23.0話 応接室にて
午後の授業は特筆する事無く終わった。
憂は午前中しか持たないらしく、眠れる森の美女ならぬ、眠れる教室の美少女と化していたからだ。
しかし、王子様のKISSなど必要なく、鐘が終業を告げるともぞもぞと起き出していた。何と情緒の無い事か。
やはり鐘の音には敏感なようである。
休憩中も相変わらずだ。
代わる代わる、入れ代わり立ち代わり、憂の姿を一目見ては立ち去っていくC棟内の生徒たち。
よほど敷居が高いのか覗くだけであったのが救いか。
そして……現在、応接室。
グループメンバー全員と担任の利子に学園長。そして、今日も迎えに訪れた主治医の島井が対談中である。これで学園内で憂の事を『知る』者が一堂に会した事になる。
対に置かれたソファーに座っているのは学園長と利子。その反対側に憂と千穂。残りの者は思い思いの場所に佇んでいる。梢枝は腕を組み、唯一の出入口であるドアに背を預けている。つまり手ぶらである。ビデオカメラは教室に置いてきたようだ。
「リコちゃんも知ってたんだ……」
千穂の呟きに島井が答える。利子は、前日の事を思い出したのか、たはは……と苦笑いを浮かべた。
「いや、面目ないね。憂さんが……ね」
島井はちらりと憂を流し見る。
グループメンバー全員がそれで察した。憂がポカをしたのであろうと。
当人は我関せず、穏やかな表情を湛える島井をぼんやりと眺めている。
「お互い様っすよ。俺らだって4人も……」
勇太の声は尻すぼみに消えていった。
「いや、それは想定範囲内だよ。仲の良い友達に隠しておくのは辛いだろうしね。彼女たちが口外しなければ、それでいいよ」
穏やかな島井の言葉に、佳穂と千晶はしっかりと頷く。視界に端にでも入ったのか憂も無意味に頷いた。
「それより……
西水流 靖一。それが学園長の氏名である。島井が40代半ばに対し、学園長は50代半ばと思われる。
年長者の為か、咎める言葉にも歯切れが悪い。
「いや、島井先生。申し訳ない。鬼龍院、榊の両名については、あの方が『島井くんには秘密だ』と茶目っ気たっぷりに
学園長はその人物の声真似を交え悪びれない。
「………総帥ですか?」
一気に老け込んだかのように島井が問うと、学園長は両肩を一瞬だけ上げてみせた。あくまでも自分は関係ないと言う態度である。
島井は康平と梢枝に探るような視線を送り思案する。
総帥は憂の入院中に人が変わった。生粋の無神論者だったはずの男が神の子だ、天使だと憂を崇め始めたほどである。そして、時折、憂に接触してはあれやこれやと問い掛け、高価な贈物を惜しげもなく渡した。その高価な贈物の大半は母と姉の手により島井を通して返却された。憂の元に残されたのはメロンやマンゴー、各地の土産と言った食品の類と、僅かな化粧品や日用品、そして制服くらいであった。実は憂の制服は2セットずつあるのだ。
憂の為に
それはさておき、会長職を辞した理由も憂の為に身分を捨て、身軽になる為であった。
そんな総帥の差し金ならば悪いようにはしないであろうと、無理矢理に自身を納得させる。
「ウチ、質問させて頂いてよろしいですか?」
その総帥からの差し金。片割れからの突然の問いに、少しだけ産まれていた警戒心を膨らませる。
その警戒心を隠す為、無理に笑顔を取り繕い応える。相手は島井が事実を教えた3名が信じた者。年長の自分があから様に警戒心を剥き出しにする訳にはいかない。
憂も梢枝に注目を移す。理解しようという様子は一切、見られないが。
「……何かな?」
「何故、こないに回りくどい遣り方をしはるんです?」
稚拙な質問に隠した警戒心を削ぎ落とされる。その質問の答えは少しの想像力があれば、答えを出せるはずである。
グループのメンバーは訝しむ。その理由は体育の授業中。千穂が女性化を告白した時に一緒に話したはずではないか……と。
憂は学園長に視線を移動させていた。発言する者を追いかけていると思われたが、どうやら違うようだ。学園長に笑いかけられ、慌てて利子に視線を動かす。何がしたいのだろう?
