1 森
真っ暗闇の中。
何も見えない、何も聞こえない。
………
………
ゆっくりと意識が戻ってくる。
目を開けると、生い茂った木々の隙間から青い空が見えた。
と、同時に体全体から鈍い痛みが走った。
「あいててててて、体中が痛てぇぇ」
上半身を起こすのを一旦止めて、地面に寝転がる。
もう一度、空を見上げる。
高い樹木の間にある青い空に、風にのった白い雲が長閑に流れていく。
そのまま少しの間を空を見つめる。
「そういえば、俺って、たぶん交通事故にあったんだよな」
今日は勇一の通う高校の期末試験の最終日だった。
その為、午前中だけで授業は終わったいた。
部活をやっている連中が、テスト明けで久しぶりの部活動に向かって教室を飛び出していく。
その姿を横目に、ある理由で部活をやめてからは帰宅部の勇一は、一人で教室を出る。
運動部の掛け声や、吹奏楽部のトランペットの音が聞こえる校庭の脇をぬけて、校門をでた。
帰宅途中に、コンビニに寄って漫画雑誌を買ってから、いつも通るフェンス沿いの長い直線を歩く。
長い長い、何処までも続いているんじゃないかと思うようなフェンス沿いを歩いている、その時だった。
何の前触れもなく突然に、後方からとてつもない力で吹っ飛ばされた。
体が空中に放り出された瞬間、頭の中が真っ白になる。
そこで意識がとだえた。
目を開けたら、この状態だ。
何があったのか、自分でもまったくわかない。
「トラックに、後ろから追突でもされたかな?」
改めて体を確かめてみる。
背中を打ちつけたような鈍い痛みがあるものの、どうやら骨折のような大きな怪我は無いようだ。
最近めっきり寒くなってきたために、制服の上に着ていたふかふかのダウンが、ちょうどいいクッションになったのかもしれない。
「このダウン、いまどきは流行りじゃ無いくせして、値段はそれなりに高かったんだよな。だけど、今回は、なかなかいい仕事してくれたかもしれねえ」
今度は、無理をせずにゆっくりと上半身を起こす。
すこし頭がフラフラしている気もするが、大きな問題はない。
周りを見回すと、自分が歩いていたはずの道路も、その道路沿いに続いていた長いフェンスも、無い。
それどころか見慣れた物は、まったく何も無い。
鬱蒼と茂る木々、足元のやわらかい草。
何一つ見覚えの無い風景だ。
「うーむ、とりあえず大きな怪我が無かったのは良かったけど、いったい何がなにやら……
あ! スマホ! スマホ大丈夫か?! 壊れて無いよな!?」
体の次は、まず、何よりも心配なのがスマホである。
当然といえば当然。現代人のたしなみだ。
あわてて手元にあった通学鞄からスマホを取り出し、電源を入れる。
起動音と共に、正常に画面が表示された。
「よかった、本当によかった。なにせ、ついこの前に新機種に変えたばかりだからな」
スマホを確認したついでに通学鞄の中と財布を確認してみる。
気絶してる間に、財布の中身を抜かれたりとか洒落にならない。
でも、勇一のそんな心配は杞憂だったようだ。
財布の中には学生証や市民カードと共に現金もしっかり入っている。
それ以外の学生鞄の中身、スマホ用の予備バッテリーや文房具、コンビニで買ったばかりの雑誌も無事だ。
ちなみに教科書の類は、当然のようにひとつも入っていない。
学生鞄の確認を終え、一安心。
それから、ゆっくりと痛みをこらえながら慎重に立ち上がる。
「それにしても……、どこなんだ、ここ?」
立ち上がって周りを360度ぐるりと見回してみても、鬱蒼と茂った木ばかりだ。
現在位置を確認しようと、スマホで地図アプリを起動してみた。
が、無駄だった。
「電波が、ねえ! おいおい、頼むぜ、がんばってくれよNT○。
いまどきは登山で遭難しても、スマホで救援を呼べる時代だろう」
文句を言っても始まらない。
背中に痛みを感じるが、ゆっくりとなら動けそうだ。
「とりあえず、電波届く所まで歩くかな」
そう思って歩き出そうとしたのだが、どちらに行けばいいのか解らない。
「まいったな。これじゃあ、道に迷ったって言うレベルじゃなくて、本当に遭難だ。
遭難した時ってどうすればいいんだっけ?
確か登山で遭難した時は、山を降るのは間違いで、峰を目指して登るのが正解なんだよな」
峰を求めて、改めて周りを見回す。
周囲には、深い森がどこまでも続いている。
樹木の背が高い為、遠くを見通すこともできない。
「いやいや、峰なんかないし! 平坦な森の中だし! 登るも降るも無理だし!
