第6話 第51回フリーワンライ「シエスの妻」

第51回フリーワンライ「シエスの妻」


お題:

報われない

焦がれる

万華鏡

笑顔と幸福、それから

たとえ光をうしなっても



ジャンル:オリジナル 近未来 SF 夫婦愛



1859文字






御前様と、天下の皆様のためになるのであれば、

この身、喜んで捧げましょう。


「アケ」

「はい、何の御用でしょう」

裾の長いスカートをさらりと揺らし、床に散らばる書類や瓶を踏まぬよう気を付けながら、女性は机へと近づいた。

「茶」

机に向かったまま顔も上げず、男は一つ言い放つ。その言葉に、アケと呼ばれた女性はほんの僅か、整った眉を動かした。

「”茶”、とは、何の事でしょう。茶色の瓶を取れということでしょうか。茶色のペンでしょうか。そのお手元の冷えたお茶を私に下さるということでしょうか。それとも」

「……すまない。ちゃ……何か飲み物、淹れてくれ」

「畏まりました」

ようやく書類から顔を上げ、男が湯呑を手に、振り返る。困ったように眉を下げたその表情を目にし、アケは顔に笑みを浮かべながら、冷えた湯呑を受け取った。

「根を詰めてはお体に毒です。日の当たるダイニングで、お茶にしませんか」

「や、もう少し。もう少し……」

「シエス様」

アケのやや強い一言に、諦めたように男が立ち上がった。櫛もいれていない髪をかき乱しながら、アケへと向き直る。

「……わかった。休む、少し」

「そうしてくださいませ。ご実家から、お茶菓子が届いていますよ」

にこり、と笑みを浮かべ、アケはダイニングへと体を向けた。振り向きざまに視界に入った棚には、まるで万華鏡のようにカラフルな瓶が並んでいた。



シエスの実家からは、山のような食材とフリーズドライにされた手料理、当面の生活費、そして値の張りそうな菓子の包みが送られてきていた。宅配箱にきちりと仕舞われた物品の一番上には、辺鄙な星のこれまた辺鄙な地区で夫を支える妻を、丁重に労わる手紙が添えられていた。

「お義母様は、相変わらずお優しくていらっしゃいますね」

「ただの世話好きだ」

「ご冗談を。これほどまでにシエス様をお思いになっていらっしゃるのに」

柔らかな笑みを浮かべながら、シエスの湯呑へグリーンティーを注ぐ。母星から大切に運んできた古美術品の湯呑は、シエスが手に取ると縁の金を光らせた。

彼が湯呑を置く前に手早く菓子の包みを開け、小皿に載せてするりと差し出す。

あまり甘やかさないでくださいね。先ほど目にした義母の一文が頭をよぎった。

けれど、これがアケなりの愛情表現なのだ。

報われない思いをし続けた駆け出し時代も、突飛な理論を発表し世間から大きな反響を呼んだ時も、半ば左遷のようにこの星の研究所へ送られた時も、アケはいつもシエスのそばに居た。

焦がれるように薬学の世界を追い求める彼の背中へ、同じくらい強く焦がれる視線を向けていたことに、彼はいつ気づいたのだろう。あるいは、半ば押しかけ女房のように結婚を迫った時に初めて気づいてくれたのかもしれない。

そばに居て、精一杯の世話をして、静かに寄り添う。歩くときは常に三歩後ろを。軽口は言っても、夫のすることには決して否と言わない。

なんて古風だ昔気質だ、と周囲から言われようと、アケはそれで幸せだった。

「シエス様、研究は如何ですか」

「ん……動物実験は成功した。かもしれない。……たぶん。……いや成功した。…………次は、人体での実験」

「そうですか」

腕を組み、首を傾げながら、シエスが遠くを見やる。

「協力者、……治験者、集めないと、な。……また、金かかる」

ぼそぼそと呟くように――けれども、慣れた身には、これが相手へ語り掛けているのだとわかる――シエスが言葉を紡ぐ。それを耳にし、アケは腰かけた膝の上へ、両手を置いた。

「シエス様」

「ん?」

「ここにいるではありませんか。お金もかからず、貴方様に全身全霊をかけて協力する者が」

眠そうだったシエスの瞳が、ゆっくりと開かれるのがわかった。一瞬眉根が寄って視線が下へと向くのは、動揺している証拠。

「俺は、……そんなこと、させるために、結婚したわけじゃ」

「わかっております。これは私の意志なのです」

相手の言葉を遮るように、急いて言葉を紡ぐ。

シエスの茶の瞳が、射抜くようにアケを捉えてくる。それを真っ直ぐに見返しながら、アケは口を開いた。

「実験の過程、成功率、予後。どれをとっても人体実験に移るに申し分ない結果です。あと懸念すべきは」

「……副作用」

高等教育の場でともに学んだ身として、薬の効用も、相手の懸念も、全てがわかる。

「……たぶん、失明の、危険性」

「わかっております」

たとえ光をうしなっても。

この星、ひいては宇宙へと旅立っていった全人類の笑顔と幸福、それから。

目の前に座る、大切な人が栄誉と称賛を手にすることができるのならば。

この身は喜んで捧げましょう。





華岡青洲とその妻、加恵の話(<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E5%B2%A1%E9%9D%92%E6%B4%B2" target=blank>wiki</a>)を下敷きにしました。

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