12.0話 VIP ROOM

 


 主治医・島井先生からの急な連絡に私は車を飛ばす。


 会社は早退。父は今や大企業の重役。それもいきなり関連企業から本社に栄転、取締役に名前を連ねた。それが半年ほど前の話。

 今が大切な時期らしく、父は動けず私が病院に向かう事になった。


 1年前のあの事故から、我が家は変わった。

 父が関連企業の部長から本社取締役と言う異例の大出世を果たし、上の弟は就職活動前にも拘わらず、企業側から多くの接触があった。就活もすぐに終わる事でしょう。


 そして何より。下の弟が妹になった。


 変わらないのは私と母くらい。


 ……いいえ。変わらないのは表面上の話。


 やっぱり私も母も変わったと思う。弟の頃のあの子が可愛くなかった訳じゃない。十分に可愛がっていたと思う。でも、今の……妹になった憂への溺愛ぶり。そこが私と母の変わった部分。今日も早起きして芸術とも言える弁当を作り上げたんだから。


 憂の為なら何でも出来る。


 父の栄転を機に私にも蓼園商会本社を始め、各関連企業から声を掛けられた。私はそれらを全てお断りした。だって……出世して忙しくなっちゃったら今みたいに憂の不測の事態に対応できないじゃない?


私はホントに何でも出来る。今だってほら。法定速度完全オーバー。断言できるよ。憂の為なら死ねるって。





 ―――優の事故を知ったのはテレビを通してだった。


『おい! 総帥が事故ったらしいぞ!』


 同僚のそんな声に私もTVに目を向けた。そこに映し出された映像は見知った場所だった。アスファルトに残った血痕が酷く即死を予感させたのを覚えてる。


『なお、撥ねられた少年は、蓼園会長の車にて市内の病院に運ばれたとの情報です』


【重体:立花 優さん(14)】


 テロップを見付けたその瞬間、目の前が真っ暗になった。


 弟同士で仲良くじゃれ合う笑顔の優。

 バスケコートで仲間を鼓舞し、指示する凛々しい優。

 試合に敗れ、悔しそうに俯く優。

 体育祭ラストのリレーでアンカーを務め、1番にテープを切りドヤ顔の優。

 偶然、出会ったショッピングモールで彼女を恥ずかしそうに紹介してくれた優。

 再放送の映画を見て、1人だけ涙ぐんでる優。

 中等部の文化祭でメイド服が異常なほど、よく似合ってた優。

『お姉ちゃん……結婚するなら式に絶対呼んでよ』と真剣な表情だった小学生の優。

『おねえちゃん、だいすき』と抱き付いてきた幼い頃の優。

 お風呂で頭を洗われ、ギュッと目を瞑ってた、ちっちゃい優。

 照れ臭そうに誕生日プレゼントを渡してくれた、事故3日前の優。


 色んな優が真っ暗の中に現れては消えていったのを思い出す。

 あの時よぎった優の姿は、今も脳裏に焼き付いてる。それは大切な大切な『優』との思い出。



 長い長い面会謝絶が解け、眠ったままの『優』を見た時は衝撃だった。目の前の少女が『優』だと島井先生は言った。


 家族全員、その事実をなかなか受け入れられなかった。


 受け入れる為に私は1つ小細工をした。

『優』は死んだ。そして生まれ変わったのだと。その形は私にとって、受け入れ易いものだった。

 弟の優との美しい思い出をそのままに、優を新しく出来た妹として認識すれば良かっただけ。


 目覚め、雰囲気の変わった優を私は新しい家族として認識した。父や弟と違い、私は優をあっさりと受け入れた。それも当然。父と弟は優を弟のまま認識していたから。私は違う優だと認識していたから。



