13.0話 兄妹

 


「ただいまー!」


 先に帰宅の挨拶だけ済ませ、玄関を開け放ち先に憂を通してあげる。


「ただいま――」


 憂も帰宅を告げるとローファーを脱ぎ、きちんと靴を揃えてうちに上がった。この子は昔からこういう所がしっかりしてる。いい子。


 パタパタと足音が聞こえ、リビングのドアが開く。


「あらあら、おかえりなさい! 憂? 頭は大丈夫?」


 帰宅するなり、母さん……ううん。母さんが、どこか失礼な質問を憂にしている。

 お母さん……って気恥ずかしいかも。でも憂に言うだけじゃ示しが付かない。だから私も昔みたいに『お』を付けるように頑張るって決めたんだ。


 小首を傾げている憂を見て、一緒になって首を傾げるお母さん。


「大丈夫だってさ」


 パンプスを脱ぎながら代わりに答えつつ、憂のローファーと私のパンプスを下駄箱に納める為に持ち上げる。本人には内緒だけど……実は憂のローファーは子供用。憂のサイズ19.5cm。ちっちゃい。今度、フルオーダーで作りに行く予定。高く付くけど、お父さんは重役ですから。


 憂の身長については絶望的。伸びる可能性はほとんどないとか。何とかって骨が出来上がると成長が止まるそうで。

『でも憂さんなら判りません』とか少し曖昧。


 ……なんて、考え事しながら靴を納めて、スリッパを履いてから憂を見ると、まだ2人して首を傾げ合ってた。

 一体、何の儀式か!?


「何いつまでも不思議空間作ってるのよ?」


 お母さんは私の言葉で元に戻ったけど、憂は首を傾げたまま私を見上げる。


「憂? 着替えて……おいで」


 憂の傍にしゃがんで、白のハイソックスを脱がす。憂は家では裸足。スリッパなんて怖ろしい。転ぶ姿が目に浮かぶよ。憂は片足ずつ、脱がせやすいように上げてくれた。私の肩に両手を置いて。

 それにしても……ほっそい足。スネの毛……無いね。産毛あるの? これ?


「――うん」


 理解し終えると階段に向けて歩き始める。

 少しだけだけど右足を引きずっている。その後姿を見て、母さん……お母さんに憂の脱ぎたてソックスを渡して憂に付いていく。


 ゆっくりと一段ずつ慎重に階段を上がっていく。


 憂の退院が決まってから付けた手すり。その左側の手すりを小さな手でしっかりと掴み、左足を一段上げ、右足を左足の隣に。また左足を上げ右足を追い付かせる。片麻痺の人の階段昇降の方法なんだって。看護師さんが言ってた。


 途中で振り向き口を開く。


「だいじょうぶ――だよ」


 そう言うと手すりを左から右に持ち替える。

 次に出した足は右足だった。次に左足。右足を追い越し、一段先に足を付く。


「あ……」


 不安で……怖くて、見てる私が声を出してしまう。

 右足が左足を追い越す。一歩で一段、上がっていく。

 ハラハラしながら、ぴったりと憂に付いていく。落ちそうになったら助けられるように。

 そんな私を他所に憂は2階に辿り着く。数歩進んで私のほうを向いて笑顔を見せる。


「――ね」


 にっこりと笑顔で見上げてくる。


「そうだね」


 笑顔でお返しする。でも……本当に落ちないでね。



 少しの間、首を傾げてから憂は自分の部屋に進んでいく。私も憂に付いていく。

 憂が部屋に入る。私も続く。相変わらずの男の子の部屋。模様替えしなきゃね。今のところ変わったのはタンス本体とその中身。それとクローゼットの中身くらい。タンスは小さかったから大きいものに変えた。女の子だからね。


 しばらく立ち止まってから憂が振り向く。不思議そうに私を見上げている。


 あれ? 少し涙目?


