第31話償い
それからは、ただロードスターを取り戻す事ばかりを考えていた。最初は世間的に騒がれたのを利用し、頭のイカれたヤツを装い、貼り紙をして、強迫状を机に仕込んだ。
しかし、誰にも見られていないと思っていたのに、近所のヤツに見られていたらしい。社用車のカローラで行って正解だったとホッとしながら、別のヤツにやらせることにした。あやめは、すぐに値を上げるかと思ったが、案外に芯の強い女だった。全く動じることはなく、ロードスターを手放す様子は微塵もない。
商売がら、何だって調べられた。裏サイトの事も知っていた。幸い、今は金はある。破格の値を付けておいたら、すぐに鴨は引っかかった。
ロードスターを傷つけるのは嫌だったが、車体さえそうなら、色が変わっても構わなかった。なのでわざとボンネットに落書きをさせ、修理に出させるように手筈を整えた。念のため、二度とロードスターを手にしたくなくなるようにと、さらにあやめを襲わせたが、失敗したようだった。それでも、あやめはロードスターを売るということは、一言も口に出さなかった。悟は苛々した…こいつは、きっと殺さなければ自分からあの車を手放す事はないだろう。
そして、うまく言って手に入れていたスペアーキーから複製し、それを使ってまんまとディーラーからロードスターを盗み出した。そして、あらかじめ借りて置いた倉庫に、念のため大きな金属の箱まで準備してロードスターを運び入れた。
黒の車体に、似合うホイール。悟は選びながら、幸せだった。ついに、あれが自分の手元に返るのだ。
不正な書類を作ることも、ナンバーを用意させることも、金さえあれば簡単だった。
なのに、どこから調べさせたのか、あやめはロードスターの変わった外見を言い当てた。そして、いくら移動をさせても、それを調べ上げてしまう。本人は車が教えてくれるなどとうそぶいているが、間違いなく何かの情報筋を持っている。侮れない…。
田島の名が出た所で、自分へと捜査の手が伸びることを感じた悟は、ついにあやめを処分することを思いついた。あやめが探り当てた別荘は、自分の持ち物。間違いなく、繋がってしまうだろう。
しかし、あやめは肝心なことは知らないようだった。あれほどの情報を持ちながら、簡単に調べられるだろうあの別荘の持ち主のことについては、全く知らないのだ。知っていれば、自分について来ることはなかっただろう。
しかし、悟は期待していた。もしも、黒く姿の変わったロードスターを見て、ダッシュボードの傷すらなくなったのを見て、自分のものではないと判断すれば…。これ以上、誰も傷つかずに済むだろうに。
しかし、あやめはロードスターを見分けた。自分と同じように、車体に人知れず傷を付けておくことで、姿が変わろうとも、見分けることが出来るようにと策していたのだ。
もう、殺すしか手はないと思った。また、ロードスターを取り上げられるなど耐えられない。こんな女、殺してしまえば良いのだ。
悟はただそう思い詰めた。そして、追い詰められて、あの崖から飛んだのだ。もう、全てを失ったのだと思って、絶望のまま…。
悟は、最後には静かに涙を流していた。話すことで、自分がどうしてこれほどまでに思い詰めてしまったのかと冷静に見ることが出来たのだ。あやめが悪いのではなかった。殺そうとまで思い詰めたのは、己のことを棚に上げて、自分からロードスターを取り上げたあの女、真樹を恨む気持ちがあったからだ。一生懸命なあやめがどこか慕わしく、しかし妬ましく、その感情が尚の事真樹に重なって、あんな行動を取ったのだろう。
悟は、言った。