「どうしてだと思うかな?」
島井は考えれば解る事柄をわざわざ語る事を嫌う。自身の洞察力に自信がある為だろう。
憂は隣の千穂に視線を移す。落ち着きが無い。少し首を傾げた。何かやっているようだが……。
「完全な形での性転換が世間様に
梢枝はそこで話を切った。みな迄言う必要は無いと云う事だろう。
憂は拓真を見る。一人一人の発言が終わる度に、視線を違う誰かに移しているようだ。
「はい。そうですね。本居くん。この理由は話さなかったのかな?」
憂は梢枝を見る。
「あぁ。はい。話しましたよ。僕じゃありませんが……」
拓真は言ってから千穂に目を向ける。拓真の一人称が俺から僕に変わったのは、目上の者に対する丁寧な物言いの為だろう。
憂は悔しそうな表情で千穂を見る。千穂は憂の落ち着きの無さに気付いていた。利子と学園長もキョロキョロと忙しない憂を不思議そうに眺めている。
千穂は憂の表情に気付き首を傾げながら言った。
「はい。たしかに言いました……」
「よし――あたった――」
ほぼ全員の視線が梢枝に集中する。
憂は端正な顔立ちを崩している。相好を崩し満開の笑顔である。両の拳をキュッと握り小さくガッツボーズしているようにも見えた。ソファーに座る3人だけが、千穂の言葉の後の小さな小さな声に気付いた。
3人が3人とも、憂を見て不思議そうにしている。
ナレーターの私には解った。誰が発言するか当てるゲームを、自分一人で楽しんでいたようだ。全く無意味である。
3人は憂から視線を外し、梢枝を見やる。
視線を受けて梢枝が口を開く。
「せやけどそれは一「やめなさい!」
今度は梢枝の遮り、声を張り上げた主に注目が移った。
島井の表情が変化していた。穏やかな表情は崩れ、険しいものとなっている。
「――ごめんなさい――」
はっきりした声で憂が謝る。憂も何か大切な話をしていた事は理解していたようだ。遊んでいた事を咎められたと勘違いしているものと思われる。
「憂? ……なんで?」
「憂さん? どうしました……か……?」
その場の全員が、突如として謝罪した憂に唖然とした。私としては憂は放っておいて良いと思うのだが……。
本題に戻るまでに少々、時間を要した。
涙目で凹む憂に、島井が悲壮な表情で大声を発した件を謝罪した。
結局、憂の謝罪の意味は大声に怯えた事に落ち着いたようである。
(……鋭い子だ)
これが梢枝に対する島井の感想だった。
「憂さんに一生懸命、謝りはる様子を見て、少し安心しましたわぁ。これなら
「そうですね。憂さんの為……とだけは言わせて下さい」
島井の口調が変化した。梢枝に対する敬意が見受けられる。
「いつかは聞かせてくれはるんですよね? 聞かせて頂かれへんのなら調べさせて頂きますけど……」
彼らの会話に学園長を除く全員が置いてけぼりである。学園長は興味深かそうに身を乗り出している。
何人かは梢枝の言おうとした『せやけどそれは』に続く言葉を想像するが、なかなか上手くいかない様子である。
「それは困るかな? そうですねぇ……1ヵ月後。1ヵ月後に全貌をお話ししましょう。それまでは……」
ちらりと憂を盗み見る。憂は目が合うと俯き、合った目を逸らせてしまった。まだ怯えているようだと自嘲する。
「ありのままの憂さんと接して下さい。今はそれが大切なんですよ」
梢枝は腕を組んだまま俯き、潜考に沈む。
次に口を開いたのは30秒ほど後であった。
「今はそれで善しとしますわぁ。せやけど、約束はしぃしまへんえ? ウチは憂さんを守る為なら学園も病院も……総帥も敵に回す事、厭いません」
「……憂さんと接触して、たったの2日間でしょう? 何が貴女を?」
「……ようわかりませんわぁ。ウチも先生と同じ。何故か惹かれてしもたんですわぁ………」
島井と梢枝の両名は互いに牽制しつつも、憂を守ると言う目的を相手に見出したのだった。
そこで第1回蓼園学園『知る者』会議は解散となった。
今日も島井が憂を送るらしい。とりあえず今週中は島井の迎えがあるとの事だ。
憂の退院後、島井は暇を持て余しているそうだ。しかし来週からは救急救命室のフォローに入らなければいけないらしい。
憂の家族は学園の終了時間の迎えは難しく、徒歩かタクシー辺りを使っての帰宅となる。
総帥に依頼すれば運転手付きでリムジン辺りが迎えにやってくるかも知れないと学園長は笑っていた。
総帥と言われ思い出した島井は駐車場の車中、憂に断りを入れ蓼園 肇に連絡を入れた。
女性秘書を通し、総帥と繋がった。
「島井くんか。何かね?」
低く太い威圧感のある声だ。いつ聞いても落ち着かない。島井は自分に自信があった。そんな島井でも全てを見透かされているような錯覚に囚われる。そんな気持ちをひた隠し、総帥に問う。
「身辺警護の2名の事ですが……」
「驚いたか?」
「はい。それはもう。一言もそんな事は聞いておりませんでしたので」
総帥の大きな笑い声が響く。総帥ならば気付かないはずは無い、言葉の端に込められた非難さえも一笑に伏した。
「そうかそうか! 愉快だ! 君の顔が見たかったぞ!」
哄笑が次第に収まる。
「榊くん……か? 島井くんがあの2人の存在を知ったと言う事は、もう優くんの件を嗅ぎ付けたんだろう? 大したもんだ!」
「……それ以上に勘付いているようです。彼女は本当に大丈夫ですか?」
「心配は要らんよ。儂に逆らうような真似はするまい」
島井は言い辛そうに言葉を続ける。
「それが……彼女は、憂さんの為なら総帥をも敵に回すと……」
「ほう。頼もしいな。それくらいの気概がある方がいい。ははは! 榊くんも優くんの虜か。あの子の魅力に惹かれる者が増えていく。島井くん! 君もだろう? 専属看護師も全員が虜だったな! 愉快で堪らん! あの子は……」
こうなると止まらない。
島井は堪らずスマホを耳から外した。
それから延々と憂の魅力を語る声がスマホから漏れ出していたのだった。
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