「――きがえる――よ?」


「うん。手伝うよ?」


 タンスの引き出し開けられる? この前、いっぱいろうを塗って、軽くしたけど。


「「………」」


「だいじょうぶ――だから――出てて」


「でも……心配……」


 憂がだんだんと険しい顔に。


「――出てけ!」


 憂が腰の辺りを押してくる。本当に力無いよね。小学生にも負けそう。

 それより……。


「そんな……言葉遣いは……「出てけー!」


 腰にしがみついて全力で押してくる。それでも弱いけど。


「わかったよ。困ったら……呼びなさい」


 さて……それじゃ、私も着替えてこよっと。






 部屋着にしてるシンプルでだぶだぶなワンピースに着替えた私は、憂の部屋の前で待っていた。


 遅い。少なくても5分は待ってる。


 コンコン


 心配になってノックする。着替えはやっぱり危険だったかな? 次からは憂が怒っても手伝うべきかも。さっき、なんかゴンとか変な音したし。


「――はい――いいよ」


 あれ? 意外。ダメって言われると思ったのに。


 ガチャ


 憂の部屋に入る。憂は黒い長袖Tシャツにグレーのショートパンツ。それにレギンスを合わせてる。そのまま出掛けられそうな恰好。

 セーラー服をハンガーに掛けてる最中だった。


「時間……かかったね」


 …………。


 なんだか、タンスの中身が引っ繰り返されちゃってるし。仕方の無い子。片付けてあげないとね。


「――ごめん」


「いいよ」


 Tシャツとかブラウスとか、上衣が入ってる棚は荒れてないね。

 下衣が入ってる棚が荒れてる。散らかされたスカートたちをたたみ直して納めていく。白いふんわりスカート。チェックのプリーツ。ちょっとセクシーな黒のミニ。


 あれ?


 スカートばっかりだ。なるほどね。制服は仕方ないけど私服には抵抗って感じだね。でもさ。スカートに慣れないとね。


 反省はしてる。憂の新しい服を買い揃える時、可愛い感じのばっかり選んじゃったから。今度、スカート以外も買いに行こうね。


 さて……片付いたし、降りましょか。


 憂は……制服は片付いたみたいだね。レギンスを引っ張っては離し、引っ張っては離し、ペチペチやってた。


「何やっとんのん?」


 思わず、気の合う友達や弟に対するようなツッコミを入れてしまった。

 憂の動きが止まった。眉をしかめる。


「――いわかん」


 お。通じた。


 いわかん? 違和感か。レギンスなんか慣れてないでしょうからね。

 あれ? バスケの試合でユニフォームの下に、スパッツみたいなの履いてなかったかな? あれとは違うの? よくわからん。

 ま、大方おおかた、生足をさらすのが嫌だったんでしょうね。恥ずかしいとかで。

 なんとなく適当に返事を返して部屋を後にした。




 憂と一緒に階段を降りた。私は先行して、1,2段先を降りた。見てる側としてはくだりのほうが怖いね。憂は普通に降りてたけど。降りたらドヤ顔だったけどさ! そりゃ、心配するよ!


 なんとなくイライラしながらリビングのドアを開ける。


 リビングには剛が居た。ソファーのいつもの席。


「おかえり。いつ帰ったの?」


「ただいま。ついさっき」


「兄ちゃん――お「兄ちゃん」


 私に付いてきてた来てた憂も挨拶しようとしたけどさえぎる。

 憂は不満そう。


兄ちゃん――おかえり」


 でも言い直してくれる。いい子。


「え!? あ……ただいま……」


 剛が恨みがましい目で私を見る。顔が赤い。『兄ちゃん』に照れてるな。こいつ。

 そんな事より、剛は憂に対して相変わらずぎこちない。いつになったら慣れるのよ。優とあんなに仲良かったのに。


 憂もソファーの指定席に座る。憂の指定席はL字ソファーの折れ目の部分。剛、私、憂、お母さん、お父さんの順番。


 憂が座るのを確認すると、お母さんの手伝いに入る為に剛の横を通る。


「剛。憂の相手よろしくね」


 通り際に耳打ち。


「あ? あぁ……うん」


 何だ? その反応は?


