もとの通り壁に貼り直しながら、ため息をついた。

「妙な噂がひろまって困ってるんだ。アキラ様だかなんか知らないけど、根も葉もない作り話を本気にしないでほしいもんだね」

「ここで祈りをささげるとイジメっ子たちに復讐してくれるという、あの怪談話のことですね」

「まったくだれが言い出したものやら。そんなバカげた話を信じてここまでやってくる生徒が後を絶たないんだ。ありがたい蘇民将来のおフダでも貼っておけば、悪さする生徒もいなくなると思ってたのに……」

 トムの顔をにらみつけてやった。わざとらしく、あらぬほうを見て口笛なんぞ吹いてやがる。

 しばらくしておじさんは、部屋のなかを見回しながら言った。

「まあ、ここもじき取り壊されることに決まったから、もういいんだけどね」

「え、この建物つぶしちゃうんですか?」

「柱や梁がかなり傷んでいて、直すのにけっこうお金がかかるらしいんだ。こういうところへ割り当てられる予算ってのは限られてるからね」

 おじさんは肩をすくめ、ちょっと寂しそうに笑った。

「さあ、そういうわけだから、きみもそろそろ帰りなさい」

 わたしたちは、しぶしぶ旧校舎をあとにした。

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