 でも、私はすぐに後悔する事になった。



 私たちは面会中、専属の看護師さんとの会話に夢中になっていた。優ちゃん・・・・の可愛さに花を咲かせていた。


 話は尽きなかった。いくらでも優について話す事ができた。


 そんな中で彼女・・は果物ナイフで右の手首を切り、突き立てた。それだけに留まらず、首をそのナイフで切った。


 その行為の正確な理由は解らない。憂はその事について今も口を開かない。ただ、私は私の言葉を覚えている。


 なかなか彼女・・を受け入れられないに私は、私が受け入れられた理由を話した。優は話を聞いてないものだと思ってたから。


『私は優が死んだと思ってる。じゃないと私が死んじゃいそうだから。だから私は彼女・・を新しい優だと思ってる』



 真っ赤に染まる優を見て、激しい後悔に苛まれた。その後悔は時間が経つに連れ、違うものに変化していった。

 それは激しい愛情。もう後悔はしない。絶対に。命を賭けて『優』を守っていく。



 その時、事故後、初めて本当の意味で『優』を受け入れたんだと思う―――





 病院に到着した。警察に見付からず何より。捕まったら良くて一発免停だったから。何より時間を取られる事になるから。


 蓼園総合病院の地下駐車場。急いでいる私は頭から駐車した。こんな時、軽って便利だね。


 車から降りると少し駆け足でエレベータに乗り込む。


 エレベータに乗り込むと開を押したまま、5,10,5,10と押し、閉を押す。


 島井先生から教えて貰った隠しコマンド。

 これで最上階までノンストップの直通のエレベータに切り替わる。このエレベータのボタンに最上階は表示されていない。


 ポーン


 エレベータが到着を知らせてくれた。扉が開く。廊下を目的地に向けて真っ直ぐ足早に歩く。エレベータは勝手に降りていく。本来の仕事に戻ったんでしょうね。


 最上階にあるのはVIPルーム。優が憂になった場所。中学3年生っていう、本来なら多感なはずの……大切なはずの1年間を過ごした部屋。

 その隣室、VIPルームの為だけにあるナースステーションのインターフォンを鳴らす。こちらから向こうは見えない。でも向こうからこちらは見える。すぐに応答があった。


「愛さん、お久しぶりです。すぐに開けますね」


 本当にすぐにドアが開いた。出迎えてくれたのは昨日まで憂の専属の看護師だった、恵さん。茶髪でチャラチャラした雰囲気を纏わせながらも、生真面目に仕事をこなす看護師さん。

 彼女たちには本当にお世話になった。今の憂があるのも彼女たちの献身的な看護があったからこそ。


「憂さんはVIPルームでお休みされてますよ。私はもっとお話ししたかったんですけどね」


 彼女は明るい調子で憂の現在を教えてくれた。

 憂の容体については『問題ないと思いますが一応の検査です』と島井先生から伝えられている。


「退院の翌日に……本当にすみません」


 恵さんは苦笑いしていた。苦笑いしながら、私の手を引く。

 恵さんに導かれてナースステーションに入り、そこからVIPルームに入室する。


 その部屋の相変わらずの豪華さに驚く。

 バスケのコートを丸々入れられそうな広さ。高級な絨毯に家具。調度品は憂の為に撤去されてて、そのままみたい。

 この部屋の奥。キングサイズのベッドで憂は眠っていた。


「検査の結果、出血とかの異常はありません。軽い脳震盪だったみたいですよ」


 検査結果を話す恵さんが優しい目で憂を見詰めているのが印象的。

 どれだけ憂の事を大切に思ってくれてるか、その瞳が物語っている。


「そうですか……」


 私はその言葉でようやく安心した。


「愛さん。心配されていたのは分かります。けど、それじゃ身が持ちませんよ」


 そう言って、ハンカチを手渡される。いつの間にか少し泣いてたみたい。

 ハンカチで目元を拭うと、白いハンカチが化粧で少し汚れてしまった。洗ってからお返しします……って言ったけど、お気になさらずと没収された。


 それから私は少しの間、恵さんと話した。


 専属を務めて下さった皆さんと島井先生の今後について。


 専属の皆さんは違う部署に仮の配属が決まったみたい。VIPルームに次の患者さんが入ったらチームを再結成するんだとか。

 島井先生は籍を最上階に置いたままにして、各科の手術のフォローをしていくそう。元々おられた救急救命にも入るみたい。



 そんな話をしていたら島井先生がVIPルームに入室された。


 私みたいにナースステーション経由じゃなくて、VIPルームと廊下を繋ぐドアから。


 先生は私を見て、すぐに話しかけてこられた。


「いや、愛さん、申し訳ないね。大丈夫だろうとは思ったんですけど、私も心配性でしてね」


 そう言って笑顔を見せて下さる。

 最上階ここの人たちは本当に優しい。優が運ばれたのがここじゃなかったらと思うとゾッとする。


「何があったんですか?」


「うーん。そうですね。学園で……ちょっと言いにくいんだけど……」


 学園での出来事。なんで脳震盪なんて起こしたのか。言葉が足りない自覚があったけど島井先生は正確に意図を汲んでくれる。

 憂もここだと話しやすいでしょうね。医療関係者って、頭の回転の速い人が多いのかな? 言葉足らずの憂でも話しやすく、過ごしやすい環境がここにはある。

 でも憂はここでの生活を嫌がった。どこかに閉じこもってるような子じゃない。憂はやっぱり優なんだと思う。


「授業中の居眠りでね。その……頭をぶつけたらしいですよ」


 島井先生は心底、困ったって顔で教えて下さった。

 先生の傍で恵さんは困った顔で笑っていた。

 転んだのかな? ……くらいの予想はしてた。でも居眠りで脳震盪……。


「……姉として、恥ずかしいです」


 ええ。本当に。


「いやいや。憂さんは頑張ってますよ。脳の容量が物理的・・・に半分ほどになってるんですから。それこそ、絶えずフル回転させてるんだと思います。我々の予想を超えた負担が掛かってるんでしょう。酷使した脳を休ませる為にすぐに睡眠を欲するんだと思います。簡単に脳震盪を起こしてしまうのも脳の物理的な容量の問題で揺れ易いからに他なりません」