「学園の話とか色々あるでしょ?」


「わかった……」


 覚悟を決めた表情の剛。おいおい。大丈夫?



 母さんは夕食の支度中。


「何すればいい?」


「あら? いいのよ。憂をかまってあげてて」


 そうもいかないよ。剛も憂を受け入れなきゃね。


「大丈夫。剛に任せたから」


「スパルタねぇ」


 ほんわかのほほんしてるのに、的確に意図を見抜いてる。我が母ながら曲者だと思うよ。


「そんな事よりね」


 そんな事って……。兄妹の問題ですよ? 結構、深刻ですよ?


「今日は急にお迎えごめんなさいね。ほら、私って免許ないでしょ? みんなが反対したから」


「今でも反対だよ?」


「愛ちゃんがいじめる……。どうして?」


「のんびりしすぎだから。ウチの車が原因の渋滞とか嫌だから。あらあら~とか言いながら歩道走って、人ひきそうだから。前に進まない~とか言いながらバック「もうやめて? 免許の事は言わないからもうやめて?」


 やめてあげましょう。さて、手伝いますか。


 トントントントン。サラダに入れるキュウリを切る小気味良いリズム。

 グツグツ。肉じゃがの煮える音。いいにおい。昨日のメンチカツに続いて憂の好物。当分、続きそうだね。


 意外と言われるけど、料理は好き。裁縫とか好き。実は女子力高いよ。そんな事には誰も気付いてくれないけどさ。



「……憂?」


 隣接してるリビングから聞こえる剛の声。やっと話しかけたか。愚弟め。


「――なに?」


 憂の声はよく通る。なんでだろう? 子供特有のキーの高さだけじゃないと思う。


「……あのさ」


 んー。なんかイライラするね。ヘタレか。もだったけど!


「――うん」


 可愛い声だね。うん。


「……いや、なんでもない」


 小学生のデートかっ!? ダメだねこいつ!

 一言言ってやろうと肉じゃがの火を止める。


「っっ!?」


 そんな私にキュウリが一枚付いた包丁が突き付けられる。


「待ってあげてね。きっと大丈夫だから」


「母様? いくらなんでも包丁で……」


「あら? ごめんなさい」


 悪かったと思ってなさそうな風で謝り、包丁を引っ込めるお母さん。

 口を挟もうとした私をとっさに止めようとした結果らしい。

 包丁の先で憂を指し示す母。だから包丁置きなさいって!


 憂は険しい表情……ううん。あれはジト目ってヤツだね。ジト目で剛を見てる。


「――兄ちゃん」


『お』が足りないよ。

 お。憂が近づいた。私の席。

 剛が慌ててるのがよく分かる。後姿だけどね。


「――ボク――優――だよ」


「……わ、かって……る」


 解っていても……だろうけどね。憂の横顔は寂しそう。


「わかって――ない!」


 大声……。私が上げさせた悲鳴以外では初めて聞いたかも。


「憂!?」って剛がもっと慌てる。狼狽って表現できるレベルかな?



 あーあ。憂の感情、振り切れちゃったよ。ポロポロと大粒の涙。感情の制御が難しいんだってさ。感情の起伏の激しさは幼児みたいだよ。


「――ボクが――かわった――から?」


 ……姿の……女の子になった外見の事……かな? そうだろうね。

 剛は答えない。図星だからね。答えないんじゃなくて答えられないんだよね。


「おんなのこ――きに――しない――」


 ………なんか色々と略した気がする。

 女の子になったのは気にしないで欲しい?

 女の子なのは気にしないから?


 剛に気にしないで欲しいのか、憂が気にしないのか……。


「気に……しない?」


 そう言えば、オウム返しすると言葉を足してくれるって、島井先生が言ってた。

 今の剛のはたぶん、たまたまだけど。


 憂の動きが止まった。涙も止まってるね。思い詰めたような表情になったり、赤くなったり。頭を横に振ったり。表情が変わってく。これは思考のサインだね。


 トントントン


 母さん・・・がキュウリの輪切りを再開。長くなると思ったのかな?


