咲き誇れ!

瑠輝愛

Episode I

Episode I-1

 百合のようにしなやかで細く美しい少女が、私よりも膨よかな胸を押し付けて腕を首に回してきた。そこから感じる暖かさと、牡丹ぼたんのように整った顔立ちに頬が熱くなった。

 初めて出逢ったその少女は上目遣いで微笑んだ。

「私を貴女の物にしてください」

「どうして私を?」

 キュアリスは走る心臓の音を抑えきれないのに反射的に聞いてしまった。メガネが曇りそうになる。自分と同じ年頃に見える少女は、鼻先まで顔を近づけてきた。

「ショートボブがよく似合う綺麗な黄色の髪の毛、かわいいメガネ、形よく大きなおっぱいに引き締まった腰、私は一目惚れしてしまいました」

「でも、お互い、名前を知らない」

「私の名前は、セルクス。貴方は私のような人形は嫌いですか」

「え?」

「私は、トゥルマレディなんです」

「うそっ」

 美しい肌に陶器のような顔は確かに造り物を思わせるけれど、この表情からとても人形には見えない。外に出たことがない病弱な美少女に例えたほうが相応し異様に思えた。

 しかし、すぐ側にいたマルダードに気が付き、すぐに頭が冷めてしまった。

 その顔は悪魔のような形相だった。

「おい、貴様。その汚らしい身体で彼女に触れるな!」

 キュアリスは言う通りに離れようとするが、セルクスは不意打ちに唇を重ねてきた。

「きゃっ……。ん……」

 思わず声を上げると、その唇に舌が入って絡まってくる。その巧みな愛撫に身体の力が抜けていった。

 そこへマルダードが割り込んできて、力任せに引き剥がした。二人の唇から唾液のアーチが一瞬だけ現れて消えた。

「おい、マリアはどこだ」

「はい、こちらに。マルダード様」

「何だ、このしつけのなっていないメイドは。お姉様としての教育はどうなっている?」

 マルダードは払いのけた手を拭きながら、倒れこんでいるキュアリスを一瞥いちべつしながら言った。

「申し訳ございません、後できつく言っておきます。さあ、キュアリス行きましょう」

「はい、お姉様。申し訳ございません、マルダード様」

 マリアに連れられる途中にちらりと後ろを見ると、愛おしそうに胸に両手を組んでこちらをみているセルクスが見えた。

 家政婦長室に通されたキュアリスはデスクの前に立って、マリアが座るのを待った。

「キュアリス、あなたは何をやっているのよ」

「だってマリア、いきなりだよ、いきなりハグされてキスされたんだよ。驚くに決まってるでしょ」

 二人っきりの時は親友同士の付き合い方でいようという約束の通り、二人は本音で話し始めた。

「それはわかるけど、すぐに払いのけることくらいできたはずでしょ。あなたのジュウジュツなら」

「それはそうだけど、突然というか不意打ちというか」

「もう、そんなんじゃ、あなたの嫌いな痴漢から身を守れないわよ」

「それとこれとは関係ないしょ。第一、あれは痴漢じゃ……」

「あら驚いた。まさか、受け入れたの?」

「ち、違うよ」

「顔が真っ赤・・・よ」

「え⁉ やだ」

「相変わらず、わかりやすいわね」

 そこが良いところなんだけど、とクスクスと笑った。赤い髪の艶をシルクのように輝かせているマリアは、キュアリスにとって姉のようなそして大切な親友だ。

 自分の唇をなぞりながら目を伏せて言った。

「そもそも、あれはトゥルマレディでしょ。人間じゃないわ」

「ええ、そうね。創世戦争で採用された、パイロットと巨大騎兵トゥルマを繋いだ自動人形――トゥルマレディ――の後継機。私にはそう聞かされている」

「でしょ。だから、ノーカン」

「でも、気になるの。あんなに人間らしいなんて思わなかった」

「え? あんなものじゃないの」

「ううん。大抵のトゥルマレディは本当のお人形のように表情なんてほとんど変えない。反射的に変えることはあっても、自発的に変えることはないわ。しかも、恋する乙女みたいな顔して抱きつくなんて事、聞いたこともないわ」

「見たことあるんだ」

「ええ。『お姉様』になるための勉強の一環として、だけどね」

 トゥルマレディが活躍したのは、もう千年も前の話だ。今は創世期一一ニニ年、小さな紛争は今も絶えないけれど、製造費が大きくかかる人形の出番はなくなり、殆どは娼婦として残されているのがキュアリスも知る世間一般の常識だ。

