第7話 第54回フリーワンライ「星空とソナタ」
第54回フリーワンライ「星空とソナタ」
お題:
嫌いじゃないだろ、素直になれよ
重要なのは体積ではなく密度
その髪先を撫でる
熱情
時間切れ
ジャンル:オリジナル 現代 天体 男女(両想い未満)
1770字
ああもう、聞かなければよかった。ちょっとわからないことを質問するといつもこうだ。
「――だから、重要なのは体積ではなくて密度なんだ。もう少し木星の質量と密度が大きければ、地球にはふたつの太陽が輝いていたのかもしれないのさ」
「ふうん、そう」
運転席から聞こえる楽しげな男の声を、話半分に聞き流す。
どうして。
“木星って地球より何倍も大きいんでしょ?空でも目立つの?”
そんな簡単な、「宇宙なんて全く知らないイマドキ女子」のごく純粋な質問から、こんな話になっているのだろう。
いやむしろなぜ、私のためと称する突発星空鑑賞会が開催されることになったのだろう。そしてなぜ私は、その提案に乗っているのだろう。
まあ、避暑がてら。明日はバイトもないし。レポートはあるけれど。
そんな思いも、確かに頭の片隅にあった。それは事実だ。
彼が家から借りてきたという4人乗りの軽自動車には、名前も知らないような器具が沢山詰まれている。その中でも特に高価そうな器具は、ご丁寧に箱にシートベルトをかけて、助手席に置かれていた。自分の真横に重ねて置かれている箱は、山道のちょっとした揺れでもぐらりと動き、その度に背筋がひやりとする。
運転席の後ろの席に押し込まれたまま、女は憮然とした表情で窓枠に肘をかけた。その髪先を撫でる風は、夜と草木を包み込んだ香りがする。真夏日のからみつくような熱気は、山道を行く車のスピードのおかげで吹き飛ばされてしまった。
「涼しくなってきたね」
そんな女の思いを汲み取ったのか、運転席の男が声をかけてくる。
「うん、そうだね」
おざなりに返事をして、再び山道へと視線を送る。
女が兄から借りてきたFMトランスミッターからは、ランダム再生で次々と曲が流れてくる。最新の曲、去年流行った曲、定番のカラオケソング。時折、ドラマや映画のサントラ。
最近人気急上昇中のグループの曲が終わり、次に流れ始めたのは、今までの曲とはがらりと異なるものだった。
「……あ」
慌てて音楽プレイヤーを操作しようとしたが、手元に見つからない。ケーブルを目で追うと、その先端は助手席の下へ。サイドブレーキの後ろにある平たい小物入れから滑り落ち、入り込んでしまったようだ。
「ピアノ、の曲?」
ケーブルに手をかけると同時に、男の声が飛んできた。
「…………うん、そう」
「何かのドラマのBGMとか?」
「ううん、……ピアノ名曲集」
頬が赤くなるのがわかる。普段「ばりばりの女子大生」を自称している自分が、こういう曲を聴いていると知られたら、どう思われるか。
ちらり、と運転席の男に視線を送ると、それを違う意味でとらえたのか、一瞬こちらに視線を向けた後にゆっくりブレーキを踏んだ。
「ごめんね、動いていたら取りにくいね」
「あ、うん、ありがとう」
助手席に片手をかけ、開いた手でケーブルを引っ張り出す。
「飛ばすね」
「えっ?この曲で良いよ、聴いていたいな」
予想していなかった男の言葉に、二度目の視線を送る。今度は顔を向けて真っ直ぐこちらを見てくる相手と、視線がぶつかった。
「何て曲?」
「……ピアノソナタ第23番『熱情』」
「へぇ……格好良い名前だね」
相手の表情が笑みを作り、思わず瞠目する。天文オタクが、宇宙の話以外でそんな顔を見せるのは、初めての気がする。
「……いいから、車出して」
「あ、そうだった。早くしないと見えなくなっちゃう」
照れ隠しに顔を背けながら、女は再び運転席後ろに収まった。手持無沙汰とばかりに掌の中で音楽プレイヤーを転がす。
木々が窓の外で、後ろへと流れ始める。車が山道のカーブを曲がると、ふいに木々が途切れて視界が開けた。
「あ、ほら、西の空。肉眼でも見えるかな。金星の近く」
「金星がどれだかわからないわ」
「あー……じゃあ、着いたら説明する」
空を占める赤が、次第に藍へとその座を譲り渡していく。
「ちょっとぎりぎりかな、間に合えば良いんだけれど」
「そんなに木星ってレアものなの?」
「レアっていうわけじゃないけれど……この時期だと20時には沈んじゃうから。この時間からだと、着いて器具を準備して、覗けるのが時間切れ寸前かな」
きらきらと声を弾ませる男の表情を、ルームミラー越しに眺める。少しだけ視線を落として、座席から見える横顔へ。
まあ、悪くはないのよね。なんやかんや。
嫌いじゃないんでしょ、素直になりなさいよ、自分!
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