 トントントントン


 軽快なリズムがリズムが続く。




 しばらく経ってから憂が剛の手を取る。

 母さん……母さんが4本目のキュウリを輪切りにし終わった時に動いた。

 ……キュウリ、多すぎない?


 憂は剛の手を自分の胸に導く。剛が固まる。硬直した。


「あら? あれ?」


 憂の行動に気付いたお母さんが、私の気持ちを代弁してくれた。憂の行動の意味がわからない。余計に意識しちゃうんじゃないかな? 注意するべき? 兄妹だからいいのかな? むしろダメだよね?


「――はずかしい?」


 剛の耳が赤い。横顔も真っ赤っか。剛は憂をまだ受け入れられてない。妹と思えてない。恥ずかしいに決まってる。

 ……あれ? 妹相手だとしてもやっぱり恥ずかしいよね……。やっぱり意図が分からない。


「――ボク――も――はずかしい」


 ……でしょうね。憂の顔も赤いよ。憂はたぶん、自分の体を受け入れられてない。体の変化に心が付いていってない。ちょっとしか膨らんでないって言っても胸は女性の象徴だし……。恥ずかしいよね。たぶん、普通の……生まれた時からの女の子よりも。


「――でも――だいじょうぶ――だよ」


 お互い恥ずかしいのって……ダメじゃないかな? 羞恥心って距離を空けちゃわない?


 あれ? 憂が困った顔で止まっちゃったよ。小首を傾げて。

 お母さんはレタスをちぎり始める。憂の表情は動かない。


「……憂?」


 剛の声にも反応なし。



 憂の表情が動いたのは、お母さんがレタスを何枚か、ちぎり終えたちょっと後。お母さんもやっぱり気になるみたいで、手を止めて無表情に2人を見てた。


 あ。わかった。


 なるほどね。



「いもうと――でも――憂は――優――」


「弟……じゃなくなっても、妹に……なっても、憂は……優だから」


 ユウって漢字まで理解できたよ。意図も読めた。私は言葉が足りない憂のフォローを始める。

 憂がちょっとだけこっち見た。余計な事するな……かな? 憂はまた小首を傾げる。


「お兄ちゃん――だから」


「お兄ちゃんは……お兄ちゃんだから」


 きちんと兄ちゃんだね。この場面では効果的。これは狙ってたかな? よく考えて話してるよね。問題はテンポの悪さと、長く話す時、話そうと思った事を忘れちゃう事かな? さっき固まったのは何を言おうとしたのか、思い出そうとしてたんだと思う。


「だから――ふつうに――しよ?」


「だから前みたいに仲良くしてね」


 ちょっとだけサービス。ちょっとじゃないかも。

 剛。憂の気持ち届かなかったら、あんた最低だよ。



 俯き考えこむ剛。そして顔を上げる。


「わかったよ」


 はっきりとした口調。吹っ切れたかな? 吹っ切れたよね!?

 憂は満面の笑顔。これは強力な攻撃だぞ。あははっ! 剛に耐えられるかな?


 照れてるね。真っ赤。ま、これは仕方ないか。憂の可愛さ半端ないしね。


 剛は憂の頭を撫でる。たぶん、に自分の意志で自分から触れるのは、これが初めて。

 憂が頭の上の手を払おうとして失敗した。ちから無いからね。

 ちょっと怒った顔をしてる。

 剛は憂の頭を引き寄せて腕を回す。へっどろっく? だったかな?

 そして空いた手で頭をぐりぐり。かなり手加減してるみたいだけどね。よくそうやってじゃれあってたな。


「――兄ちゃん」


 あらら。また涙声。

 慌てながら憂の小さな肩をつかんで体を起こす。


「な……なんで?」


 大丈夫。それ嬉し泣きだよ。


「――ありがと」


 ……また『ありがと』だ。前はプレゼント貰っても言えなかったのに。


 憂も変わろうとしてるのかな?


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