「オレは、馬鹿だった。」悟は悔いているようだった。「どうしてあそこまでロードスターに固執したのか。あやめちゃんを殺してしまうほど、憎いはずなどなかったのに。あの瞬間、まるで何かに取りつかれたようだった…今思えば、あやめちゃんの一生懸命さは、オレは確かに好きだったんだと思う。だが、オレの欲しい物を手にして幸せそうなのも妬ましくて。だから、真樹に重なったんだろうな。あいつのことは、あんな女でもあれが発覚するまでは本当に好きだったんだ。幸せにしてやりたいと思っていた。だからこそ、ロードスターを取り上げられても、稼ぎが悪いから仕方がないと諦めてまでいたのに。あの瞬間、オレはロードスターと信頼していた女の両方を失った。桑田に復讐を企てることで喪失感から逃れていたが、本当に憎んでいたのは、真樹だったのかもしれないな。」
星路が何か言おうとすると、上からネスの声がした。
「ふーん、割ってみたら中身はこうだった訳か。だからもっと下層に落ちていてもおかしくないのに、ここへ来た訳だな。分かった気がする。」
悟は驚いて身を竦めた。星路がネスを見上げて呆れたように言った。
「なんだよ、お前って奴は自分で話もしないで。困った奴だな。」
ネスは涼しげに言った。
「オレは変なものに接して黒くなりたくはないからな。人など無数に居るのに、一人ぐらい迷ってたってオレの知ったことじゃない。」
星路は顔をしかめた。
「あのな、番人だろうが。務めを果たせ。」
ネスはフンと鼻を鳴らした。
「ならば一つ教えてやろう。悟とやら、お前が恨んでいる真樹という魂、オレの管轄以下の下層へ行った。つい数年前のことだがな。そんな女はたくさん居るが、オレの記憶を探ってやったんだぞ?有り難く思え。」
悟は、びっくりして立ち上がった。
「それは…真樹は、もう死んでいるのか?!」
思い出したくもなくて、全く消息を探ってもいなかった。ネスは頷いた。
「ああ。殺された。人は複数の異性と情を交わしてはならぬのだろう?相手の男のうちの一人が、恨んで殺したのよ。そして自分も死んだ。殺された方の女は、お前も含めて何人もの男を不幸にした罪で下層へ落ちている。だからな、悟よ、お前が復讐などすることはなかったのだ。お前が恨んだ男であれ女であれ、嫌でも死ぬ。そして、こうして報いを受ける。転生を許されるのは、何百年後になることかな。下層はキツイぞ?オレは間違ってもあんな所には行きたくはないがな。」
悟は、呆然と立ち尽した。そうか…人が勝手に人を裁くなど、オレは何様のつもりでいたのか。
悟の体が、少し光った。ネスが驚いたような顔をした。
「なんだ。お前、ここに来て何か悟ったな?どこまでも困った奴だな…で、どうするのだ。まだ間に合うし生きるなら戻してやるが、償って来るか?」
悟はネスを見上げた。
「オレは、もう死んだのではないのか?」
あやめが首を振った。
「重体で予断は許しませんけど、まだ生きてます。」
悟は黙った。ネスが言った。
「戻るなら、オレに何をするために戻るのか言え。でたらめは駄目だ。次にここへ来た時、それが果たせずに居たなら下層へ送られるぞ。それでもいいか。」
悟は、決心したように頷いた。
「人を陥れるような生き方ではなく、助けて行く生き方をしたい。NPO法人を立ち上げて、社会の底辺でもがく人達を救い上げて自活できるように支援をして行くように…。」
ネスは顔をしかめた。
「また具体的だな。もう考え始めているのか。ま、お前は頭の悪いヤツじゃない。今度こそ、己の魂に忠実に生きるがいい。」と、星路とあやめを見た。「お前達には、少し手を貸してもらったな。だから、何か願いを聞いてやろう。何がいい?」
星路とあやめは顔を見合わせた。
「お前が言えよ。オレは別に何もないし。お前が居れば充分だ。」
あやめも困ったように言った。
「そんなの、私も同じよ。星路、あなたが決めて。」
星路は困った。ネスも悟もこちらを見て待っている。何もないと言おうとして、ふと思った。そうだ…。
「悟は、皆の為に生きると決めたんだな?それが果たせなかったら、下へ落とされる。」
ネスは頷いた。
「そう。それは違えられぬ。上手く生きたら上層へ行くチャンスまであるんだから運がいいヤツだよ。」
