こちらクソゲー開発部

庵治鋸 手取

第一章 微笑みの道化師

第1話

 『クソゲー』。この単語を知っているだろうか。

 古今東西、ゲーム業界は多種多様な方法で、人を楽しませる為のゲームを作ってきてくれた。ゲームセンターで楽しむアーケードゲームにしろ、家で楽しむ家庭用ゲームにしろ、研究に研究を重ねられた工夫と努力の塊のようなゲーム達は、人々を。特に、俺のような、月に数十作はプレイするようなゲーム好き――所謂ゲーマーを楽しませ、常に新しい刺激を与えてくれた。

 だが。

 ゲームはどれもが楽しめる、素晴らしい魅力に満ちたものばかりではない。

 世の中には、どう足掻いても、どう贔屓目に見ても、どんな退屈なタイミングでプレイしようと、苦痛にしかならないゲームの種類が存在する。

 ある時は、異常な操作性で人を苦しめる。

 ある時は、バグの連発で人を陥れる。

 ある時は、理不尽な難易度で人を苛む。

 ある時は、単調な作業で人を虚ろにする。

 それが、『クソゲー』と呼ばれるゲームの種類の、大まかな特徴である。

 これは俺達ゲーマーにとっては多くの場合は大敵としてみなされる。何故かって? それは地雷だからだ。楽しもうとして買ったゲームが苦痛の塊だったら、それは最低の経験でしかない。時間と労力と金を食いつぶす、ゲームショップに潜みたる罠だ。

 分かりにくい? それなら、書店に行って面白そうな本を買ったら、文字が鏡文字になっているうえに虫眼鏡で見なければ判読出来ないサイズで、中身も最低に下劣で面白くない内容だった、という状況を思い浮かべてもらえればいい。大体合ってるだろうから。

 そして大変残念なことだが、俺・一鬼 堤斗(いっき ていと)の住む家にも、このようなゲームは存在する。

 俺の祖父の代から集められたゲームが一室に集結し、その殆どをプレイしている。ジャンルも勿論、RPGゲームからアクションゲーム、ノベルゲームからシューティングゲームまで幅広くプレイしているし、ゲームハードも真っ赤な画面の巨大ゴーグルのようなゲーム機、昔は航空機での貸し出し専門だったゲーム機、家庭用ゲーム機としては相当に初期段階に位置する、外国製の卓球ゲームのようなゲーム機まで、ちょっとしたゲーム博物館のようなラインナップが揃っている。

 その膨大なソフトを収める棚は部屋の四方に及び、段ボール箱に整理もされないで詰め込まれたソフトも数多い。俺は昔から、その中から適当に引っ張り出し、事前情報も無しにプレイしていた。

 だからこそ、地雷を踏んでしまうのだ。

 何個も、何個も、何個も、何個も。

 故に、俺の中のクソゲーに対する恐れは実体験を伴ったリアルとなり、忌々しい記憶として残り続けている。しかし嬉しいことに、2037年になった今となってはクソゲーも鳴りを潜めてきていて、クソゲーと呼ばれるゲームも古の大怪物達と比べてしまえば大分マイルドなオバケさんレベルのものばかりの出現に留まっていた。

 人は進歩するもの。ゲーム業界も然り。

 あのゲーム部屋に封印された忌まわしき体験が蘇ることは、二度と無いのだ。

――などと手放しに確信して惚けていた俺だったが。それは、余りにも甘すぎたのだ。

 忌まわしきものは時に、人を魅了する。

 邪神には必ずや、邪教徒が仕える。

 2035年に発売した『あるゲーム機』によって、クソゲーに魅了された者達が静かに。情熱に。熱狂に。その目を煌かせ――

 魔の復活を超えた所業を為していることを、俺はまだ、知る由もなかったのだった。

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