 先生が憂に向ける眼差しは、完全に愛娘を見守る父親のそれだった。


 それから、たっぷり1時間は話した。そのほとんどが憂に関する話。3人で飽きる事無く話した。


 その談笑は憂が目を覚ました事で終わりを告げた。


 目覚めた憂は私を見て首を傾げた。


「――姉ちゃん「姉ちゃん」


 憂の言葉を遮って訂正。


「――お――姉ちゃん「姉ちゃん」


 私の2度の修正に憂が不満気に唇を尖らせる。けどダメ。ここは譲らない。


「お姉ちゃん」


「何?」


 きちんと言えた事でようやく返事する。我ながらスパルタだと思う。でも、これは譲らない。憂が弟に戻る可能性はほぼゼロ。戻る可能性があるとすれば、もう1度、酷い状態になった時くらい。それは断じてお断りします。

 だから憂はこれから長い人生、女性として過ごす。それなら女性らしく振る舞う方がいい。自論だけどね。


「――ごめいわく――を」


 憂はそこで言葉を切った。


『ご迷惑をおかけします』


 懐かしい言葉。部活が遅くなったりして迎えに行った時、いつも優はそう言った。ありがとうは家族にはなかなか言わなかった。他の人にはきちんと言える良い子なんだけどね。照れ臭かったんだと思ってる。


「むかえ――ありがと――お姉ちゃん」


 言い直した憂は、ほんのり赤くなって俯いて……。私は胸がいっぱいになった。傍に行って、小さな体を抱き締める。本当に小っちゃくなっちゃったね。

 もがく力の弱さに胸が締め付けられる。


「いいよ。さ……帰ろ?」




 私たちは島井先生と恵さんにお礼を言い、そそくさと家路に着いた。

 時計の針は午後5時半を回っていた。終業時刻を過ぎていたら迷惑だから。


 それに……。


 恥ずかしかったからね。


 代金はわからない。請求された事がない。総帥と謂われる蓼園さんはこんな事を言ってた。


『一切、気にする必要はない。儂にとって、はした金だ』


 不敵に笑うおじ様がなかなか渋かったよ。

 VIPルームの代金。24時間の医療体制。いくらかかったんだろうとは思う。実際に剛が聞いてたけど、秘書の女性に『聞かないほうが宜しいかと。それでも聞きたいならお教えしますが』とにっこり笑って答えられて、剛は質問を引っ込めた。


 安くて一日十数万かな?


 なんて考えながら、病院への暴走とは正反対の超安全運転。それは当然。憂が乗ってるから。

 憂は運転席の後ろに乗ってる。……と言うより乗せた。何でも一番、安全な席なんだってさ。シートベルトも私がした。自分の過保護さが可笑しい。


「――お姉ちゃん?」


 ふふっ……って漏れた笑い声が聞こえたのか憂が話しかけてきた。えらいえらい。ちゃんと姉ちゃんだね。


「何でもないよ」


 一旦、切ってから話す。これは憂と意思疎通させる為の大事な儀式。


「学園……どうだった?」


 聞きながらミラーを憂が見える向きに調整する。

 憂が見える。やっぱり憂は首を傾げていた。いつも左側。この仕草は優の時には無かった。左脳がごっそり無くなった影響で、首を傾けバランスを取ろうとしているのかも知れない……とか島井先生は言ってた。


 ま、何でもいい。私は憂のこの可愛い仕草が大好き。



 憂は停止したまま動かない。表情も動かない。思考中は表情が動き、回想中は表情も停止していると指摘したのは専属看護師の1人、伊藤さんだった。


 今日の出来事を思い出そうと停止したまま。


 憂の返事を安全運転しながら気長に待つ。



 1分……。



 2分……。



 ……3分……。



 …………4分……。



 いい加減、長くない? ……とか思った時に憂の表情が動いた。この子って、じれたタイミングで動き始める事が多い。狙ってないよね?


「――たのし――かった――よ」


 あれだけ考えて、その一言かい!?

 思わずツッコミを入れそうになったけど、我慢してたら憂が続けた。


「友だち――ふえた――よ」


「――かほ」


「――ちあき」


「――こうへい」


「――こずえ」


 憂の表情が柔らかい。嬉しそうに微笑んでる。憂が嬉しいと私も嬉しいよ。


「――千穂も」


「――拓真も」


「――勇太も」


 憂の言葉はそこで途切れた。

 後から出てきた名前は私も知ってる名前だった。拓真君と勇太君はバスケ仲間だった、やたら大きな親友たち。千穂ちゃんは彼女ちゃん。

 彼らも複雑な気持ちだろうね。特に千穂ちゃん。あの可愛い彼女は、これからどうするんだろう?



「げんき――だった――よ」


 終わったと思った言葉は続いていた。


 憂が満面の笑顔を見せてくれる。

 こんなにいっぱい話してくれるなんて、本当に楽しかったんだね。


「うん……よかった……ね」


 路肩に車に停車させた。視界がにじんできたから。うち、もう、すぐ、そこ、なのに……疲れてるのに……ごめんね。




 車を発車させたのは、それから10分以上後になった。


 私が泣いている事に気付いた憂が頭を撫でてきたから。



「うれしい――ん――だよね?」



「お姉ちゃん――うれしい――」



「ボクも――うれしい――」



「がくえん――もどって――よかった」




 なんて、時間をかけて言ってくれて余計に泣かしにきたから。




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