星路は、悟を見た。
「悟…オレは、本当のお前を知ってる。お前は素直で優しくて、いつでも嫁のために頑張ってたじゃないか。仕事だって、儲かってなかったのは人のことを考えてばかりで、料金をあまり請求しなかったからだろう。あれからお前が変わっちまって、ああなってしまってたのは知ってるが、本当にこれからは元の自分に戻って人の為にやるんだな?」
悟は一つ、しっかりと頷いた。
「ああ。最初にあの仕事を始めたのは、弁護士よりももっと手軽に困って居る人を助けようと思ったからだったのに。オレは初心を忘れていたよ。」
星路は、満足げに頷いた。
「よし、ネス。お前何が出来るんだ?悟の事件は、無かったことに出来るのか。」
ネスは盛大に顔をしかめた。あきらかに嫌がっているような顔だ。
「なんだって?おい、お前達迷惑掛けられたんだろう。そもそも星路、お前が崖からあやめと落ちたのは、こいつがあの男を仕掛けたからだろうが。それでも、この件をなかったことにしたいのか。」
星路は頷いた。
「桑田は自業自得だから、もうしばらく入ってりゃいいが、悟は外に居た方が、塀の中に居るより人の役に立つ。オレ達は、こっちへ来たからこそ結婚も出来たし、こうして人にもなれた。だから心底恨んでる訳でもないんだよ。」
悟は驚いて星路を見た。
「そんなことはしなくていい。オレはしばらく塀の中で考えて来るよ。いろいろ時間が掛かるだろうから、最初からシステムを考えるのには。」
星路は首を振った。
「あのなあ、人間、お綺麗な方が信用も出来て何かする時金も貸してくれるんだ。前科持ちだとそうはいかねぇぞ?」
悟は下を向いた。確かにその通りなんだが。
ネスが大きく長いため息を付いた。
「ああ、分かった分かった。これだから上層の人と関わるのは嫌なんだ。いちいちお人好しでな。」と、手を上げた。「時間を戻すことは出来ない。だが、いいようにしてやろう。あっちの世界のこの件に関しての記憶も何もかも消す。お前達以外は何も知らない状態だ。いいな?」
星路は、頷いた。
「ああ。頼む。」
あやめも、星路を見上げて微笑んでいる。星路はあやめの肩を抱いた。ネスはまたため息を付いた。
「シアの気に入りそうな奴らだ。ではまたな。」
そう言い終わったか否かの間に、突然に視界が消えてなくなり、気が付いた時にはあやめは自分の家に立っていた。
「…星路?」
「ここだ。」マスターキーから声がした。「どうなった。」
あやめは急いで外へ出た。星路の色は、真っ黒のままだった。
「星路、黒いままだわ!」
星路は憮然として言った。
「なんでぇネスのやつ、まさか出来なかったんじゃないだろうな。」
あやめは、前の道へ出てきょろきょろと見回した。居るはずの、パトカーが居ない。
「…あやめちゃん?」前のプリウスが言った。「どうしたんだ?」
あやめは、困惑気味に言った。
「ねえりっさん、ここにパトカー居なかった?」
相手は不思議そうに言った。
「パトカー?また何かあったのか?」
どうやら、元から居なかったことになっているらしい。あやめは、急になり響いた携帯に驚いて落としそうになりながら、慌てて相手を見た。
「星路!田島さんからだわ!」
星路は仰天した。捕まってたんじゃなかったのか。
「とにかく早く出ろ!」
あやめは慌てて着信をタップした。田島の声が言う。
「矢井田さん!社長の意識が戻ったんだよ!どうなることかと思ったが…すぐに市立病院まで来てくれ!」
あやめは、何がなんだか分からない気持ちで、頷いた。
「すぐに行くわ!」
通話を切ると、星路が言った。
「とにかく、行ってみよう。玉をオレの車内へ置いて行け。何かあったら、人型になって行くから。」
あやめは頷いて、星路に乗り込むと、市立病院へと急いだ。
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