 つまり、マリアはその娼館に見学に言ったということになる。

 マリアは席を立った。

「あなたの想像していることなんて、一切ありませんからね」

「また意地悪を! もう、マリアったら」

「さあ、その風船みたいに膨れた顔を直しなさい。あなた、食事がまだでしょ。一緒に食べてから仕事に戻りましょ」

「はーい、お姉様」

 形はどうあれ屋敷の主の息子であるマルダードに無礼を働いたことに変わりはない。マリアはマルダードの給仕を他のディアメイドに命じて、キュアリスにはその妹にあたるセリカーディの給仕に着いた。

 扉をノックすると、セリカーディは返事をした。

「どうぞ」

「失礼致します、セリカーディお嬢様」

「あら。いつものメイドじゃないのね」

「はい。お気に召しませんでしょうか」

 セリカーディの顔を伺った。この街で一、ニを争う美少女と噂される容姿は今日も麗しい。

 この地域では珍しい漆黒の黒髪がとても良く似合う。そのツインテールで毛先は両肩にかかっていた。銅色の瞳は無邪気にこちらを見定めていた。鼻は小さいが形は彫刻のように整っていて、唇は横に伸びて、笑みをその潤いで彩っていた。

 普段着の赤いワンピースドレスには、幼い胸元に縦フリルが走っており、スカートの裾もフリルだ。こんな可愛らしい派手なドレスを普段着として着こなせる年下の女の子は彼女くらいだろう。

「ふーん。あなたね、お兄様の愛人に手を出したのは。朝食の時カンカンでしたわよ」

「申し訳ございません、セリカーディお嬢様」

「別に、責めているわけじゃないわ。むしろ清々したわよ。人形だけしか愛せない性癖なんて気持ち悪いったらありゃしないもの。そうは思わなくて?」

「は、はぁ」

「良いのよ、告げ口なんてしないから。私が今までメイドの不始末を吹聴したことがあって?」

「いえ。とんでもございません」

「ねぇ、あなた。名前は確かキュアリス・ルーズェンツァよね。最近ディアメイドに昇格したんだったわよね」

「はい。覚えていただき、光栄です」

「私、今日の午後は何も予定がないの。昼食も一緒にしながら、お話相手になっていただける?」

「はい、喜んで」

「じゃあ、お茶とサンドイッチの準備をお願いね。楽しみにしているわ」

 承ったキュアリスは早速厨房に入ると、バターとハムとレタスを挟んだものや、朝食の残りをアレンジしてタマゴサンドにして皿に彩った。それから、ティーセットを用意して戻った。

 部屋に入ったキュアリスは、テーブルの上でセリカーディの好みであるコーヒーを、目の前で豆の焙煎をして給仕した。

 セリカーディはカップを取ると、香りを楽しみながらすすった。

「んっ、美味しい! あなた、前のメイドよりとっても上手。このサンドイッチ、朝の残りも使ったね。……あらっ、これも美味しい! 残り物だなんて信じられないわ。ねぇ、これから私の専属にならない?」

「お口に合ったようで何よりでございます。お申し出については、お姉様と相談しなくては」

「マリアには私から言っておくから」

「はい。その時はよろしくお願いします」

「ところで、あなた」

「はい。なんでしょう」

「今朝来た人形、あれに興味ないの」

「え⁉」

「あら。顔が真っ赤よ」

「うう……。お姉様にも言われて気にしているんですよ。ご容赦ください」

「あははは。私は表情がコロコロ変わる人は好きよ。で、どうなの?」

「ですが、お嬢様は人形好きはお嫌いなのでは」

「勘違いしないで。『人形しか愛せない』お兄様は嫌いだけど、人形『も』愛せる人なら普通でしょ。私、ヌイグルミ大好きだけど、おかしいかしら?」

「滅相もございません。お許し下さい」

「分かればいいの。で、質問の答えは?」

「気にならないといえば、嘘になります……」

「まんざらでもなさそうね。いいわ、その恋、応援してあげる」

「こ、こ、恋⁉」

「その代わり、私の恋も応援すること」

「お嬢様、お慕いする殿方がもういらっしゃるのですか」

「いないわ。だけど、見つけたらその時に色々教えてほしいの」

「そういうことでしたら、お姉様のほうが」

「分からない? これは取引なの」

「取引ですか」

「そう。トゥルマレディとの許されざる恋の成就を後押しする代わりに、私は私の素敵な恋を全力で応援してもらうの。……逢引も含めてね」

「逢引⁉ お嬢様、そこまでご存知なのですか」

「もう十五よ。どうやって子供を作るのか、そしてそれがとっても素敵なことくらい知ってるわよ」

「うう……、分かりました。お嬢様には敵いません」

「あは♪ あなたとは初対面の気がしないわ。これからもよろしくね、キュアリス」

「はい。お嬢様」

 黒髪のツインテールを踊らせながら、セリカーディはキュアリスの手を繋ぎに行ったのだった。

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