俺の豆知識、役たたねえ!」
思わずひとり突っ込みをいれてしまう。
誰もいない森の中で、つまらないひとり突っ込みが空しく響く。
「馬鹿な事言ってないで、本当にどうしようかな。
無闇に歩くと余計迷いそうだし、だからと言って、じっとしていても誰かが助けにくるとは思えんしなあ」
深い森の中で道に迷った時の対処方法。
電波があれば、いつもどうりスマホでググって、すぐさま簡単に解決策が出せたかもしれない。
だが、ごくごく一般的な高校生の勇一が自分の中にある知識だけで考えるとなると、なかなか難しい。
腕を組んで考えこんでみるが、全然良い方法な浮かばない。
「うーん、本気で困った」
その時、ガサガサと後ろの方で、音がした。
振り返ってそちらをみると、少し離れた所の草むらが揺れている。
草むらの影に隠れて何がいるのか解らない。だが、確実に『何か』がいる。
さらにガサガサと草むらが揺れる。
草むらに身を隠すかのようにして、『何か』が近づいてくる。
「野良犬? いや、ひょっとして、くっ 熊の可能性もあるのか?」
逃げるべきか? いや、背中を向けて逃げるほうが危険か?
そんな勇一の前に、『何か』が草むらの中から出てきた。
「子供?」
子供、それが『何か』を最初に見た、第一印象だった。
背が低く1メートルほどしか無いので子供だと思ってしまったのだ。
だが、すぐに間違いに気がつく。
緑の肌と、身に着けたボロイ布。手には錆びかけた短剣。
口からはみ出るような牙、短く尖った耳。
そして、こちらを見つめる獣のような瞳
それは、真一の知っている知識の中では、ゲームの中だけにいるはずの存在……
ゴブリンだった。
「ゴブリン?! あれってゴブリンだよな?!」
茂みからゴブリンが出てくるのを見た時、勇一は驚きと共に、感動に近い衝撃を感じていた。
なにせ、ゲームや物語の中の世界だけに存在するはずのゴブリンが目の前にいて、動いているのだ。
少し前に『全滅した恐竜を忠実にCG再現した映画』を、映画館の大スクリーンなどで見た時に感じた感動に近い。
いや、その感動を10倍くらいにした感動だった。
目の前にいる、ゴブリンはCGではない。
こちらをみる獣のような瞳は、瞬きをしている。
緑の肌に、薄く体毛が生えているのさえも見える。
牙のはみ出した口から、呼吸する息遣いが聞こえる。
疑いようもなく、実物のゴブリンが、そこに存在していた。
「すげえ、本物のゴブリンだ。
って、事はここは異世界ってやつなのか?!」
勇一が感動に胸震わせていると、さらに、茂みからもう一匹のゴブリンが出てくる。
後から出てきたゴブリンも、ほぼ同じ見た目で、緑の体にぼろい布だけを腰にまき、手に短剣を持っている。
勇一もさすがに、二匹のゴブリンが武器を持っているのを再確認して、危険かも知れないと思い当たる。
今更のように、逃げるべきだろうかと、改めて考える始める。
だが、二匹のゴブリンも、こちらに怯えているのか、警戒しているのか、遠巻きにして近づいてはこない。
その場で、ゴブリン達は、ボソボソと話し込み始めた。
喋ってる!?
と、言うことはひょっとして、
そう言えば、最近の物語なんかだとゴブリンも良い奴だったりするよな。
勇一は、ゴブリンに向けて片手をあげて、声をかけてみる。
「こんにちわ」
だが、ゴブリンからの返事は無い。
「ハロー、ボンジュール、グーテンモルデン、ボンジョルノー 、ブエノスディアス、チャオー」
続けて、怪しい知識で知っている色々な言語の挨拶を試してみたが、やはりゴブリンからの返事は無い。
「やっぱり言葉が通じないか……んん?」
諦めかけた時に、不意にゴブリンが動いた。
一匹がこちらに向かって、近づいてくる。
「お、こっち来る」
草をかきわけて、ゴブリンが早足に近づいてくる。
すぐ近くまで来ると、ピタリと動きを止めた。
すぐ目の前にいるゴブリンに対して、勇一はもう一度、
「ハロー」
声をかけながら、挨拶がわりに軽く右手を振ってみた。
シュッと刃物が切り裂く音がする。
ゴブリンに向けて振った右手を、短剣で無造作に切りつけられていた。
え?!!!え?! ナニ?!!えっ?!
最初は何が起こったのか、解らなかった。
手のひらが熱くなり、次に激痛が走る。
右の手のひらが、パックリと切り裂かれていた。
熱! 痛! やば! いたいいたい! やばい、いたい。
真っ赤な血が傷口から溢れ出し、激しい痛みが脳天を貫く。
勇一は完全に油断していた。なにせ平和な日本で過ごす、一般的な高校生だ。
『銃声や爆発音が聞こえても、地面に伏せない唯一の民族』と世界から揶揄されるくらいに平和慣れした日本人だ。
見知らぬ人型の生物に対して、危機感を持てというほうが無理な話だった。
ゴブリンが、更に攻撃を加えようと、短剣を振り上げる。
振り上げられた、短剣を見た勇一は、あわてて背を向けて逃げようとする。
だが、足がもつれて転倒し、地面に転がってしまう。
さっきまで勇一の頭のあった空間を、短剣が通り過ぎる。
転倒したのが幸いして、偶然にもゴブリンの攻撃をかわすことが出来たようだ。
しかし、次の攻撃をよけられない。
視界の隅に、ゴブリンが自分の血がついた短剣を振り上げるのが見えた。
本能的に、せめて急所だけでも守ろうと体が反応する。
胎児のように頭を抱えて体を丸める。
勇一に出来ることは、それくらいしかなかった。
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